8年間のバンド生活を辞めた今でもメッセージを届けたい理由
全国リリースをしようが人より高い舞台の上でライブをしようが僕は僕。
いつまでも臆病で寂しがりでネガティブな性格は変わらない。
人に褒めてもらうことや、必要とされることが僕にとって生きる糧になっていました。
だから毎日かじり付くようにSNSをチェックしていたし、自分を忘れられないように常に発信もしていました。
そうやってバンドマンとお客さんとの距離をできるだけ近くありたいと思い交流をしていると、応援だけじゃなくて悩み相談のメッセージをもらうようになっていました。
学校の事、進路の事、仕事の事、恋愛の事、友達の事。
いろいろな相談を受けました。
僕は自分が頼りにされていることが嬉しかったし、高校時代の自分にそうゆう環境があれば大好きなバンドのメンバーに話を聞いてもらおうとしただろうと思ったので極力相談にはのるようにしていました。
僕自身はネガティブな性格ですが、他人の悩みには前向きな意見を返していました。
それは僕ならこう言って励ましてもらいたい。共感して欲しいと思うことをそのまま返事していました。
それでも喜んでくれる人がいて、僕を"ヒーロー"と呼んでくれる人までいました。
世の中には自分からSOSが出せない人もいて、やり場の無い気持ちを自分と共に殺すしかできない人もいる。手を伸ばせない人もいる。
幸い今はネット上に自分の気持ちを独り言のフリをしながら吐き出す事ができる。
僕ならそれがSOSのサインだということに気づいて欲しい、腕を取って救い上げて欲しい。
悩みを相談できる人も、できない人も、一人を恐れている人もみんな救ってくれる人を欲している。僕自身がそうだったから。
誰かにとってヒーローであることが自分の存在を肯定するための手段で、人の為のようで自分の為。
弱い自分にリンクする人達にとっての"世界一弱いヒーロー"でいることが生き甲斐でした。
僕のバンドは後輩思いでいつも引っ張ってくれる素晴らしい先輩に恵まれていたので、高校時代のバカな自分を救ってくれたバンドとも共演させていただくこともできました。
打ち上げで憧れていたボーカルの方に挨拶していろんな話を聞かせていただき、最後に言ってくれた一言、
『諦めるなよ。メッセージは諦めない限り伝えられることができるから。』
という言葉は今でもこうして文章を書いて伝えようと思う為の糧となっています。
バンドがなくなった自分
7年続けてきたバンドはメンバーで話し合った結果解散することになりました。
青春という言葉の意味や定義はよくわからないけど、そのバンドで過ごした時間そのものだと思っています。
このバンドが終わったら僕の青春は終わり。と思っていた矢先、一緒にライブをしたり、同い年ということもあり仲の良かった友達のバンドからベーシストとして誘われました。
僕はプライドが高く負けず嫌いな性格なので基本的に人を認めないのですが、誘ってくれたそのバンドは数少ないかっこいいと思っていた同い年のバンド。
実は、そのバンドのベーシストが脱退すると聴く前のライブ中に1回だけそのバンドでベースを弾いてみたいと思った瞬間がありました。
同い年のボーカルの口から出る言葉や歌、メッセージに共感することが多くて、そのボーカルも僕と一緒で"弱い人間"であり、ステージに立ち、バンドマンでいることが自分の強みとして生きていました。
こんなにも自分にリンクする人の後ろで演奏できたらどれだけ幸せなんだろうかと思ったことがあった。
バンドはやりたいけど簡単にはじめれるようなものでもないし、今まで7年共にしてきたメンバー以外とは活動できる自信もない、やりたいことを全て詰め込んだ7年間を存分に楽しんだので次は就職して社会に出て行こうと思っていた時に、このバンドのベーシストの脱退を知り、もしこのバンドに誘われた時だけはバンドを続けようと思っていたわずかな希望が叶ったのです。
しかし、僕が加入して活動再開して4ヶ月目にボーカルが失踪し、解散しました。
ボーカルでもないのに歌詞を書いたり、ライブでは伝えたい気持ちを言葉にしてきたメッセンジャーとして過ごしていた自分でいれる時間がなくなった。
世間を揺るがすような大きな存在ではなかったが、自分の中ではなんの肩書きもない"普通の人"に戻った感覚でした。
本当のようで本当の自分ではなく、ヒーローと呼ばれることで理想の自分でいれることを保ち、胸を張れるほど自分の自信となっていた生き甲斐そのものが無くなった。
予期もせぬバンド人生の末路に納得いかず、また新しくバンドを組もうと思っていました。
当時は半ば意地だったと思います。
そんな時に誰と一緒にバンドがやりたいかと考えた、真っ先に浮かんだのが7年間組んでいたバンドの元メンバーのドラムでした。
そのドラムは年齢が僕より1つ下で三重県出身だったのでバンドの解散をキッカケに三重県の実家に帰りました。そこからまた大阪に呼び戻そうと思ったのが2013年の3月頭。
連絡をしようと思っていたものの面倒くさくて、また今度また今度と後回しにしていました。
そして、2013年3月9日、元メンバーのドラムは亡くなりました。
眠る直前までは彼女と友達と一緒にいてすごく元気だったのに眠っている間に心臓が止まってしまい起きなくなってしまったみたいです。
後に周りの人から聞いた話なんですが、亡くなる数日前に彼も僕と一緒にバンドがしたいって言ってくれていたそうです。同じタイミングで同じ事を考えていたのにお互いに連絡はせず。
あの時連絡してたら今一緒にバンドやってたんかな。今でもそんなことも考えます。
こいつのドラムでベースが弾かれへんのならもうバンドは諦めよう。
お墓を目の前に全てを実感し、バンド人生に区切りを付けました。
僕が文章を書く理由
僕の生まれ持った適当な性格が導いてくれた人生。
家からの距離で決めた進路も、勢いでバンドを組んだのも、バンドが解散してすぐに誘ってもらえたのも、ボーカルが失踪してしまったのも、一緒にできなくなったあいつも、全部決められたことだったのでしょうか。
ここまでやりたいメンバーと一緒に過ごしてきた生活と応援してくれた人たちがいたことは立派な財産であって、全てのことに後悔はありますが今となっては納得はしていますし、もちろん一番は感謝です。
思い出のような書き方をしてしまいましたが過去の物ではなく今も継続してそこに在るもの。
バンドを辞めた今も仲良くしてくれる友達がいて、なにをしていても応援してくれる方がいて、遠くで会えなくても心配してくれる当時のバンドのお客さんもいる。
そんな人たちと今でも近くで繋がって触れ合えるネットがある。
会って対面で話すことに比べれば薄情な部分もいっぱいあるが物理的に越えれない距離もある。
例えあったかい気持ちが形式張った冷静な文面に変わろうとも伝えたい気持ちも聞いて欲しい出来事もある。
そして、あの時ヒーロー気取りでいれた自分はまだ心の中にいる。
毎日を楽しく過ごしているどこかの誰かのもうひと笑いや、お昼休みの癒しになりたい。寝る前に読む心落ち着く場所にも。
小さな悩みを抱えて隠れて涙を流している人、ため息ついて会社から帰る人、吐き出せない気持ちを消化しきれずに苦しんでいる人、ベランダの柵に足をかけているあの頃の自分のような人たちには救ってあげられるような安心を。
メロディーに乗せることはできないけど、次はライターとしてたくさんの人の元へいろんなメッセージを届けたい。
また誰かのヒーローになれるように。
歪んだその世界の1日先を明るく照らせるような文章が書きたい。
諦めない限り伝わると信じて。
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