【筋肉は世界の共通言語】元高校球児が、10年かけ筋肉バカドットコムというサイトを作るまでの話。<4回目>

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自動車工場で2か月間を過ごす。それはまるで精神と時の部屋


 神奈川県の横浜駅から乗り継ぎ、さらに奥へと電車はすすみました、

初めて乗る路線をいくつも乗り継ぎ、時に駅員さんに教えてもらいながら工場がある最寄駅へたどり着きました。

駅ではワゴンのような車で派遣会社の人が迎えに来ており、言われるがままに車にのり事務所へと向かいます。

 どこかで働くということは就活などを経験された方のイメージとしては、エントリーシートを送り、

筆記試験や何度も面接を突破して、やっとという感覚があると思います。

 しかしこの様なタイプの仕事は、健康な体と根性さえ持ち合わせていれば、電話ごしに年齢や働く期間などを伝えて、もう合格なのです。

 条件はただ一つ「キツくても期間終了まで逃げるな」です。

僕の履歴書などは事務所に着いてから、提出しました。

 ほとんど読まれなかったと思いますし、特に驚いたのは働く動機なども質問もされなかったからです。履歴書はすぐにデスクへと置かれました。

 

 派遣会社の人は教えてくれました。

ここに来る人の目的はただ一つだから、いちいち聞く必要もないと、ただ”金を稼ぎにきた”シンプルにそれだけなのだと。

「じゃ。寮に案内するから」

はい。


5畳一間の和室、布団さえもない部屋


 鍵を渡されて2か月の工場勤務がスタートしました、そこで経験したこと、出会った人たちのことや交わした会話は今でもハッキリと覚えています。

 水商売の仕事を辞めて自分のバーを作るための稼ぎにきた男性、東北から沖縄へ移住する資金を出稼ぎにきた男性、自衛隊をやめて賃金の高い仕事を探して稼ぎにきた男性、彼女と駆け落ちしてひとまず稼ぎながら考えると住み込みで来た同性愛カップル。

それぞれが目的を持ち、お互いに多くを語らずに黙々と仕事をしていました。

 工場の仕事というのは、ベルトコンベアに流れる自動車のパーツにひたすら電動ドリルでねじを打ち込んだり、部品に不良品が無いかをひたすらにチェックしていきます。

 持ち場のローテーションなどはありません、朝から晩まで、自分の位置で同じ仕事をひたすらこなすのです。

 ねじを打ち込む場所にいる人は、1日に何千回も、十時間近く流れてくる部品に対して、ただただねじを打つのです。

それをずっと、毎日繰り返していきます。

当然納品数のノルマがかせられており時間に追われますし、休憩は自由にとれずベルトコンベアーのスピードに合わせるように、僕たちは仕事していきました。



労働環境のキツさにうんざりし、辞めていく仲間たち

 いろんな人たちが集まってくるので、新人が着たと思ったら1日で辞めていなくなったとか、派遣会社ん連絡もせずに寮から消えていたなんてことがありました、そのあと、彼らがどうなったかはわかりません。

ただそれだけは良くないよねと話し合っていた職場の仲間がいたのですが、

知り合って1ヶ月ほどしたある日、

「身体がもたねーよ!ふざけるな!」と休憩中に職場の仲間キレて一斗缶を蹴りあげてそのまま出ていき辞めていきました。

 猛暑が続く中、ノルマがきつくなり連日の休憩時間がたった5分しか貰えないという状況になっており、異常なほどストレスがたまっていたのです。

 この時は本当に僕も同じ状況で働いていたので精神的にも体力的にも疲労困憊しており、その男性が辞める気持ちは痛いほど理解できました。辞められるものなら、僕も辞めたい・・・。ただ引っ越し資金を貯める事と、2か月だけという期限があったため耐え

 辞められるものなら、僕も辞めたい・・・。

ただ引っ越し資金を貯める事と、2か月だけという期限が耐させてくれました。


 あと、1日がんばろう。それが終わると、あと、もう1日。


それを繰り返し、何もない部屋と、ベルトコンベヤーで繰り返される仕事の生活を乗り切ることができました。

なんとか無事2ヶ月を働き終え、生活費を差し引き、引っ越し資金の40万円を手に入れることに成功します。


東京に引っ越し、新たな仕事を探す

 東京の1Rを借りて求人雑誌で見つけた不動産会社のホームページ更新の仕事を見つけます。

そして応募し面接を経て、アルバイトとして採用されます。

東京ですぐ合格できたのには理由がありました、住み込みで働いていたときに、パソコンの雑誌を読み専門用語をある程度学んでいたことと、タイピングソフトで両手で文字を打つ練習をしていた為にパソコンに対して自信がついていました。

これで、僕は先輩に教えてもらいながらインターネットを覚え、パソコンもガンガンにマスターできるはず。

ついに念願のパソコン1歩目を踏み出すことなります。インターネットは初めて使うレベルだったのは内緒です。


教えてくれる先輩はいなかった。1ヶ月でクビになる

 アルバイトとして入ると、そこは事務職の女性ばかりで、男性は不動産の営業マンが1人。

パソコンのスキルを持った人は、いるにはいましたが、週に1日も来ない大学院生でしてほとんど会うことも話すこともない状況でした。

僕は未経験なので、職場先輩がある程度教えてくれるという条件で入っていたのですが、

それは不可能な状況となりました。

 ついにパソコンでyhaoo!が見れた!と無言で感動しているような男に、HTMLやJSP、フォトショップなどを駆使した複雑な業務ができるはずもなく、必死に本とインターネットで調べながら文字を変えたりしていく日々が続きます、しかしそのスピードは自分でも感じるほどにとてつもなく遅いのです。

1日かけて、数枚の画像や文字を差し替える。1日かけて、画像を言われたように加工する。というレベルです。

 しかし一度覚えた事は忘れずスムーズにこなせていく実感もあったので、3週間目にはこれは苦しいが時間の問題だとも思いました、ただそこに輪をかけて、メールソフトの使い方、エクセル、ワード、などの使い方も自分で調べなくてはいけません。この調べて覚える量はすさまじく大量に思え、プレッシャーとして圧し掛かっていきます。

 社長からまだ終わっていなのか!と怒られてしまい、

見事に頭がオーバーヒートしていくわけなのですが、ワードの基本的な使い方を半泣き状態で質問しにいくも、そんなのは家で勉強しておけよ!と社長に一括されて、すごすごと自分の椅子に座ります。

そしてまた遅いと怒られ、

 僕は昼休みに別のソフトの本を自腹で買い、それを読みながら仕事をしていたところ、社長に呼び出されました。

「職場は勉強する場所じゃないんだよ。勉強は家でやってくれ。悪いけど、もう今月で辞めてくれないか。」

僕は分かりました。と告げて帰りました。

落ち込んではいられません。

その帰り道、僕はもう一度求人雑誌を購入します。


未経験募集のプログラマ教育に応募し、運よく採用される

 僕が当時、仕事を探す条件にしていたことはたった2つ。

それはパソコンを使う仕事である事と、未経験でもOKとういうことだけでした。

求人雑誌の中から未経験募集のプログラマ教育という奇跡のようなものを見つけ、すがるような気持ちで新宿にあるベンチャー会社に応募しました。

 電話では不動産会社でホームページを更新していたことを伝え、なんとか面接にこぎつけます。

そこでかろうじて使った事があるソフトや行った業務内容を話す訳なのですが、

正直、一人で仕事ができるほどのスキルはまだ全くありませんし、パソコンの基礎でさえも、まだまだ分かっていません。

だから誰からに教えてもらえなければほとんど仕事はできない状態です。


もしこれが不採用になったらどうしよう・・・。

不安は常にあります。


しかし翌日、携帯に電話が入りました。

「遠藤さん。育成期間としてトレーニングしますので、来週から来れますか?」


その期間は給料はゼロですか?と聞くと、その期間も時給をキチンと払うという回答でした。

運がよかったとしか思えません。

僕には学歴も、実績も何もないのです。時給など払われなくても贅沢は言えないと思っていました。


ありがとうございます・・・。


ここから先輩に教えてもらいながら、プログラムの基礎から何から猛ダッシュをかけて勉強に励むことになります。もちろんテストがあるので家でも復習です。

約3か月の育成トレーニングに食らいつき、ついにアルバイトとして小さな仕事を任されることになります。

運よく、3か月学べる環境に恵まれたのです。


mixiというSNSとの出会い、これを待っていた!

 働き出して半年ほどして、職場の先輩からmixiというインターネットを使ったSNSに招待されました。そしてそこでついに、パソコンで念願の多くの人とつながるという体験を味わいます。

 多くのコミュニティーがあり、それぞれのプロフィールがあり、リアルと変わらない感情のドラマに溢れていました。

僕は日記でくだらない事を書き、マイミクしている人を喜ばせることを覚えます。

そしてそのあとはブログというモノにも出会い、そこでmixiと共に人を喜ばせる為に笑えるような日記を書くようになります。

 こうして僕はある程度の充実感を持って22歳を迎えるのですが、

筋肉バカドットコムをのちに作るきっかけとなる、人生の転機となった方たちと出会うことになります。

その方たちは、インターネット上で圧倒的なエンターテイメントを繰り広げていたのです。


つづく

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