4月のある晴れた夕方に100パーセントのヤンキーにカツアゲされることについて
4月のある晴れた夕方、ゲームセンターの駐車場で僕は100パーセントのヤンキーにカラまれる。
たいしてイカツい男でもない。当然素敵な服だって着ていない。髪型だってリーゼントだった。歳だっておそらく十代だろう。とにかく、声をかけられるずっと前から僕にはわかっていた。

あれはまだ、僕がカレッジを卒業して就職もせず地元にも帰らず、フラフラしていた頃の話。確か24歳のとき。
1979年生まれでロストジェネレーションと言われる世代。当然、就職氷河期とタイミングがバッチリ合う。地元の不良だらけの工業高校を卒業し、まだ働きたくないという理由でFラン大学(偏差値40くらい)のアート専攻に通っていた僕が就職できるはずもなかった。そうして卒業して数年は、いくつかアルバイトを点々としていた。
その頃の僕は横田ベース(米軍基地)のある福生でアメリカンハウスに住んでおり、ベースの中にあるメキシコレストランで皿洗いのアルバイトをしていた。たしか時給7ドルか8ドルだったと思う。
昼過ぎに起きてアルバイトに数時間行き、夜は仲間達と集まってお酒を飲んだり、遊び歩く毎日。月給はせいぜい10万程度だった。
お金はなかったが時間だけは持っていた。毎日が楽しかった。村上龍の「限りなく透明に近いブルー」のような生活を地で行っていた。ただしドラッグや乱交はしていない。とにかく、それくらい自堕落だったという事だ。

その日は、いつものように仕事を夕方に終え、仲間達がゲームセンターでビリヤードをやっているというので、BMXで向かった。16号を10分ほど走るとゲームセンターに着く。
到着して駐車場にBMXを止めると、背後から男が近づいてきて威圧的に声をかけてきた。
男はかわいい犬が大胆にプリントされたスウェットのセットアップを着て、カンフーシューズの踵を潰してサンダルスタイルにしていた。髪型はリーゼント。恐ろしい形相でこちらを睨んでいる。

ところで、地方の方には信じられないかも知れないが東京でもヤンキーは沢山いる。むしろ地方よりタチが悪い。
中央線だと立川を過ぎると急に若者の質が変わる。スウェット・サンダル当たり前。とにかく男は僕にカラんできた。

24歳の僕には、本当に意味がわからなかった。

よく見たら男は明らかに十代の若者である。ここで初めて理解出来た。
僕はというと、バンダナの上からキャップを斜めカブりしており、パーカーに太めのチノパン。だけど童顔で痩せ形。似合ってもいない。男からしたらどうみても同世代の、完全にカモだ。

しかも僕は不良だらけの工業高校を卒業しているからといって不良では無かった。工業高校には大きく別けて3パターン存在する。
(1) イケイケの不良
(2) 純粋に建築や電気や機械を学びたいギーク
(3) ただ単純に勉強が出来なかった
僕は残念な事に完全に(3)のパターンだった。頭も悪けりゃ体も弱い。ケンカなんて自信がある訳が無い。そしてどう考えてもカツアゲフラグ立ってる。しかし、仕方がないので正直に答える事にした。

わかるはずがない。ここは東京の福生市で、僕は新潟の出身なのだ。しかも、どうやら敵対している中学のようだ、羽村二中は。本当に参った。

ようやく相手も状況を理解してきた。でも俄然ひるまないのだ。

やれやれ。やっぱり年下じゃないか。僕は敬語を使って欲しかった。

きた、カツアゲ。やれやれ、やっぱりカツアゲだったのだ。

日本円は!!
そう、当時のアルバイト先は給料がドル払いだったのだ。


こうして男は諦めて帰って行きました。ヤンキーの彼にとってはドル札は紙切れと一緒だった。アルバイト先がドル払いでよかった。

というウソのような本当のお話。ありがとうございました。
割と波瀾万丈な人生と言われますのでまた何か書きます。次の話は、その数年後の新興宗教の勧誘に遇ったときの話。たぶん。
つづく
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