車いすテニスに出会って感激して、このスポーツを報道したいと思っていたら念願が叶って、気付けば世間に追い抜かれてた話 第7章:例の夫、大活躍過ぎる

前話: 車いすテニスに出会って感激して、このスポーツを報道したいと思っていたら念願が叶って、気付けば世間に追い抜かれてた話 第6章:行くぜ、ロンドン!!
次話: 車いすテニスに出会って感激して、このスポーツを報道したいと思っていたら念願が叶って、気付けば世間に追い抜かれてた話 第8章:ロンドン・サバイバルは続く

予想以上にサバイバル

そう頻繁に海外に行くほうではない私は、自分ひとりの準備だっててんやわんやなのに、自分の用意+子供ふたり分の準備までしなくちゃいけない。私が好きで子供たち連れていくんだけどさ。でもさ……。最初の難題はオムツ! ロンドンなんだからなんでもありそうだけど、やはり紙製品は日本製に勝るものはないみたい。もちろん値段も日本は格安らしい。他にもいろいろ持っていきたいものはあるのに、トランクの半分近くがオムツで締められるという……。

とにかく、自分のものよりまずは子供たちのものが最優先! 洋服も春物、夏物、秋物と揃えなくちゃいけないし、そういう準備に加えてPCやカメラなど、取材の用意も。そんな私を見兼ねた夫が、カメラやPC関係など、私の仕事に必要なものの準備をしてくれていた。夫は海外に限らず、旅行に行く際の準備は本当に大変。これに関してはここで詳細に書くこともないかと思うので割愛するけれど。

そんなこんなで前日の夜まで慌ただしく準備が続いて、ドキドキの当日を迎えた。幼稚園の年中だった息子は2学期の始業式だけ出席して、翌日ロンドンへ発つというスケジュールだった。朝6時台の成田エクスプレスに乗るために、4時ごろ起床。これからの10日間、どんなことになるのか、もちろんワクワクと楽しみな気持ちもあったけれど、本当に不安のほうが大きかった。

本当に小さいハプニングがたくさんあり過ぎて、ひとつひとつ書いていると何年かかるか分からないので、ざっと書き進めてしまうけれど、とりあず夫は現地に着いてから大活躍で、通訳、運転手、子守り、食事係、観光ガイドとありとあらゆることをやってくれた。旅行手配中に「健常の人だったらなあ」と思ってしまいそうになった瞬間もあったけれど、本当にすみませんでした!

夫は地上に降りてさえいればほぼ怖いものはないのだけれど、飛行機の中は自分の車いすにも乗せてもらえないために、好きなときに好きなところに移動もできない。トイレも極力行かなくて済むように、水分等を控えめにするなど究極に気を使って過ごさなくてはならない。とにかく「12時間、何事もなく現地に着いてくれ〜!!」と祈っていた。子供たちは、1歳8カ月の娘は、壁に取り付けてあるベッドでよく寝てくれて助かった。息子のほうは、離陸直後に寝て目を覚ましてから覚醒し続けていたため、相手をするのが大変だった。息子の寝る時の大事なおやすみアイテムを機内に持ち込むのを忘れてしまったために寝られなかったというのもあったようで、親としては反省。ロンドン着陸直前に疲れがピークに達して寝てしまった。

とにかく、12時間の長旅を終えて、ついに家族でロンドンに降り立ったのだった! 本当に行くの? と、ずっと半信半疑で過ごしてきたけれど、本当に来ちゃったよ!! そして、サバイバルが始まった。

まず、空港で荷物を受け取ってからレンタカーの場所まで行くのが冒険だった。でも、ヒースロー空港の係員さんはみんな感じもよくて、車いすと子連れの私たちをとても温かく案内してくれた。息子はもともと、やたらコミュニケーション能力の高い子供なのだけど、ロンドンでも相変わらなかった。突然英語だらけの環境に身を置くことになったにも関わらず、知っている英単語を並べてなんとかコミュニケーションをとろうとする姿には脱帽した。この、息子のコミュニケーション能力の高さは夫譲りだと思われる。


第1の難関 アクレが手に入らず

私はパラリンピックの取材があるので、ロンドンでアクレディテーションを取得しなければならない。事前にその控えのようなものが送られてきていて、それを持って正式なアクレを作成してもらう手続きをする。手元の資料によると、空港でそれができると書いてあったので、ロンドンに着いたらまずアクレの手続きをしようと思っていた。が、夫の通訳によると、今日はもうここでは手続きしてないので、明日オリンピックパークのメディアセンターに行って手続きしてくれ、とのこと。えっ!? 明日は朝から取材しようと思っていたのに、っていうか、メディアセンターまで行かなくちゃいけないってことは、夫と子供たちと別行動しなくちゃいけないってこと!? え……どうしよう。

第2の難関 レンタカー、やべえ

アクレをもらえないまま、まあ、しょうがないや、とりあえず気を取り直してレンタカーだね。またそのレンタカーの事務所までが遠かった。バスに乗って、どこまで行くのー?? という感じ。旅行代理店は、本当に用意してくれているのだろうかって不安もあるし。そして、レンタカーの事務所まで行って案内された車が、どう見ても小さい。これじゃあ荷物が乗らないよー。夫があーだこーだしゃべってて、どうするのかと思ったらちゃんと車を変更してもらってた。さらに、難関だったのが、手動装置!! ちゃんと手動装置付きのが用意されてはいたのだけど、その手動装置っていうのが着脱式の手動運転装置で、実際はもっとしっかりした物もあるのだと思うけれど、ロンドンのそれはちょっと心もとなくて操り人形でアクセルとブレーキを操作しているような感じだった。

※下の写真は、実際のロンドンのレンタカーのものではないです。似たような雰囲気のものを見つけたので参考までに載せました。

夫も、その手の手動装置は初めてだったらしく、レンタカー屋の歩けるけど足の不自由なお兄さんに使い方を教わって、とりあえずレンタカー屋の駐車場内を走って練習していた。初めての国、初めての道、初めての手動装置で、さすがの夫もドッキドキ〜♡ 12時間のフライトを終えて、日本時間で夜中の2〜3時ごろに、とりあずホテルまで運転しなくちゃいけない夫。私は景色を見ながら気を紛らわすことくらいしか言えないっていうね……この能力の低さ……すんません。

第3の難関 息子を運ぶ

ヒースローから30〜40分ほどで、ようやくホテル周辺へ。交通量も多く、慣れないナビ、慣れない手動装置で、本当によく運転してくれたと思う。ようやくホテルの前に到着したけれど、さて、どこに車を止めるのか。車いすの夫は、さっと車から降りることができない。必然的に「聞いてきて」と言われる私。やっぱり私っすか……? 何をどう話したのか、記憶にもないけれど、なんとか分かってくれたみたいで、駐車場に案内された。それにしても、狭過ぎるよ。これじゃ夫が車いすから降りられないよー。この日は広めのスペースを確保してくれて降りられたけど、翌日から駐車するたびに苦労することになる。

ロンドンに着いたときには、覚醒して元気だった子供たちも車に乗って揺られているうちに熟睡してしまった。大量の荷物と子供ふたりを部屋まで運ばなくてはならない。もちろんホテルのお兄さんが手伝ってくれたけれど、さすがに寝ている子供を運ぶのはお願いしにくいものね。下の娘はベビーカーだけど、5歳の息子は抱っこで運ぶしかない。とりあえず地下の駐車場からロビーのソファへ。

ホテルのロビーに着いて、さて宿泊の手続きをしようと思ったそのとき、ホテルのお姉さんが電話が来ていると。「ん? 私たち宛に電話って??」。夫が替わると、なんと旅行代理店の担当の方が、ホテルに無事に着いたかの確認の電話を入れてくれたのだった。なんというプロフェッショナル! これはちょっと感動した。

というわけで、無事にホテルの手続きも済み、大量の荷物をホテルの方に運んでもらい、夫は娘が乗ったベビーカーを押して、私は5歳の息子を抱っこしつつ荷物も運んで、ようやく部屋に落ち着いた。寝ている5歳の子供を運ぶのって、私にとっては重労働だった。これをロンドン滞在中、何度やったことか……。

完全に熟睡してしまった子供たちは、パジャマに着替えさせても全く覚醒する気配もなく、結局夕飯も食べずに朝まで寝てしまった。私も、もうとにかく寝たいと思っていたのに、夫は「ちょっと食料を調達してくる!」と出掛けてしまった。どんだけバイタリティーあるんだよ。夜も遅かったのでやっているお店が少なくて、この日はあまり満足できる食材に出合えなかったけれど、夫の食事係としての嗅覚は日に日に鋭くなっていき、滞在中に食事での失敗はほとんどなかったのだった。夫、すごいっす。

さてさて、さらに大変だったのはロンドン滞在二日目だった。サバイバルはまだまだ続く……。

著者のSakai Tomokoさんに人生相談を申込む

続きのストーリーはこちら!

車いすテニスに出会って感激して、このスポーツを報道したいと思っていたら念願が叶って、気付けば世間に追い抜かれてた話 第8章:ロンドン・サバイバルは続く

著者のSakai Tomokoさんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。