ど田舎にできた高校アメフト部がたった2年で関西大会に出た話(16.心意気は伝染する)
Yは、大きく地面をたたいた。
パス失敗で時間経過は止まり、残り時間は、2分50秒
三木高校は、重大な選択に迫られた。
あと1回の攻撃で、8ヤードを獲得して、更に4回の攻撃権をもらうか。それとも、8ヤードの獲得は難しいと判断して、パントを蹴って敵陣深くで梅宮高校に攻撃権を与え、その攻撃を4回で止めて、僅かな残り時間で再度攻撃するかのどちらかだ。
ここで、U先生は、タイムアウトをレフェリーに申告した。そして、クォーターバックのMと僕をサイドラインに呼んで、少し緊張した様子でいった。
「ギャンブルするで。右プロビアで右フェイクオプションからのフランカーリバースや」
「ここが勝負や。8ヤードとれへんかったら負ける。絶対に通してこい。行け」
U先生は、Mのおしりをポンとたたいた。
U先生は、残り時間からの関係で、パントを蹴れば次回の攻撃時間がなくなると判断していた。
右フェイクオプションからのフランカーリバースとは、フェイクオプションに見せかけて、右外に走るハーフバックにピッチするところを、その後方を右外から左に走るフランカーにピッチするスペシャルプレーである。
全くオプションプレイにみせかけることができるので、成功すれば大きく前進することができるが、クォーターバックとフランカーが逆方向に走りながら、ボールをピッチするので、タイミングが合うのはほんの一瞬しかない。高度な技術を要するプレーだ。
ハドルに戻ったMがいった。
「右プロビアで右フェイクオプションからのフランカーリバース。カンウト、ワン。絶対取ったる。Wk頼むで。ブレイク」
全員、パンと手をたたいて夫々のポジションにセットした。
「レディ、セット、ダウン、ワン」
センターのSがボールを勢いよくスナップした。
すぐにMは、ボールを持って右側に走り出した。3歩走ったところで後方から来た右ハーフバックのZにボールを渡すフェイクをして、ボールを抜くとまた右側に足を踏み出した。
その後方には、左ハーフバックの飛脚がついてきている。梅宮高校のディフェンスメンバーは、この時点ではっきりと右オプションだと認識していた。逆サイドのディフェンスの選手までもが、オプションを止めるべく、右側に集まってきている。
そして、梅宮のディフェンスエンドは、Mをマークし、アウトサイドラインバッカーは、脚の速いGへのピッチを警戒して、スクリメージラインを割ってきた。
U先生は、この状況を見て、しめた、と喜んだ。
ここで右側から左に向かってこっそりと走りこんでいたフランカーのWkにMボールをピッチすれば、誰もいなくなった左大外から簡単に8ヤード以上は、走ることができるからだ。
(いや、ひょっとするとタッチダウンや)
U先生は一人サイドラインでにんまりとした。
いよいよ、MからWkへのピッチのタイミングがきた。MはWkとすれ違いざまにボールをピッチした。神業と思えるほどタイミングは絶妙だった。誰もがこれで勝てると思った。
しかし、次の瞬間に悪夢が起こった。
何と、ピッチされたボールをWkが取り損ねてファンブルしたのだ。緊張して、手がこわばっていた。フットボールを始めて僅か1年の2年生には、荷が重かった。
「ワー」
観客席が大きくどよめいた。
転々と転がるボールは、まだどよめきが続く中、梅宮の選手が押さえ込んだ。攻守交替となり、その地点から梅宮高校の攻撃となってしまった。
その後は、気が動転している三木の僕らには、なすすべがなかった。続く梅宮の攻撃であっさりとタッチダウンを取られた。
無常にもレフェリーの笛が鳴り、負けが確定した。
32対21。
これで関西大会出場の夢は消えた。と、同時に3年生の引退が決まった。
全員その場に倒れこみ、しばらく動くことはなかった。
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