私のアメリカ移住 (4)

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離婚後、3歳の息子の手を引き渡米。私の条件下で出来たアメリカ移住。その経緯を語る、連載実話。


町役場からの連絡

実は、私の父親が亡くなる前に、一つだけ私に残せた物が有った。

いきさつは、前にも書いたが、

父の名義の物は、全て、一つ残らず、前妻の息子2人の名義にすり替えられてしまった。

が、父は、私が大人に成った時に、役に立つ様にと、一つの"山 "
を買ってくれたらしい。
そこに、私が生まれた年に、杉の木を植えた。

これが育てば、私が大人に成った時に、その木を伐採して、家を建てる木材に成る、もしくは、木材を売ってもお金になると…

メチャメチャ山奥に位置する、行ったことも無い山。

この山だけは、父の名義では無く、私名義だったので、父の実印でも、操作出来ず、前妻の息子達に乗っ取られる事が出来なかったようだ…

町役場からの連絡は、
その、山に、町の林道の一部が通るらしく、通ると言うより、
カスル、
と言う感じ。

数メートルの私の山を削る事に成るので、それに同意すると、現金が出るとのこと。

金額は、数メートルで
130万円!

速攻、オーケーを出して、書類を送ってもらった!

130万円!
母子家庭には、凄い大きなお金!

その一部のお金を利用して、
なんと、友達とのアメリカ旅行を計画!
息子は、私の母親に預け、
友達3人・私と計4人での
ロスアンゼルスへの旅が実現した!

が、旅の前に、不思議な事が起こる。

私には、これぞ幼馴染と言う人物がいる。

彼は私と同い年。
私の母親が、父親と出会った、あの、割烹料理屋の息子の息子なのだ!

彼(S)は、4月生まれ。
私は、8月生まれ。
母親が私を産んだ時には、すでに割烹料理屋の仕事は辞めていたが、
ちょくちょく、顔出しに遊びに行っていた。
私とSは数ヶ月違いなので、よく遊んだ。

そのSは、彼が中学生の時にアメリカに移住していた。
彼のお父さんがロスアンゼルスで、寿司職人として、仕事を見つけたからだ。
お父さんは、割烹料理屋を継がずに、
当時二回目の結婚相手と子供達を連れて、アメリカに渡ったのだ。

Sがアメリカに移住した後、その後、Sは単独で日本に帰り、20歳位の時に一度だけ会ったのを最後に、

未だ日本にいるのか?

アメリカに戻ったのかも、

全く音信不通だった。

そのSが、実は地元に帰ってきていて、
私の友達の一人に偶然会い、

私に会いたがっていると連絡が入った!

幼馴染との再会と、アメリカ旅行


幼馴染との再会は、不思議なタイミングだった。

幼馴染との再会の約束の日。

その日、仕事が終わって、母親に、息子を預け、

Sと会う。

積もり積もる、過去10年程のお互いの歴史を、数時間の間に話さなければ成らない。

ものすごいスピードとエネルギーで、会話をした記憶が有る。

それはそうだ。

会っていない間に、結婚をし、出産、離婚もしているのだ!

話すことは山ほど有る!

どんな順番で話したか、内容は覚えていないが、お互い全部伝わった感は有った!

そして、今、友達とアメリカ旅行の計画を立てている話もした。

数ヶ月以内には、アメリカに行けるように、会社から休みをもらったり、チケットを買う話もした。

すると、Sは、

「ベガスにいる、親父に会いに行けよ!話をつけておくから、空港にも迎えにいかせるし。」

との事。

ロスアンゼルスで寿司職人として働いていたSのお父さんは、その後、寿司職人では無く、和食レストラン経営を手掛け、ラスベガスに拠点を置いて、数件の大型和食レストランをラスベガスに持っていた。

友達との旅行予定地は、ロスアンゼルス。
そのうち、一泊だけ、私一人で、ラスベガスに飛び、Sのお父さんと会うことに成った…

それからSとはマメに連絡を取り合う。


そして、
数ヶ月後、息子を数日間母親に預ける罪悪感と戦いながらも、
友達との5泊6日のアメリカ旅行決行!

今回の旅行の宿泊先は、ホテルでは無かった。

友達の一人が、ロサンゼルスに留学して、そのまま現地に居た日本人で、すでにグリーンカード保持者であった人と結婚しており、その人の手助けで、タイムシェアの、コンドミニアムを旅行の間、借りれる事に成って居た。

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