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14/1/31

コネで適当に決まった就職がその後の生き方を変えた その6

Image by Olia Gozha

めげずに再挑戦したが

産業カウンセラーの資格にトライして、1年目は1次試験は通過したが、2次の面接で落ちてしまった。一緒に勉強していた歳の近い女性は合格したと聞いて、さらに落ち込んだ。2年目は1次試験は免除されるが、何もしないで、翌年の2次試験に通るとは思えなかった。

調べてみると、不合格だった人たちのための補講の講座があることが分かった。筆記対策、小論文対策、そしてもちろん面接対策もしてくれるというので、受講することにした。このクラスが、私には合った前年のクラスの講師の指摘は、なぜか私には厳しく聞こえてしまって、納得して受け入れることができずに萎縮するばかりだった。補講の担当講師は、物腰が柔らかく萎縮することなく話を受け入れることができた。

この補講の最後のころ、私よりも少し年上の女性と面接の実習をした。女性がクライアントで、私がカウンセラー役。女性の話を「うん、うん」とただ聞いていただけなのだが、女性が泣き出してしまった。私はそれでも、ただ「うん、うん」と聞いていただけだったのだと思う。その実習で、カウンセラーというのがどういうものなのか、ほんの少しだけ理解できた気がした。講師も「今のはとても素晴らしかった」と褒めてくれた。

カウンセラーの勉強を初めて、1年目の講座は物足りなくて本格的なものを目指した。2年目は産業カウンセラー養成講座を受講して、1次は通過したが2次試験は不合格。3年目、産業カウンセラー資格受験のための補講を受けて、手応えをつかんだ。つかんだのだが、このころに思った。「このままカウンセラーの勉強を続けていっても、カウンセラーにはなれないような気がする」と。カウンセラーを目指すからといって、カウンセラーの勉強だけするというのは、なにか違う気がした。重要なことが抜けてしまう気がした。

産業カウンセラー養成講座を受けているときも、小論文が上手だと褒めてもらっていたのだが、2年目の補講の授業でも褒められた。言いたいことがとてもよく伝わってくると言われた。そして、他の生徒さんたちの文章は、本当に、なにがなんだか分からないものが多かった。そちらのほうに驚いた。さらに、会社にレポートを書かされる機会があり、先輩や年配の社員さんとそれぞれ読み合った。ああ、一般的にはこういう文章を書くものなんだな、と思った。先輩と年配の社員さんには「すごい文章だね」と驚かれた。


自分は小学校のころは作文が上手だと言われていた。母はずっと小さいころから私の文章はとてもいいと褒めてくれていた。しかし、中学、高校、大学と成長するにつれて、作文を書くという機会も減り、文章を褒められる機会はなくなっていった。大学の論文は、文章の上手下手は関係なかった。逆に、書くことが苦痛ですらあった。私って、こんなに書けなかったっけ? と、思わされたくらいだった。

産業サウンセラーの補講の講座も終了し、2次試験の日が近づいてきても、「このままカウンセラーの勉強を続けるのは違う」と思い始めていた。その気持ちは日ごとに強くなっていった。そして気付いた。もっと、人生経験を積まなくちゃダメだ! と。他に、やりたいと思う仕事をして、結婚もして、子供も育てて、親の立場なども知ってからじゃないと、カウンセラーになんてなれないと、突然のように思った。違う、今はこれじゃない。いつかまた、時期がきたら、カウンセラーにふさわしい人間になるかもしれないけど、と。

そして考えた。そういえば、私はマスコミの仕事を目指していたじゃないか。大学卒業時点で、一時はマスコミ関連への就職を目指していたはずだったのに、それはもう叶わない夢と、すっかり諦めていた。でも、カウンセラーの勉強をすることで、一般的なレベルよりも少しは読みやすい文章が書けるらしいと気付かされるようになって、またマスコミの仕事への情熱が芽生えてきた。

そんな思いを抱いていたある日、新聞に専門学校の生徒募集の広告が載っているのが目に入った。いろんな学校の情報がずらっと一覧になっていた。その中に、編集者&ライター養成の専門学校があるのに気がついた。「こういう学校があるんだなー」と、よくよく見てみると、ある編集者&ライター養成の専門学校の中に「スポーツ科」というのを見つけた。その瞬間「これだ!!」と思った。

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