ピンチ!日本企業。10年前のライブドアから学ぶ、今の我々に足りない働き方とは(1)
きっと、就活生にも、社会人にもある、「働く」ことに対する日々の迷い
※去年、こちらで書いたストーリーが意外に好評だったので、もう少し当時を振り返り、もっと伝えたいこと、そしてこれからに少しでも役立ちそうなことを書こうと思いました。
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先日、会社から帰る電車の中でおそらく女子大生と思われる二人組が会話していた。
ま、まあ、、、そうだろうな。できれば働きたくないのだろう(かといって家庭を持ちたい、とかとも違うのだろう)
誰しも、学校を卒業すれば、その多くは就職し、働く。
そんな自分も大学院を出るギリギリまで、早く働きたい、という気持ちは実は無かった。
なぜなら、家庭教師のアルバイト程度は経験があったが、今でいうところのインターンシップなどもなく、いわゆる「働く」という経験がほとんどなかったからだ。
経験したことがないことに対しては想像することしかできない。ましてや、毎日通勤電車で暗い顔をしているサラリーマンをみていたらなおさらだ。
だから、今どきの大学生が就職活動に対してポジティブになれなかったりする気持ちもわかる。
でも、例えば日本社会において「働く」、ということは元々そんなつまらないものだったのだろうか?
働いてがんばった分だけ給料が上がり、生活が豊かになっていき「いつかはクラウン(今は、ピンク色だけど)」を夢見ていた時代。でも、今は、何を求めて働けば良いのだろう。
日本の電機メーカーが次々とリストラを行い、かのSONYまで、主力のパソコン事業を手放した。
本田雅一のエンベデッドコラム(27):「これが新しいVAIOです」――ソニーPC事業の失墜と新会社に求められる新たなVAIOブランドの確立 (1/4) - MONOist(モノイスト) :
ただただ頑張る、作り続ける、売り続ける、そういうスタンスで働く時代は終わってしまったのだろうか。そもそも、働くということはどういうことなのか。
2006年1月、ライブドア事件が発生する前の時代を振り返ることで、あの急成長していた企業の原動力を考察し、働くということの本質に迫りたいと思う。
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