コネで適当に決まった就職がその後の生き方を変えた その8
夢の実現
※一度投稿したのですが、手違いで本文を削除してしまい、再度投稿しています。「読んでよかった」を押していただいた方、すみません! 少し内容が異なってしまうかもしれないです※
4月からライター&編集者養成の専門学校へ通い始めた。もちろん学費は全額自分で出した。高校卒業して進学してきた子たちが多く、その中に27歳の私が混じっていた。でも、大学卒業してから入学してきた人、一度仕事をしてから入学してきた人など、歳の近い人や同い歳の人もいた。そんな中でも、八つ年下の友人もできた。
4年間の会社員生活と比べたら、学生生活なんて本当にストレスもなく快適だった。授業も、応用が利くからか、他の生徒さんたちとは比べものにならないくらい理解力が高かったようだった。ある講師には「前に編集やってたの?」と聞かれたこともあった。成績はひとつを除いて全てAで、所属するコースの主席で卒業した。そのひとつは、講師を尊敬できなかったので適当に済ませたら「B」された。「B」で結構と思った。
この講師とはまた別の人だけれど、講義を聞いていて、すごく腹立たしい思いをしたことがある。ある新聞社で長年スポーツ記者として働いていた“優秀な記者”だったらしいのだけれど、現役を引退して専門学校の講師をしていた方だった。その講師が、「記者になれるのは優秀な人だ」というようなことを言った。
優秀じゃない人は、総務や経理や人事にまわされるのだと。それを聞いて、本当に憤りを感じた。どんな分野にでも、優秀な人とそうでない人はいる。総務でも経理でも人事でも、その他の部署でも、仕事がよくできる人と、そうでもない人はいる。それが社会というものだと思う。世間をあまり知らない若い人たちに、そんな適当なことを吹き込まないでほしかった。何十年と記者をやってきたようだけど、なんて世間知らずなんだろうとガッカリした。私のほうが、よっぽど世の中を理解していると思った。
私が専門学校に通おうと思ったのは、講師たちから仕事の紹介をしてもらえるんじゃないかと期待したからだった。2年通っていれば、チャンスはあるのではなかと考えていた。入学して半年を過ぎたころ、新任の講師が来た。最初の授業を受けたときに「仕事を世話してもらうなら、この人だ!」と思った。そういう嗅覚はかなり鋭いほうなのだった。飄々とした感じの講師で、先生というよりも、面白いおじさんといった感覚だった。他の生徒たちも好意的に接していたし、飲み会などにも誘ったりしていた。
生徒たちの中には、学校の講師からスポーツ新聞社の仕事などを紹介されて、アルバイトをしながら通っている子も増えてきていた。そして、いちばん親しくしていた友人も私が“狙っていた”講師から仕事を紹介されて、編集部でアルバイトを始めていた。だんだん焦ってくる。「私にも紹介してください!」とリクエストしていたのだが、「あなたはもっとちゃんとした仕事じゃないと紹介できない」と言われ続けて、気付けば卒業の日も近づいてきていた。
仕事の紹介もなく、焦ってきた私は求人雑誌で編集プロダクションの求人を見つけた。そこは「実務経験あり」が条件だったけれど、応募だけしてみた。面接に行ってみると、社長と社員ひとりの極小の編プロだった。事務所を出て、近くの喫茶店に行き面接を受けた。面接は、普通はこちらがいろいろ話を聞かれるはずなのだが、そのときは社長の今までの足跡を2時間聞かされて終わった。とても不思議な面接だった。
そして、ちょうどそのころ、例の講師から「あるテニス雑誌が、テニスができる女性を探している」と紹介してもらった。こちらも面接に行ったら、やはり喫茶店で編集長と会うことになった。編プロの社長と違って、何も話さない人でびっくりした。そして、どちらからも採用の連絡をもらった。
テニス雑誌のほうは、社員ではなく編集部所属のスタッフという位置づけで、でも月給が決まっていた。編プロのほうは、実務経験がないので、採用したいけれど、アルバイトという立場になると言われた。テニス雑誌を選択する以外になかった。テニス雑誌のほうは、私ともうひとり候補がいたのだけれど、私が特技の欄に「お金を数えること」と書いたのが決め手になったらしい。前の会社で出納係をやっていたから、特技にそう書いたのだけれど。本当に、人生何が役に立つか分からない。
卒業の1カ月前に、テニス雑誌への就職が決まり、卒業も決まっていたのですぐに働き出した。ずっと憧れていた編集の仕事に就くことができた。諦めずにその道を進めば、実現するんだと思った。そして、翌月の3月に無事に卒業式を迎えた。
その当時、先など読めずに会社を辞めて専門学校に通うことにしたけれど、それがこれほど私の人生の分岐点となるとは思いもしなかった。編集の仕事に就くという夢を実現しただけでなく、将来の伴侶にも出会えた(詳しくはこちら)。
結婚相手と出会うというのも、ものすごい分岐点だと思うけれど、それと同等の衝撃を受けたものがあった。それが「車いすテニス」だった。
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