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14/2/2

母を自宅で看取り天涯孤独になった瞬間の話。⑧

Image by Olia Gozha

2003年9月1日 last 9 day


今日ものすごく久しぶりに綺麗な朝焼けを見た。

本当に綺麗だった。

朝6時ごろ処置に起きてカーテン開けたら、ひんやりした空気が身を引き締め、雲は下に降りて、空は綺麗に紅く焼けていた。

朝日を見ながら空気を吸ったらとっても気持ちが良かった。

母と一緒に牛乳を飲んだら、「うまーい、生き返るー。あ、でも生き返ったらだめか」と笑っていた。

昔行ったヒマラヤを思い出した。

あの時の朝日も強烈に美しかった。

あの時にも多くの人に感謝できたが、今日も心から感謝した。

母の髪をドライシャンプーで洗っていたら「風呂に入りたい」と希望がでた。

訪問ステーションの後藤さんに旭が丘の入浴介助サービスに連絡を取ってもらった。

介護保険を申請していないので実費で12000円かかるそうだが、即決でOKした。


出来るだけ体調の安定してる内に入れてやりたい。

今日は祖母がいなかったので何もなく穏やかに一日が過ぎた。

神様、穏やかな今日一日に本当に感謝します。


2003年9月2日 last 8 day


今日は朝から強烈に驚かされた。

朝8時ぐらいにチャイムが鳴るので出ると、目の前に親友のヒロがいた。

「驚かそうと思って、来た」と笑っていた。


友人と東京から札幌に旅行していたはずなのに、昨夜2人で夜行バスに乗りきたという。


2人共本州から遊びに来てるのに、俺に会いに函館まで予定を変えたらしい。

ドッキリ並にびびった。

そして、その熱い友情にかなり感動し、嬉しかった。

玄関外で話していると午前中に祖母が来た。

祖母にも悔いを残して欲しくないので、今日1日母の世話をまかせ、ヒロ達と外に出た。


祖母も「今日は一日外に行ってて良いんだよ、私にまかせなさい、大丈夫だから」と話すが、俺はちょっと不安だった。

ヒロ達と五稜郭を散歩したり、大沼までドライブに行って久しぶりに子供のように遊んだり、夜は函館山から夜景を見たりした。


遊んだー。

函館に来て初めてこんなにめいっぱい家を離れ、遊んだ。

ていうか、自分の知り合いに会うこと自体久しぶりだ。


いつ以来だろう。


本当に夜景が綺麗だった。

感無量。


俺にとって函館はやっぱり故郷なんだと実感した。

帰ってからなんかジーンとして涙が出た。

本当に本当にありがとう。

なんか、とっても大事なことを思い出させてくれて。

函館は家がなくなっても俺にとってかけがえのない故郷だ。


明日からもがんばろう。

ありがとう。

2003年9月3日 last 7 day

昨日俺が帰ってから母はやや疲れている様子が続いている。

祖母も朝から余裕なさげ。

昨日祖母に世話を任せたのは失敗だったか?



やはり2人にすると祖母はあれこれと忙しなくやろうとして、2人とも疲れてしまったようだ。

何やってるんだか。

せっかく任せてみたのに、死にそうな自分の娘にストレスかけてどうすんだろう。

失敗した。


祖母には午後からは自宅で休むよう一旦帰ってもらった。


入浴サービスの方達が今日下見にきた。

早くやって欲しいんだが、なかなか込んでるのか。

親も「早くしないと私死んでるよ」と冗談にならない冗談を飛ばしていた。

昼から母と俺の2人だけとなったが、静かになった分ゆっくり寝れたようだ。

俺も久しぶりに昼寝できた。

それにしても親の思考力が落ちている。

すっかりぼけぼけしてるし、開眼しててもぼーとしてる。

言葉も出てこないし、記憶もちぐはぐだ。

モルヒネの副作用か?寝てる時間が長いためか?代謝が落ちてきているのか?

いずれにしても、やはり悲しい。

切なくなる。

これが死に至る過程の一つか。

それでも、感情はしっかりしてる。

疲れたり、不安だったり、悲しかったり、楽しかったりするんだろう。

少し話ができる時、意味がわからず俺が適当に相槌を打ってると、母は時々笑う。


笑顔を見るとやはりうれしい。

明日は笑顔が増えればいいな。

2003年9月4日 last 6 day

最近「看護」についてよく考える。

今まで「看護」って「他人を世話すること」だと思ってた。


でも、ちょっと違う気がしてきた。



「私はこの人に世話してもらっている」と感じるのは対象である患者だ。

「世話をする」のが仕事ではなく、対象である患者が「世話してもらっている」と感じてもらって初めて看護が成立するのだろう。

対象が世話してもらっていると感じてもらうためには、対象に焦点を当て、注意深く、細やかな配慮が必要だ。

けど、側にいるだけでケアされていると感じることもある。


所長の存在がそうだ。

いるだけで、母も俺もとても安心する。



ようするに看護師の仕事を流れ作業的にやっても、それは看護にはならない。


やっぱり大切なのは、対象に対する思いやりの気持ちかなあ、と思う今日この頃。

しかし、思わず「そんなの仕事でいつも主任に言われてんじゃん、今更気づくなよ」と自分に突っ込みをいれてしまった。


今日は午前中母が自力で身体を起き上げることができたので、全身清拭、おむつ交換、更衣、足浴、ドライシャンプーで洗髪、洗顔、髪のブラッシングを行った。

髪の毛は自分でブラッシングかけていた。

生理的欲求を満たしつつ、セルフケアも充足したらすっきりとしたようだ。


しかし、昼からかなり長い時間午睡してた。

肉体的には緩やかな下り坂で経過している。

思考のほうは切ないぐらい弱ってきている。

口を開くと、なんかひたすらに息子の飯の心配ばかりしてる。


一人で回転寿司に行ったこと伝えると、大層安心した様子だった。


どこの世界でも母親とは子供の飯の心配してるのかなぁ。

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