共感覚から見た「 不安 」と「 希望 」の色

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私は小さい頃から"共感覚"といって

音楽や人、その場の雰囲気に色がついて感じます。

(英語だとsynesthesiaといいます。)


五感の壁が低く、音と視覚、エネルギーと視覚など

感覚がゴッチャになってるそうです。




そこで最近面白いことに気づいたのでシェアさせてください。

日常生活などに役に立つとすごく嬉しいです^^




選挙の演説を聞いてるときなど特にそうなんですが、


「原発反対!」「憲法改正!」


などうちだしている人と


そうでない人、(原発も賛成で憲法改正もOK)


出してる色が変わらない時が多いんです。


全然真逆の事を言ってるのに!



また反原発デモなどで、

私も同じ気持ちで

是非とも参加したいのに


なのにど〜してもこのデモには参加したくない.....


という時は大体色が、

そんなにキレイな色ではありません。。


私自身も「原発反対!」など強く言ってた時は

身体がしんどく、どんどん濁った色になっていって

不思議に思っていました。


幸せのためにやってるのに.....なんでだ!?


そこで最近気づいたのは、実はそれは


「幸せ」の為ではなく

「不安」を解消する行動だったから


ということ。


私は、咲かせたい花と撒いた種を間違っていたんです。

「不安の種」からは「不安の花」しか咲かない


私の場合ですが、


例えば「原発反対」は


"心豊かな生活が壊される不安”

”また同じ事故を起こすんではないかという不安"

"美味しい野菜や自然がなくなるのではないかという不安”


そこから動き出しました。


だから撒いた種は

「不安」を解消する事。


もちろん柿の種からは柿しか育たないように、

「不安」の種からは「不安」しか育ちません。


そして「原発賛成」をしている人の意見を聞くと


"原発を手放し経済が落ち込むのが不安"

"原子力を持ってないことで戦争の抑制力をなくすのが不安”

”今の生活基準が下がるのが不安"....etc


そう、

両方「原発反対・賛成」

逆の事を言ってるように思うのに


「不安」からの行動は一緒だったんです。


つまり蒔いてる種は一緒。


だから色が同じでした。


「不安」を解消する為の「不安」の重たい色。

そこには「希望」は感じられませんでした。


「原発反対者」も「原発賛成者」も


自分が・世の中が


これ以上「不安」にならないように

今ある「不安」を解決するために


使命感を持ち

危機感を持ち

一生懸命頑張っていたのです。


同じだったんです!


もう目からウロコです。


カフェやイベント、講演会など

色がキレイな場所や集まり、人は


ちゃんと「希望」の種を蒔いています。

だから「希望」の花が咲いています。



問題を解決するなということではなく

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