ロンドン留学物語<2>〜911、そして日本から遠く離れて感じた孤独と恐怖の体験〜

前話: ロンドン留学物語<1>〜人生を謳歌するフランス人シングルママに気付かされた幸せの秘訣〜
次話: ロンドン留学物語<3>〜都市伝説とシェアハウス、そして日本女性がモテるというのは本当か?〜

<1を読んで下さった皆様、どうもありがとうございました。あんまり細かく長く書いても誰も読んでくれないかなぁという予想に反して、たくさんの方に読んで頂けて嬉しかったです。またロンドン留学気分で読んで頂ければ幸いです。皆さん、紅茶のご用意はよろしいでしょうか?>


学校紹介

学校に申し込みに行きました。

到着翌日に学校で申し込み&支払いがあったので、初めて学校に行きました。
(留学にあたっては斡旋業者を通さず、自分で直接学校とやりとりをしていました)

どんな学校なんだろう・・・と思いを馳せつつ、案内してくれるというキャロル(とチョコレート)について行った。通りは閑散としていて、ポツン、ポツンとPUBやベーカーリーがあるくらい。この街には高い建物はひとつもなく、どの通りを見ても同じようなデタッチドハウスが並んでいる。

この周辺の土地は駅が一番高台にあり、駅からはどこへ向かって行くにも坂を下りて行くようなかんじだ。家は駅のすぐ横なので、学校はどんどん坂道を下り、とても低い土地にあった。家からは歩いて20分くらいの距離だった。

そしてついに学校に到着。

↓ここが実際の学校

デカい!こんなに大きいとは思ってなかったので、びっくり。

普通にイギリス人も通っている公立校だからだろう。教室はたくさんあるし、プールに食堂、アトリエなども備えている学校だ。都心の「日本人率98%」のような語学学校は、学校と言えど、ビルの一室というところが多かった。

正面入口はこんなかんじ。(ライトアップが綺麗な写真にしてみました)

立派な、趣のある、美しい建物だ。

毎日こんなところに通えるのかと思うと、わくわくした。

留学当時はデジカメなんていう便利なものがない時代だったので、当日フィルムカメラで写真を撮り、焼いて、両親に郵便で写真を送った(!)。こんなところで勉強するよ、って。

キャロル達とは門のところで分かれ、一人校内へ。受付でしどろもどろの英語で申し込みに来たことを告げる。事前に学校からレターをもらっていたので、とりあえずそれを手渡してみる。

受付のお姉さん
オーケー、じゃあ、2000ポンドね。
オッケー、じゃあこのカードで!
受付のお姉さん
え〜っと、カードは受付ません。現金でお願いします。
げっ、現金で2000ポンド?!(当時で約36万)
受付のお姉さん
はい、今日中に持って来ないと明日から授業とか出れないからヨロスク。
ぐわぁぁ〜〜〜どどどどうしよう!?

・・・クレジットカードで払う気まんまんだった。
まさか現金しか受け付けて貰えないとは!予想外!!!
払えなくて学校行けないとか洒落にならん!

落ち着け自分・・・・!!!どうしようどうしようどうしよう・・・・・。

わかりました!じゃあ今から現金持って来ますからっ!!!!!

駅のATMまでダッシュした。(道は超簡単だったので覚えてた)
カード限度額をMAXあげておいたかいがあった。
2000ポンドGET!!!帰りもダッシュで戻る。

はぁはぁ・・・お姉さん!げげげ現金持って来ましたこれ!!!
受付のお姉さん
げっ、札束!やばいやばい、セキュリティー!セキュリティー!(とイカつい黒人ガードを呼ぶ)この子大金持ってるから、支払いのとこまでついていってあげて頂戴。
どっ、どうも・・・。

その超大型黒人ガードと廊下を2人きりで歩いている方が、なんだか逆にコワかったような・・・。

というのはおいといて。なんとか別の場所での支払いを終えた。

とりあえず入学は出来る。疲れた・・・。


学校開始とクラス分け

学校初日、クラス分けテストがあった。レベル1〜5に分かれてて、レベル1はABCDから始めるレベル。5はネイティブ並み。

全然英語出来なかった私はレベル2に分けられた。(3は日常会話問題ないくらい)レベル2は30〜40人くらいの大所帯だった。その中で、日本人は私を含めて3人いた。

自己紹介まで他の2人が日本人だとは気づかなかったんだけど。「Hi! I'm Japanese...」で日本人同士だけ「おっ!」って目があうかんじ。

ここで出会ったのは、かおりとかっちゃん。2人ともこの後ずっと仲良くする友達になった。確か、みんな同じ年くらいだった。
さすがにこの公立校を選んで来ているだけあって、私達は最初から「日本人だけでツルむのは絶対やめようね」という話になった。必ず他の国の友達も作って、誰か外国人がグループにいる場合は日本語禁止という密約を交わした。レベル2なんだけど、気合は充分だった。

ちなみにクラス30〜40人の内訳は75〜85%くらい中国人、あとヨーロッパと日本っていうかんじ。

実は、数年前まで中国人の数はすごく少なく、韓国人が圧倒的多数だったらしい。ただ、韓国は政策か何かの理由で来れなくなり、逆に中国人は政府が承認?し始めたことでどっと人数が増えたとか。中国人の生徒、みんなめっちゃ若かった。16歳〜21歳くらい。要するに、いいところのお嬢さん、お坊ちゃん。

イギリスに子供を送って生活させるだけの余裕のある家庭の子が多く、皆総じて若いというのが私がクラスメイトに感じたことだった。逆に日本は自分が社会で働いて貯めたお金で自力で来てる人が多く、20代半ばくらいの年齢が多かった。ちなみに自分で貯めたお金で来てるのは日本人くらい。ヨーロッパ系の子たちは「オペア」と呼ばれる、住み込みベビーシッターの仕事をしながら学校に通ってる子が多かった。

学費はヨーロッパ系の生徒だと、私達が払った1/3くらいの値段で授業を受けられると聞いて、うらやましい!と思ったことを覚えている。

とにかく、そんなこんなでクラスも決まり、私の留学生活がスタートした。


いきなり、911

あの日は、学校が始まってまだ2日めだった。

レベル2は「ABC...」の正しい発音からやり直しで、まだクラスの誰も満足に会話出来ない状態だった。確か午後のクラスだったと思うが、授業開始を待っていると、教室に先生が血相を変えて入ってきた。そしてこう言った。

先生
asx:@ldu;gUS...haNY...djv/Piv:i/lfdjbo?!!!!!!!!

・・・みんな、ポカーン

そう、レベル2をナメてはいけない。早口過ぎて何言ってるかわからなかった。

いや、早口じゃなくても何言ってるかわからなかっただろう。

だってABCから習ってるんだから!かろうじて「今NYって言った??」くらい。

生徒のポカン顔に気づいた先生は、黒板に絵を描いた。

2つのビルだ。そしてチョークをカツーンと響かせて、激突させた!

・・・まだみんなポカーンだった。

結局「どうやらNYで何かが起きたらしい」くらいしか把握出来ないまま、その日の授業を終え、家に戻った。キャロルが「アメリカでの出来事、聞いた?」と聞いてきたので「何かが起きたの?」と逆に聞くと、テレビを付けて見せてくれた。



そこでやっと、映像を見た。仰天した。先生が言っていたことはこれだったのか。

映画みたいだが、これは実際に起きていることなのか!?というのが最初の印象だった。

異国の地に来たばかりという「非日常」に、更に映画のような激突シーンを見る「非日常」。誰も日本語で説明してくれるはずもなく、ニュースも英語で何言ってるかわからず、とても現実に起こっていることとして捉えられなかった。

そんな私を尻目に、キャロルは少し深刻そうな顔をして、こう言った。

キャロル
これはテロよ。次はイギリスが狙われるわ。

911の後、イギリスではまことしやかに「次はイギリスがターゲット」という噂が駆け巡っていた。それは、イギリスに来たばかりの私を戦慄させるに充分だった。やばいときに来てしまったんだろうか・・・と心配になったが、と同時に留学生の間ではこんな噂も流れていた。

「アジア人は狙われない」。

イギリスではイギリス人だけが狙われるだろう、というものだった。
911の後はイギリス全体が戦々恐々としていたように思う。

言葉がわからないながらも、そのひしひしとした空気感だけは感じていた。大規模なテロがあったときに異国の地にいるということを、ものすごく心細く思った。日本にいたら、あれほどの恐怖も感じなかっただろうし、自分の身に危険を感じるということもなかっただろう。

平和な国の日本人でありながら、テロの危険を身近に感じる、という経験をした。

世界中の中東の人間が911によって鼓舞され、イギリスでも何か不穏な動きがあるようだった。

そして現に、私自身も数週間後に恐ろしい経験をすることになる。


恐ろしい経験

そんな不穏な空気の中、私は留学生活を送っていた。

学校では知り合いも増え、日本人同士のネットワークが出来ていた。ツルまない、なんて言っていたけど、もしかしたら911の恐怖から、言語のわかる者同士繋がっておきたいという気持ちが働いたのかもしれない。私は東京出身なので、「同郷のよしみ」という感覚が、異国の地に来るまでわからなかったが、まさにこういうことなのだろうと思った。

ある夜に、6人くらいの日本人グループで近くのPUB"ROSE&CROWN"に遊びに行った。
ロンドンにはもちろんたくさんのPUBがあるのだが、ビリヤード台があるところも多く、"ROSE&CROWN"にも台があり、よく皆で遊びに行った。


ちなみにイギリスでは「ビリヤード」ではなく「プール」という。

誰かがプレイしていて、自分もその後遊びたかったら、台の脇にコインを置く。コインは「次やりたいから挑戦します」という意味で、勝者のみが台をキープし続けられる。

私は、実はビリヤードが得意で、大学時代から日本でもしょっちゅう友達とビリヤードをしに行っていた。大抵の男子には負けない自信があったので、その日もコインを"バチーンッ"と台に置き、2m近い大柄な男性とプレイし、勝った。男性は私の前で跪き、手の甲にキスをしてくれた!ワォ!

まわりの日本人の友達がヒューヒューと盛り上がる中、私はPUBの奥まった席に戻り、皆とビールを飲んでいた。時間は8時くらいだったと思う。皆リラックスして、楽しんでいた。


そのとき。

ガッシャーン、と大きな音がPUBの入り口付近で聞こえた。


皆一斉に振り返り、何が起きたのかと呆然としていると、

辺り一面が、一瞬で火の海になった。

戦慄した。
途端にPUB内が、大きな悲鳴の嵐で包まれた。

火炎瓶が投げ込まれたのだ。

入り口はすでに出られないほどの炎があがり、入り口付近にいた人たちが逃げ惑っているのが見える。

私達は一番奥の席にいたものの、出口が封じられていたら逃げることは出来ない。

大きな炎が入り口だけでなく奥のほうにもせまってきて、全身が焼かれるような熱さを感じる。私は無意識にひたすら悲鳴をあげ、もうきっと助からないと悟った。足がすくんで動けなかった。

PUBの店員の一人が咄嗟に消火器を火にかけるが、まったく効いていない。

逃げ遅れたカウンターにいた店員に火がつき、

生まれて初めて人間が目の前で火だるまになるのを見た。

恐ろしくて恐ろしくて、泣き叫ぶことしか出来なかった。

そのとき、さらに数人が消火器を持ち出し、火を止めようとした。

・・・1分後、なんとか火は消えた。

PUBの中は真っ黒な煤だらけで、店員、客、皆が号泣していた。凄惨な現場だった。

私達は恐る恐る店の外に出た。

・・・助かった。

安堵で膝から崩れ落ちそうになった。しかし震えは止まらなかった。

全て鎮火が終わった後、警察が到着した(なんて遅い・・・)。

私達は、無言で店の前に立ち尽くしていた。

私は火だるまになっていた人が気になったが、後日死者は一人も出なかったと聞いたので、助かったのだろう。これも後で聞いたのだが、火炎瓶はやはり中東系の人間による無差別攻撃だった。地元のイギリス人が多く集まるPUBを狙ったのだ。

日本ではきっと報道もされていないと思うが、下手したら「イギリス留学中の日本人6名がPUBで焼死」という記事が新聞に出ていたかもしれない出来事だった。


・・・私は助かった後、一人で歩いてトボトボと家に帰った。

10分くらいの距離だったけど、本当は一人で帰りたくなかった。まだ震えが止まらなかった。

でも、誰とも方向が一緒じゃなかったし、とにかく歯を食い縛って歩いた。

家には、2階に日本人のお姉さんが住んでいたので、家のドアから自分の部屋には帰らずに、そのままそのお姉さんの部屋へ行き、ドアをノックした。

夜分すみません、あの、今パブで火事があってそれで・・・あの・・・

話出した途端に涙が溢れてきて、止まらなくなってしまった。

お姉さんはびっくりして「大丈夫?」と肩を抱いてくれて、話を聞いてくれた。

その後、日本にいる元彼に電話をした。親は心配させるから知らせまいと思った。他に電話する相手が思いつかなかった。元彼は心配してくれたけど、とはいえ向こうは日本で昼間だ。いきなり泣きながら電話されても、迷惑だっただろうと思う。

このとき、あぁ自分は本当にひとりぼっちなんだなぁと思った。

故郷から遠く離れて、言葉もよくわからず、何でも話せる人がいるわけでもなく、ひとりの部屋で膝を抱いて寝るしかないんだなぁと、このときは孤独感でいっぱいだった。


この後、PUBにいた6人のうちの1人の男性とつきあうことになる。

次は、恋の話。


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