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14/4/1

29歳、フランスで女社長になりました。後編

Image by Olia Gozha

「アロズワー」って何!?

 そんなこんなで、セリーヌさんとの初日。

ワタシ「えーっと、何から始めれば・・・?」

セリーヌ「とりあえずこれと、これと、これと、それからこの花器で好きなようにアレンジを作って。花はこれと、これと、あと、これも適当に使っていいわよ。」

ワタシ「(すっごいアバウトな指示・・・)」

 写真は素敵な花屋さんですが、実際のアトリエはもっとこざっぱりとしてて、こんな感じのディスプレイの花はありませんでした。ひたすら花器やアレンジに必要な道具が並べられています。

 セリーヌのお店はブティックではなくアトリエといって、基本的に企業やホテル、レストランなどへの定期生け込み、結婚式などのイベント装花のみを請け負ってます。そのためお店にお花を買いにくるお客さんはもちろんいないので、接客はありません。日々の業務で必要なコミュニケーションはセリーヌとのやりとりだけです。


ワタシ「えっと、えっと、どうしよう・・・。」

セリーヌ「アロズワーはあそこ。ランプリーするのはここ。オッケー?」

ワタシ「えっ・・・(なんて言いました?なんの話してるんですか??)」

 完全になめてました。あまりのフランス語の分からなさに完全にパニック。語学学校で友人たちと「ボンジュール!コマンタレブー?」なんてのほほんと会話練習していた自分をせめました。

 「アロズワー」とはジョウロ。「ランプリー」とは水をくむこと、満たすこと。

  こんな基本的な用語すら理解できなかったなんて。一気に今後が心配に・・・。

セリーヌ「・・・アロズワーはこれよ!」

ワタシ「あっ、はい・・・!」

 そんなこんなで、初日はフランス語でのコミュニケーションの難しさを嫌という程実感したワタシ。

 こうして、セリーヌとのコミュニケーションに四苦八苦しながら、そしてここでもまた悔しさで泣きながら、日々の業務に食らいついていきました。ときには彼女から厳しく叱られることも。

 気づけば12月。地獄のクリスマス。ヨーロッパでは花屋が最も忙しくなる時期です。

ワタシ「明日は何時集合ですか?(7時くらいかな?)」

セリーヌ「朝の4時半。」

 この時期は日本での結婚式シーズンの忙しさをしのぐものでした。

 パリの12月はとにかく寒い。寒い中ホテルの外観の装飾。手が手首からもげるかと思いながら、10時間の作業×3日。ホテルの所在地が住んでいるとこの近くだったので、何度も逃げようと思いましたが、ベルボーイたちの励ましもあってなんとか成し遂げました。

 そしてこの頃にはフランス語でのコミュニケーションもなんとか困らない程度に。人間の適応能力ってすごいです。少しずつ「しんどい」という思いから「楽しい」と思えるようになっていきました。

 一旦余裕が出てくると、仕事で関わるクライアントのフランス人たちともコミュニケーションをとれるようになりました。

 「綺麗なお花ね。ありがとう」と言われることがなによりもの励みでした。

と同時に、「フレンチスタイルのフラワーアレンジメントをこの自分が、この手で作り上げてるんだ!」という実感が徐々に湧いてきて、仕事に対する情熱も日に日に高まっていきました。

 セリーヌもこんな私の面倒をとてもよくみてくださって、仕事以外でも困ったことがあったら何でも助けてくれました。


ごめん、雇ってあげることがもうできないの。

 日本でどうしても長期滞在しなければならない用事があったため、戻ってきたらまた雇ってもらうという約束をした上で、一旦雇用契約を打ち切って日本に戻っていた私のもとに、セリーヌからメールが来ました。メールにはアトリエの経営状況があまり良くないこと、私をもう一度雇うことができないことが綴られてありました。

 「ということは、もうフランスで暮らしていくことができなくなるってこと・・・?」


 とりあえず日本でのすべての用事を済ませ、フランスに戻った私は彼女に直接話を聞こうとアトリエに。



ワタシ「アトリエ、経営状態が悪いって・・・?」

セリーヌ「そうなの。大きなクライアントを失っちゃって。だからあなたを雇うことはもうできないの。ごめんなさい・・・。」

 こうなってしまってはどうしようもありません。私ができることは今後の身の振り方について考えるだけ。

 幸いワーホリビザからフランスに長期滞在できるビザに切り替えてたため、迫られた選択肢はフランスに残るか、日本に戻るかの二つでした。

 日本に戻ってまた以前の花屋で働くのか。(その花屋の社長からは戻っておいでと言ってくださってました。)それともフランスで雇ってくれる花屋を新たに見つけるのか。

 そんな葛藤の中、あるときセリーヌが彼女の自宅での夕食に誘ってくれました。

 

ワタシ「お誘いありがとうございます。(わぁー素敵なお部屋♪)」

セリーヌ「私の旦那も後から加わるから♪」

やってきたのはダンディーなおじさま

 二人でアペリティフを飲みながら、iPadで遊んでいたところに彼女の旦那さまが帰ってきました。

ワタシ「あっ!初めまして。こんばんは。」

旦那さま「どうも。ヴァンソンです。」

ワタシ「(ジャン・レノ?)」

  夕食をいただきながら三人で色んな話をしていると、どうやらヴァンソンは会社を経営しているということが分かりました。セリーヌもアトリエを経営しているので二人揃ってビジネスカップルです。

 4時間ほど話したでしょうか。それはそれはとても楽しい夕食会でした。


 一週間後、ヴァンソンからメールが届きました。

「今度僕のオフィスに遊びにこない?」

 早速オフィスに遊びに行った私は、彼から彼の仕事のこと、どうやって会社を立ち上げたかなど色んな話を教えてもらいました。ヴァンソンはビジネスパーソンとしてたくさんの経験や知識を持っていて、私の知らないあんなことやこんなことを沢山教えてくれました。

 フローリストとしてただがむしゃらに働いてきた私にとって、ビジネスを起こすということは、なんだかとてもたいそうなことで、株とか為替とかお金のことばっかり考えてるのかと思っていましたが、それは大きな誤解でした。

「ビジネスを始めるということは何かを生み出す、クリエイトをすることで、もちろんお金のことも考えなければいけないけど、人々を楽しませないといけいないものなんだ。」

それが彼のビジネスに対するポリシーでした。

私はその言葉に甚く感銘を受けたのです。人々を楽しませる。フローリストとして常に心に抱いていた「アレンジメントを見た人々を笑顔にしたい」という気持ちと何ら変わりがないことに気づいた瞬間でした。


 ある日、オフィスに3度目にお邪魔した際、いきなり突拍子もないことを話されました

ワタシ「相変わらず素敵なオフィスですね〜。」

ヴァンソン「だろ?ところで、最近かわいいウサギの夢を見てね。」

ワタシ「えっ・・・?(何の話ですか?)」

と、彼は突然ウサギの夢の話をしだしたのです。最初は全くなんの話をしているのか理解できませんでしたが、同時に私も似たようなウサギの夢を見たことを思い出したのです。

 またしても運命のいたずらなのか、それとも今度はウサギのいたずらなのか、そんなお茶目なヴァンソンと私はすっかり意気投合し、夢で見たウサギのをモチーフにしたキャラクターを作ることにしました。

ちなみに画像は作ったキャラクターの一例。風神とコラボさせてみました。

 日本に戻ろうかと悩んでいた私は、いつの間にかそのウサギに追いつかれ、追い越され、「日本に帰るよりボクの後について来たらもっとおもしろい世界を見せてあげるよ!」と言われた様な気がし、フランスに残ることを決意。

 こうしてジャン・レノ似のおじさまとのちょっとファンタジーな出来事をきっかけに、フランスで起業することを決意。現在はそのウサギのキャラクターを世に送り出し、人々を楽しませようと日々奮闘しています。なんの因果かフローリストからビジネスウーマンになってしまいました。

 

人生は何が起こるかわからないとはよく言いますが、本当にその通りです。

もし東京でSEの仕事を続けてたら?

もしカナダに行かなかったら?

もしフローリスト募集の求人を見つけていなかったら?

もしセリーヌを紹介してくれた花屋を訪ねてなかったら?

もしあきらめて日本に帰ってたら?

色んな偶然と、その瞬間瞬間に下した決断が、運命を変えていく。


明日、来年、10年後、どんなことが起きるのか楽しみです。


おわり

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