車いすの男性と出会って結婚するに至るまでの5年間の話 その5

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素直になれず

「はい!」と言えばいいのに。それ以外の返答なんてないのに。「はい! 私も最初出会ったころから好きでした! よろしくお願いします!!」くらい言ってもよさそうなものを、なぜかうまく答えられず。いつ言われてもおかしくないと思っていたし、そういう場面を妄想してたこともあったはずで、自分でもそう言えると思っていたのに。
「付き合ってください!」と言われた私は、「あー、えー、うー、えっとー、そのー」みたいなことしか言えなかった。情けない。「はい」とひと言言えばいいのに、それが出てこない。取材する側とされる側だから躊躇していたのかもしれないけれど、それがなくてもたぶん同じように「えっとー」とか言っていたかもしれない。結局、なんて返事したのか実はよく覚えていない。「はいはい、そうですねー」みたいな、なんか格好がつかない返事だったような気がする。彼も拍子抜けしてたかもしれない。
とにかく、なんだかんだで正式にお付き合いすることになった。
9月の仙台の大会には、泊まりで取材に行くつもりでいた。もう付き合っていることになっていたから、彼は一緒に行動しようと考えていたようだけれど、ここでもやっぱり私は「取材だから」と、ホテルも違う場所を予約した。私も古い人間で、付き合ってすぐに同室に泊まるとか、抵抗があったというのもある。加えて選手たちがみんな同じホテルに泊まっていて、そんな人の目のある中で同じ部屋に入る勇気もなかった。そして、親には「取材で泊まりにいく」と伝えてあった手前、そこはきちんとしておきたかった。
仙台まで行くのも自力で新幹線で行こうとしたら、さすがに「一緒に行こうよ」と言われて、まあそうだねえ、そこまで頑にならなくてもいいかと車で一緒に連れていってもらうことにした。
仙台まで一緒に来てるのに、夜は「じゃあ、また明日〜」と別のホテルに宿泊して、朝は自力で試合会場に行って試合を見て“取材”。夕食は彼や友人たちと一緒に楽しんで、夜まだ自分のホテルに帰るという過ごし方をしていた。
「取材」というのがどこかで引っかかって、素直になりきれない自分がもどかしくもあった。でも、この全てはこの試合が終わってからだという、最初の信念を貫きたかったのかもしれないと思う。
彼の試合が終わり、大会最終日に一緒に決勝を見ていた。そのとき彼が着ていた、ピンクのチェックのポロシャツの色が、あまり私の趣味ではなくて「こういうのも変えたいなー」とか、勝手に思ったりしていた。“取材”は終わったな、これからは普通に恋人の関係になれるんだなと、穏やかな気持ちになっていた。
が、本当の試練はここからだった。
私たちふたりの関係はその後も揺るぎのないものだったけれど、私の両親の強烈な反対にあってしまったのだ。差別的なことを嫌う両親だったし、障害者などの理解はある両親だと思っていたから、まさかそれほど反対されるとは思っていなかった。それが誤算だったというのもあるし、私が少し先走りすぎてしまったのもあるのだけど。完全に作戦失敗。
その後相当期間、彼と両親との間で苦悩した。彼を諦めることはない、だからといって、祝福されずに突き進む選択肢も私の中にはなかった。いつかこの溝は埋まるのか、そういう不安を抱えながら彼との付き合いを続けていた。

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