華僑大富豪の懐に入ることができた最初のキッカケは「素直さ」を持っていたことだった

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前話: 憧れの南国アーリーリタイアしてみたら暴飲暴食で激太りしただけだった件(笑)

商品の良さ、本来持つ世界観を、日本独特の文化の結晶である商品パッケージを通して、香港現地の方々に理解してもらうことができたのだ。


香港だけでは無い。同じく日本風デザインのパッケージに同意してくれた他の国。当時僕が香港から営業&マーケティングとしての担当していた、台湾、中国本土、タイ、ベトナム・・・などの他のアジア各国と地域でも、売場での販売具合が跳ね上がった。


なぜか日本にも、「香港版」として逆流して輸入されるようになって、ヤフオクとかでもカテゴリーができはじめた。


それまでも、大人向けの商品は、日本語版そのままの商品で、買って頂けることが確認されていたが、子供向けの商品では、「現地の子供たちは日本の文化を理解できず買ってもらえない。」とされていた。


結果、商品パッケージを、日本独自のデザインを活かしながら、英語を組み込む。。。ローカライズ(現地化)を行ったことで、アジア各国の子供たちにも、日本から来た商品として、購入頂けることが分かったのだ。


その年・・・僕は香港赴任初年度でありながら、過去最高記録の売上・利益の結果を叩きだすことができ、本社で表彰された。どちらかと言うと、約4年間、日本の本社で勤務していた時の僕は、うだつがあがらないダメダメ社員で、表彰など夢のまた夢だった。


この手の表彰を受けたのは、社会人になってはじめてだったので、「記念の盾」を家宝として大切に、押入れの棚の上に飾っていた(今でもある。笑)。



▼日本人自体が日本の文化を理解できずに起こる機会ロス


挙げたのはあまりにも分かりやすく単純な例だが、時として日本の文化というものは、伝える側の日本人自体が、ポイントを良く理解していないことがある。


異国だから、海外だから、アジアだから、僕たち日本人自らが勝手に創り出してしまった、「海外は日本とは違う」という先入観によって、思考を止めてしまうことがある。


たとえば、日本の昔ながらのメーカーに良くあることだが、「メーカーにはメーカーのプライドがある。メーカーは商品のことは、メーカー自身が全て決めることが重要だ!」これが、大多数の日本のメーカーの人間の脳内を占めるセオリーだったりする。


結果、メーカーの人間が、あくまでも日本国内で培った過去の常識を元に、海外に展開をしようとするわけで・・・結果として現地との接点を全く見出すことができないまま、推し進めてしまっていたりするわけだ。

「アジアではこの商品は売れないね・・・。」


商品を対象国に販売した製造メーカーの担当者が「アジアでは売れない」と決めつけてしまい。

現地代理店
「日本の商品は日本をよく理解しているお客様じゃないと買わない。」


商品を日本の製造メーカーから購入して、現地で販売する販売代理店側も、「日本の商品はごく一部の日本フリーク(マニア)しか理解しない」と決めつけてしまうようになる。


結果として、本来日本の製造メーカーが培ってきた素晴らしい文化が元になって創られた商品を、アジア各国の現地の方々に理解してもらう機会を損失してしまうのだ。


だから僕は、本来その商品(モノ・情報・サービス)そのものが持つ、日本の文化特有の世界観や設定などを大切にしながら、アジア各国現地の方々との最良の接点を探り、本当に「現地化」する形で、現地に伝承して行きたい。。。というスタンスの元、香港での業務に取り組んだ。


「メーカーの常識」ではなく、あくまでも培ってきた文化を現地化させるために。現地で「素直」に思ったこと、感じたことを、販売代理店に確認を取りながら、その中でのやりとりで出てきた妥協点というものを、疑うこと無く実行したことで、突破口を見出したわけだ。


まあ、キーマンとか呼ばれる方々がたまたま異動になっていたりの入れ替わり人事で。結果として、香港に赴任したばかりの、当時の直接の上司が、タイ人とシンガポール人で、「なんでもやっていいよ!」状態だったのが恵まれていた。


それでも引き続き周りの日本人系の諸先輩方からは、「メーカーの人間が客の言いなりになるなよ!」とかの決まり文句は、引き続き教わり続けたが、「ハイ!」と返事だけして、頭のなかでは完全に無視していた。


結果的に・・・この一つのアクションによって、当時僕はまだ、片言の英語しか話せなかったにも関わらず、香港代理店のオーナーをはじめ、アジア各国の代理店のオーナーたちから信頼を勝ち取ることができた。


「素直さ」をアピールできただけでなく、その「素直さ」が金(かね)を生み出すのに直結したので、それは正直ラッキーだった。


香港代理店のオーナー、並びに、アジア各国の代理店のオーナーたち。つまり、華僑系の大富豪たちの心の扉を開き、懐に入れてもらうことに成功した重要な一手となった。



▼現役サラリーマンを続けていると忘れてしまいがちなこと


日本の良い大学を卒業し、大手と呼ばれる会社の中で、現役サラリーマンとしての活動を続ければ続ける程、陥りがちな落とし穴がある。


それは、「素直に感じた問題を問題と捉えること。」「問題をお客様視点で捉えてみること。」だ。


大卒で大手・・・この環境にからの延長で会社に身をおいていると、周りもそういう人種で固められていると、「ある意味での自我」が強くなり自分本位な考えが植え付けられてしまうのだろう。


「大手メーカーの人間」そのプライドだけが高くなり、自己中心的な考え方に陥りがちになる。


僕も日本の本社で4年間働いていたが、その4年目最後の年に配属された、営業統括部という約70名も営業だけが押し込まれた状態でいる部署に配属されてしまった時、上司や先輩たちから無理やりこの思想を植え付けられそうになった。


けれども、入社したばかりの頃に、たまたま僕に営業のイロハを教えてくれていた上司・先輩たちの思想がすばらしく、そしての方々の考えの方がが正しいと思い込んでいたため、思想を受け入れることはなかった。


その素晴らしい上司・先輩たちの多くは・・・創業一族ではなく、外から来た銀行系の方が社長になってから始まった、残酷なる大量リストラによって、ほとんどいなくなってしまわれたのだが。。。


思想が合わない。。。その結果・・・約70名も営業だけがいる部署の中では、完全に立場や存在感を失い・・・単なる役立たずの人間になった。


会社を辞めるか?それとも、英語をしゃべれないけど(当時TOEIC265点)、逃げることを優先に海外に高飛びするか?と思っていたところ、様々な偶然も重なり、香港に脱出を図ることができたわけだが・・・。


僕が赴任する前の香港の担当者たちも皆、「大卒で大手」特有のプライドのようなものがあったようで、あくまでも日本のメーカー主体の「正義」や「ルール」のもの、ビジネス活動をしていたらしい。


だから、今一つ「華僑」が客先となるアジア市場で伸び悩んでしまっていたのだ。


けれども、僕は「素直さ」を忘れずに持つことができていたために、思った事をそのままお客様に聴き、お客様の意見を取り入れることで、初年度から大きく当てることができた。


さらには、それまで何年間も担当してこられた諸先輩たちよりも、「華僑」の深い部分に飛び込むことに成功したのだ。


「販売代理店VSメーカーの担当」という垣根を超えて、「華僑VS日本人」という垣根も超えて、「人VS人」という形で、プライベートを含めて語り合えるキッカケを手に入れたのだ。


後から、まさかこれがキッカケで、彼ら華僑大富豪たちから直接、様々な「秘術」を教わることになるなど、この時は想像もしていなかったわけだが。。。


追伸


巷にも「華僑大富豪の訓え」と呼ばれるようなものが出回っているが。「華僑大富豪の訓え」には、絶対に欠かせない「とある物理法則」が絡んでいる。


本物の「華僑大富豪の訓え」かどうかを見抜くためには、この「とある物理法則」が含まれているか?「とある物理法則」に基づいて構築されているものか?これを確認する必要がある。


これが無いものはアンコが入っていない「どら焼き」ほど嘘っぱちということになる。


僕のお話を聞いてもらう内に、この「とある物理法則」とは一体どのようなものなのか?これも、理解頂けることと思う。

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