「電車に乗れない。外に出れない。」私が対人恐怖症を克服した「時代」を利用した方法
対人恐怖症というのは健常人には絶対に理解されない感覚である
・電車に乗るのが怖い
・コンビニに行くのが怖い
・電話するのが怖い
・女の子だけでなく同性でも話すのが億劫、怖い
・人とすれ違うのが怖い
はじめまして。整体師のmoritakaです。私は子供の頃から極度の人見知りでそれが対人恐怖症になるまでは時間はかかりませんでした。
しかし、「今の自分は嫌!」と常に思い続け、「時代」を利用した方法で少しずつ対人恐怖症を克服し今は思いっきり人に接する整体師をやっております。
対人恐怖症を克服するまでのストーリーです。
中学校までは極度の人見知り
私の子供の頃の記憶では元気活発で人見知りなどしなかったような記憶であるが、物心ついた頃から初対面の人がいたら母の足の陰に隠れるような子供だった。
だが、人口3000人程度のど田舎に住んでいたのでみんな顔見知りで、同級生は幼なじみのような感覚であまり知らない人と接する機会がなく中学卒業までを過ごした。
交通手段は車かバスのみで外に出て行く機会はほとんどなく都会の人には信じられないだろうがマックも食べたことがなかった。
高校は村から町へ
高校に進学とともに人口3000人の村から21000人の町へ引っ越した。
これは田舎もんの私からすれば驚異的で高校は知らない人間ばかりで本当に苦労した。
だが、一応極度の人見知り以外は特に問題なかった。
高校終盤からおかしいと気付きはじめた
高校も終盤に差し掛かると友人と電車に乗り市街に行く機会も増えていった。電車の乗り方は高校終盤に初めて覚えた。
友人と一緒なら問題ない。しかし、1人になると・・・
・電車に乗れない
・人とすれ違うとケンカを売られるのではないかと思う
・買い物にいけない
ということが重なり外に出れなくどんどん自己嫌悪に陥った。
この頃に外に出るのが怖く病気なんじゃないかと実感した。
女の子としゃべれないのが一つのきっかけで解消
中学校時代の同級生とはよく会っていた。幼なじみのようなものであるから、怖くはなかった。
そこで彼女がいる、いないの話しになり、私ともう一人の彼女がいない男の為に同級生が当時流行りのメル友を呼ぼうと言い出した。もちろん
と断固拒否したが同級生の道楽には関係ない。
当時バスケをしていたので、メル友を交え男2 女2のバスケ合コンみたくなった。
私はしゃべれないので一言もしゃべらなかったことを記憶している。気に入った女の子がいたのにも関わらず・・・。女の子が帰り
と主催者に伝えると
とその場でメル友に連絡
この待っている間は生きた心地はしなく顔を隠していた記憶がある。
こんな事自分の人生にあって良いのか・・・
その夜嫌いな電話をした。一度合った人間なら何とか話せた。話しがそれるのでここまでにするが、結局この女の子とは高校3年にして初彼女で半年程付き合った。
これが対人恐怖症を大きく克服できるきっかけとなった。ここからどんどん話しは進んでいく。
メル友にはまった時期
このメル友事件をきっかけに初対面で話すことや電話することは不可能だが当時流行の出会い系サイトにはまった。
今は無き・・・あるのか?スター◯ーチやMコミ◯などである。
当時は出会い系は忌み嫌われるような風潮だったので1人でこっそりとやっていた。
結局出会い系は20歳くらいまではやっていたが、メール→電話→実際に会うを繰り返しどんどん慣れて行き人見知りはあるものの恐怖感はなくなった。この時代でなければ出来なかった方法である。
女の子とは人並みに会話できるようになる
女の子問題解決から芋づる式で電車に乗れるように
最初は、電車に乗ってもずっと下を向いて前を見れなかった。寝たフリをしたり、携帯をいじるフリをしたり。
しかし、彼女ができ歩きまわる必要性が出たため、必然的に電車は乗らなければならなかった。
どんどん電車に乗り、自分のホーム化すると電車の怖さも次第に消えていった。
人に絡まれそうという恐怖は見た目を変え克服
彼女ができ、電車に乗れるようになっても消えなかったのは誰かに絡まれるのではないかという恐怖だった。
克服にはいいきっかけがあった。高校は卒業していたので、悪友に髪を染められ、ピアスを空けられたことをきっかけに見た目が豹変。
ピアスは最大7個くらいは開けていたように思う。今も跡が残っている。
そして、髪は茶髪、金髪、シルバー、白金など様々な色を試した。やっていると楽しくなってくるのである。
それからさらにスキンヘッドにしたり、編み込みをしたり、坊主にラインを入れたりと25歳くらいまでは好き勝手見た目を変えていた。
服装もB系、カジュアル、お兄系なども試し、ジャラジャラアクセサリーをつけたり今思えば恥ずかしくなる。
しかし、見た目を変えることで人間は自信がつくようで、絡まれる恐怖感などは消え、電車にも乗れ、コンビニも普通に行けるようになった。
広い世界を見れば今まで見てきた世界は小さくなる
対人恐怖症が強かった高校時代に免許を取りたいなど親に言えるはずもなく結局とったのは19歳の頃。それから車を手に入れ大きく変わった。
車は遠い所に1人でいける。色々な世界が見えるようになった。世界が広がれば今まで住んでいた世界がちっちゃく感じ車一つで自信につながった
プロバスケの試合観戦で1人で東京へ
少しずつ少しずつ対人恐怖症を克服し、人見知りはあるものの普通に生活は送れるようになった。ただ、県外へ行くのは海外へ行くのと似たような感覚で恐ろしかった。
そこに、大好きなプロバスケチームが日本に来る!との情報が。しかし東京・・・
その思いだけで、出会い系で活かしたネット検索スキル?を活かしバスケ掲示板などを駆使し東京に知り合いを作った。
そして、夜行バスの手配などの下準備をし22で初東京!
下準備が功を奏しバスケの知り合いもでき、人見知りの自分としては500%の力を出し切った東京遠征だった。
東京に行ったことが更に自信につながる
都会人にはびっくりなことだろうが、田舎者が都会に出るということは海外旅行と同等の感覚なのだ。
それを下準備し1人で行ったことが自信に繋がった。
・電車に乗るのが怖い ←問題なし。都内でも乗れたんだもん!
・コンビニに行くのが怖い ←問題なし。都内でも行けた!
・電話するのが怖い ←微妙。元来電話嫌い
・女の子だけでなく同性でも話すのが億劫、怖い ←女の子はまだ恥ずかしさがあるがほぼ問題なし。
・人とすれ違うのが怖い ←東京は人だらけだった
という感じになった。
東京へ移住し更にコミュケーション能力に磨きがかかる
プロバスケを見に東京に行ったことがきっかけとなり、東京の友人とルームシェアをすることになった。しかし、友人以外は全く知り合いがいない状況。
今までにない困難な環境が自分を奮い立たせた。
「知り合いが1人もいない→辛い→1日1人に話しかける」
当時はストリートバスケに夢中でよく代々木公園にいっていた。そこは日本人のみならず外人もおり皆知らないやつばかり。
「ここで1日1人に話しかける!」
という目標を作り、知り合いを作っていった。
「話しかける→メルアド交換→気に入った人とバスケ」
という流れを構築し東京での日々は寂しくないものとなっていった。
よさこいに参加し更に知り合いが増える
当時は知り合いの多さが一つのステータスになっていた。
自分のリズム感からは考えられないが、よさこいに参加しようと思いたちmixiを通じて、参加した。
ここで更に大爆発し知り合いも増え、飲み会にも誘われ、クラブ遊びにも参加するまでになった。
昔の自分からは考えられない進化だったように思う。
それから
私は現在も東京に住んでいる。結局東京に来た時にバスケやよさこいに参加して構築した友人網はほぼ使用していない。
対人恐怖症は健常人には絶対にわからない感覚である。これを克服するのに非常に役立ったのがネットやメール、掲示板である。
今の時代じゃない限り出来ない手法であるが、今の時代に生きているのは私達なのである。私は30歳なので後50年くらいしか現世には存在できない。
だから活用できるものはありがたく活用させてもらった。
しかし、根底にあった感情は「こんな自分じゃ嫌だ!変わりたい!」ということであった。その為に色々なツールを利用しただけである。
今の私はまだ対人恐怖症は若干あると思う。しかし、患者さんの前ではにこやかに笑顔は見せれるし自分を繕うことができるようになったと感じる。
もちろん無理なこともあるし、今も成長中であるし足掻いている部分もある。
こんな自分でいいと思う。昔みたいに肩肘張ることもない。
今の時代あなたはにはmixiやfacebook、ネットもある。
無理に人と話す必要性は一切ない。
あなたが本当にやりたいことをやればいいと思う。
私の場合は整体をやるに当っての情報は全てSNSやネットを活用しメッセージのやり取りから知り合いを広げていった。
今はそういう時代である。時代を活用すればあなたの生きづらい人生は少しでも生きやすくなるはずだ。
諦めないで少しずつ前に進みましょ。
と偉そうな口調ですいません!ここまでお読み頂きありがとうございました。
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