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14/2/1

コネで適当に決まった就職がその後の生き方を変えた その7

Image by Olia Gozha

夢に向かって

大学卒業時に、なんとなくイメージでマスコミを目指していた私。でも、たとえマスコミ系の会社に入っていたとして、何がしたかったんだろう? 大手の新聞社、出版社を受けるだけ受けていたけど、入社することしか考えていなかった。入った後のことなんて、そういえば、考えていなかった。ライター&編集の専門学校の広告に「スポーツ科」という文字を見つけたときに、「これだ! これだよ!!」と思った。「そうだよ、私、スポーツが好きなんだ」と。

子供のころから、テレビでスポーツがやっていたら、どんなものでも見ていた。最初にスポーツって面白いと感じたのは、たぶんロサンゼルスオリンピックを見たときだと思う。マラソンや駅伝、大相撲、野球(パ・リーグにしか興味なかった)、そしてもちろんテニスも。

スポーツ選手を追いかけて記事にする。そういうのがやってみたい!! 体の中からなにか熱い気持ちが湧いて出てきた。すぐに専門学校の資料請求をした。母には、「会社辞めて、この学校に行きたい」と伝えた。

ライターや編集者の養成の学校は、他にもあった。平日の夜などに授業が行われて、数カ月間で終了する講座もあった。でも、そういう講座を受けただけでは、その先の就職とかにつながらない気がした。私が通おうと思ったところは、しっかり2年間ある学校だったので、仕事は辞めなくてはいけない。学費は自分で出すつもりだった。

母はもちろん難色を示した。「仕事辞めて学校に通うのはいいけど、そのあとどうするの? ライターとか編集の仕事が見つかるかどうか、分からないのに」。そのようなことを言われたと思う。それはそうだけど、やってみなくちゃ分からない。学校に通えば、講師のツテで、編集の仕事とか紹介してもらえるかもしれないと、勝手に期待もしていた。

最終的に母は、「やりたいと思うのならやってみなさい」と言ってくれた。でも、「カウンセラーの資格がとれてからにしなさい」と言われた。確かに、今のままだと中途半端になってしまう。私も一度やり始めたのだから、きちんと結果を残して、そして次に行きたいとは思っていた。

産業カウンセラーの2次試験の面接は、合格だった。面接試験でクライアント役になったとき、なぜその話をし始めたのか記憶にないのだが、クリスマスの話をした。両親、特に母は私たちにサンタの存在を信じさせようと、いろいろと手の込んだことをしてくれていた。そんな話をしていたら、母親の子への愛情とかを感じてしまって、なぜか涙が出てきた。それが合格の決め手になったのかどうかは分からないけれど、前年のように盛大に会社の愚痴を言うよりは、印象はよかったのかもしれない。


産業カウンセラーの資格は合格。トータルで3年間カウンセリングについて勉強してきたけれど、一旦は終了。もっとずっと将来、勉強しなおしたって遅くはない。

そして専門学校に履歴書と志望動機のレポートを出して、しばらくして入学許可の案内が届いた。上司に3月末で退職する旨を伝えた。会社員生活は、丸4年になっていた。

2泊の新入社員研修、2カ月間のガソリンスタンド研修、3回の異動、やりがいを感じることもあったし、もちろんたくさんイヤなこともあった。でも、4年間の会社での経験は、ひとつも無駄なものなどなかったと思う。優良な企業ではなかったと思うけど、でも、人として成長できたのはこの4年間があったからこそだから。

退職する時期が近づいてきたある日、他部署の本部長に応接室に呼ばれた。私がコネでお世話になった方だった。結局、コネで入社したことは、私は誰のも話さなかったけれど。その本部長も3月末で退職することになっていた。入社時にお世話になった方と、同じ時期に会社を辞めることになるとは。

そして、本部長は「4年間、しっかり勤めてくれてありがとう。こんなにしっかりと働いてくれると思わなかった」と言われた。私はその本部長の“メンツ”をつぶさなくて済んだのだなと、そう言われてほっとした。

仕事をするうえで大切なことは「仕事ができる」と思われることではないと思う。大切なのは「あの人は信頼できる」と思われること。どんな小さなことでも、ひとつひとつを誠実にこなす、それが信頼につながって、人と人とがつながって、仕事を任されるようになるのだと思う。ときには失敗してしまうこともあるだろうけれど、そういうときは過ちを認めて、その失敗を次に生かそうとすれば、周りもフォローも得られるだろう。

大学卒業時点でマスコミへの就職の可能性がなくなり、これで私の夢は潰えたと思い込んでいたけれど、それは思い込みだった。自分さえその気になれば、道は開けると思った。専門学校に通えば、夢が叶うのかといえば、それはまだ分からないけれど、でも何もしないよりは一歩でも近づいていくはずだと思った。


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