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14/1/30

【第3ステージ 地図は正しかった】無名の大学生が「スポンサーを集めて自転車で西ヨーロッパを一周する」という夢を実現した話

Image by Olia Gozha

地図は正しかった

目指すは九州。ぼくは自転車のフロントバッグに一冊の地図帳を入れ、横須賀を飛び出した。初日に箱根の山を越え、静岡県富士市までやってきた。走行距離は136km、まずまずだ。テントも積んでいたけど、宿泊はほとんど漫画喫茶だった。でも漫画は一冊も読んでいない。


毎日毎日、35~40℃とかの、うだるような暑さのなか、必死に自転車を漕いでいった。一日に10リットルくらいスポーツドリンクを飲んだ。それでも飲んだらすぐに汗として出ていくので、トイレはほとんど行かなかった。2日目で浜松まで行き、3日目で愛知県に入った。初めの5日間は全身の筋肉痛とサドルによるお尻の痛さが強烈で、泣きそうだった。6日目以降は慣れてきて楽になった。


町と町の間が、どのようにつながっているのか。それは自転車旅だからこそ味わえる楽しみだった。また走行中、気になった場所があれば、ふらっと寄り道ができるのも自転車旅の良さだった。たまたま見つけた岐阜県の「養老の滝」は素晴らしかった。寄り道は旅の醍醐味だと思った。


4日目 彦根

5日目 京都

6日目 兵庫

7日目 姫路

8日目 岡山

9日目 福山

10日目 広島

11日目 岩国

12日目 山口


そして横須賀を出発して13日目、ついにこの日がやってきた。目の前に見えたのは、本州と九州とを結ぶ、関門大橋だった。


ぼくはやったぞ。無理に決まってる、なんて言われたけど、九州まで自転車でやってきた。身体は確かにキツい。でも自分の限界なんて、まだまだ遠く先にあった。


自宅の玄関を開けると、小さな道がある。その道は、紛れもなく、この九州まで、一本の連続する線でつながっていた。当たり前のことだ。でも、その当たり前のことが、確かな実感として得られた。自転車は、寝ながら漕ぐことができないから、ぼくは横須賀から九州まで、すべての道を、この目で見てきたことになる。そしてわかった。地図は正しかった。伊能忠敬はすごい人だった。ぼくは震えるような感動を覚えた。


福岡に突入したぼくは、そのまま反時計回りで九州を一周し、さらに四国へと渡った。松山では、たまたま知り合った小学校の先生に、「ぜひ貴重な旅の話を子どもたちに聞かせてあげてください」と言われ、飛び入りで「ようこそ先輩」さながらの授業を行った。


中村洋太「みんなは、50メートル走を走ったことあるはあるかな?」

女の子「はーい!」

男の子「おれ8秒台!」

中村洋太「お兄さんは、神奈川県からここまで来るのに、50メートル走を50万回走ってきました。」

子どもたち「ええーーー!!!!?」

そして今治と尾道を結ぶしまなみ海道を渡り、広島まで戻った。そこで、ちょうど旅の期間として決めていた1カ月が経った。できれば横須賀まで自転車で戻りたかったけど、その後の予定もあったので、旅はそこで終わりだ。自転車を分解して輪行袋に入れ、広島からは新幹線で新横浜まで帰ってきた。自転車で10日間もかかった距離なのに、新幹線だと約4時間で着いて、悲しくなった。こうしてツール・ド・西日本は幕を閉じた。


30日間で、2700kmを走った。日本の全長に近い距離を、自分の力で走ったことになる。日本の大きさが、知識としてではなく、身体の感覚として刻み込まれたことは、大きな財産だと思った。この感覚ばかりは、どんなお金持ちにも買えないものだから。


忘れられない思い出もある。

長崎県、天草諸島で立ち寄ったラーメン屋。店を開けると、「わりぃ、今日はもうスープがなくなっちまった」と言われた。そうでしたか、と立ち去ろうとするぼくを、店主が止めた。

おじさん「ちょっと待て、おめえさん、そんな自転車で、どこから来た?」

中村洋太「神奈川県の横須賀からです」

おじさん「はぁ・・・・・ちょっと、待ってろ」

そういって、ビニール袋いっぱいに、カボスとチョコレートを入れてきて、渡してくれた。

おじさん「疲れたときは、カボスが効くから。気ぃつけてけよ~」


都会で育ったぼくには、そんな親切が、信じられないほど新鮮で、衝撃的だった。日本人はなんて温かいんだ、なんて優しいんだ。


様々な人との出会いや驚きの体験があり、そして数えきれないほどの親切を受けた。場所も聞いた。食べ物ももらった。相談もした。泊めてもらった。迎えに来てくれた。

それまでは、人に頼らないで生きるのが立派な人間になることだと思っていた。けど、まったく逆だった。人の助けを受けながら、そして困っている人を助けながら生きていくのが、人の世なんだと知った。だから今度は、ぼくが周りの人たちに親切にする番。そう思えただけでも良い旅だった。

実はこの旅が始まるのと同時に、ぼくは両親や友人への報告のためにブログを開設していた。今日は何km走ってここまでやってきた。こんな親切なおじさんと出会った。こんな素敵な場所があった。そんなことを、ただただ書いていた。そのうち、自分の知らない人までブログを読んでくれるようになった。「今日も頑張ってください」そんな些細なコメントが嬉しかった。


長旅を終えた次の日、自宅でパソコンを開くと、知らない女性から、一通のメッセージが届いていた。


「実はあなたのブログを読んでいました」


そんなひと言から始まる、見知らぬ女性からのメッセージは、ぼくの価値観を変え、そして1年後の人生までをも、変えることになった。

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Image by Jukka Aalho

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