世の中の癌と呼ばれて

次話: 世の中の癌と呼ばれて 第2回

「今日から私たちがあなたの親よ」


日本に来た1993年7月の事だった。


そのときの事ははっきりと覚えてる。

昨日まで自分は日本からはるか3万キロ離れたサンパウロ・ブラジルにいた。

僕が生まれて2週間後、母親は日本に行った。


出稼ぎ。


ブラジルの給料じゃ、生まれたばかりの子供を養っていくのは難しいという事で、日本に行けば当時のブラジル人の年収くらいの給料が一月で稼げてしまった。


僕の実の父親は、僕がおなかにいるときに浮気をし、他の女性の元に逃げた。

いわゆる父なし子だ。

おふくろが日本に行ってからは、母方の祖父と祖母とおじさんとおばさんに育てられていた。

そのときのことはよく覚えていない。

ただ、ブラジルの言語であるポルトガル語を話していた事は覚えている。

あの時は日本語なんて話せやしなかった。

記憶の残らないまま、日本に連れてかれた。

空港に着くと、知らない男と女がいた。

quen e voce?(おじさん誰?)
おじさん
こんにちは。お父さんだよ


そういうおじさんをみて、お父さんという言葉が何か奇妙なものに聞こえた。

というより、お父さんという存在が何なのか分からず、ただ不思議に感じる事しかできなかった。

おばさん
クラウディオ


僕の名前は、クラウディオ

その名前はブラジルにいたときから呼ばれていた。

そのおばさんは泣きながら僕を抱きしめ、その名を呼んでいた。

quen e voce?(おばさん誰?)
おばさん
eu so mamae(あなたのママよ)

お母さん?

それが何なのかも分からなかった。


ただ分かっていた事は、昨日まで一緒に遊んでくれたおばさんも、おじさんも、おばあちゃんも、おじいちゃんも、ここにはいないということだけだった。



その日の夜から、自称お父さんとお母さんとの生活が始まった。

見知らぬ町、見知らぬ言葉、見知らぬ景色。

新しいものばかりで、何も分からない自分がいること。

それだけは確かに分かっていた。



次の日から、幼稚園に通った。


当時住んでいたアパートからすぐ近くの幼稚園。


おばさんはその近くにある小さな会社で、電子機器の部品を作る仕事をしていた。


家に帰れば内職をしていた。小さな部品をはめて、何かの機械を作る部品だという事だった。


ポルトガル語で話してくれてから、僕でも話を少しだけ、理解はできた。


でも、それもできなくなる日がやってきた。


その日おばさんとポルトガル語で話していた。


おじさんは仕事から帰ってきていて、お酒を飲んでいた。


そして僕とおばさんがポルトガル語で話しているのを耳にし


おじさん
ここは日本なんだ、日本語で話せ

そして僕がいつまでもお父さんと呼ばないことにも腹を立て、殴られた。


おじさんは、アルコール中毒だった。


おばさんにも手を出すようになり、僕はおばさんに教えられて日本語を勉強するようになった。


それから1年も過ぎ、僕は幼稚園で友達と日本語で会話ができるようになっていた。


日本語で喧嘩し、日本語で話し、日本語で挨拶をし、いつしか家でおばさんとも日本語だけで会話するようになっていた。

おじさんの暴力も強まっていた。

そして、おばさんもおじさんの暴力に耐えながら、僕に手を出すようになった。

その日から、僕はおじさんとおばさんのストレスのはけ口になった。


仕事のストレス、いつまでもお父さんお母さんと呼ばないことに対する不満、それらが僕に暴力となり降りかかってきた。


はじめのうちは平手打ちやこぶしで殴られていたものの、次第にそれはエスカレートし、布団たたき、ベルト、フライパン、壁に頭をたたきつかられたりして、僕はただ泣く事しかできなかった。


痛かった。我慢できない痛さだった。


そして思った


 

この人たちを信じちゃいけない

その日から、僕の人生は変わりだした。

一人で遊ぶようになった。

それまでは、おじさんやおばさんが遊んでくれた事もある。だけど僕は親と遊んでいるのではなく、どこかのおじさんとおばさんに遊んでもらっているようにしか思えなかった。

生まれてすぐにブラジルに行った母親は、確かに僕の為を思っての事だったのかもしれない。

だけど、3年間も離れていた人を親だと思う事ができなかった。

だから、怒らせてしまったのかもしれない。それでも、僕はどうすればいいのか分からなかった。

でも、一度だけ勇気を持って呼んでみたことがある

お父さん

おじさんはお酒を飲んでいた。怖かったけど、なぜだかそのときいわないといけない気がした。


父親
いまさらお父さんって呼ぶな。お前のせいでお母さんと喧嘩が増えた。お前を連れてこなければよかった。

それが、おじさんからの言葉だった。


おばさんにその事を話してみた。


僕のせいでおじさんとおばさんは喧嘩をたくさんしてるの?
母親
そうよ。あんたなんか生まなければよかった

僕は望まれて生まれてきた子供ではないのだと伝えられた。

でも、泣く事はなかった。

そのときの僕は、毎日の暴力に耐えて、親の喧嘩を見て育った。

泣く事を忘れていた。感情すら素直に出せない自分でいた。

そのときから僕は、幼稚園を勝手に飛び出しては、どこかに行った。

公園の時もあれば、知らないスーパーに行くときもあった。

知らない人についていって、見知らぬところで警察に保護され、親が引き取りにくる事も増えた。

そのたびに暴力は増えていった。


そんな日々が数年も続き、僕は小学生になった。


入学式当日。僕は父親が他の苗字で、日本の名前で学校に行く事になった。


翌日から、いじめが始まった。

顔はどう見ても外国人なのに日本の名前で呼ばれる僕をみんな、不思議と思い、外人と呼ばれ、登校初日から僕は、学校が嫌いになった。

その日から行かなくなった。

義務教育9年間のうち、僕が実際に学校に行ったのは2週間くらいだ。

そんな僕も、今では大人になった。

そして、学歴なんかなくても人生はいくらでも生きていく事ができる。

それをこの人生で証明している最中だ。

これは、僕が今まで生きてきた人生と支えてくれた全ての人に感謝を込めた自叙伝です。


虐待、不登校、孤独、いろんな悲しみや辛い思いをしている人に少しでも


こんな馬鹿でも人生を生きている

だから、自分も前を向いて歩こう


そう思ってもらえると嬉しいです。


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世の中の癌と呼ばれて 第2回

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