男が女として生活していくまで物語

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面接というよりも会社説明会みたいなものだ。

その日参加したのは私一人で、ほかは誰も来てなかった。


面接会場は名古屋市の久屋大通にあるトヨタホームだった。


面接のオッチャンに挨拶して、志望動機聞かれて、指が動くかチェックされて、

身体になにか障害がないか、運動できるか聞かれて面接は終了。



「正直、落ちたな」と、自分でもわかるくらい最悪の面接で、

自己アピールもなにもできなかったし、口ごもってしまったこともたくさんあった。




しかし、1週間後にはその時住んでいた社員寮に、

トヨタ自動車からの採用通知が届いた。



宝くじとか、雑誌の懸賞が当たった時のような思いがけない驚きと

喜びでその日は一日中ウホウホしていた。


「ま、まさか私みたいなのでも採用されるなんてっ・・・!」



採用通知が届いたその日のウチに勤務先の会社へ「辞めたい」と伝え、

翌週には辞表を出した。 



翌月の2月25日からトヨタの期間従業員となり、

1週間の研修期間後には、カローラの右ドア組付け工程の仕事をしていた。



週5日勤務、土日は休み、サービス残業はなく、残業代はキッチリ支給されるし

夜勤手当、期間満了ボーナスなどなど、ブラック企業でしか働いたことがなかった私にとっては、

外国に来たんじゃないかと思うほどの好待遇だった。



はじめて「人間として扱ってくれた企業」それがトヨタだった。

トヨタで働けたのは成人式で再開したオサム君のお陰だ。









【べた褒めする上司、無視する先輩】

入社したのが2月だったので、入社後1ヶ月半で送迎会・歓迎会シーズンになり、


私の職場からは3人ほど移動になった。


金曜日の夜に職場のメンバーで送迎会をやることになった。

…30人はいたかな。


送迎会は仕事後のプライベートな時間だし、トヨタは私の中学校みたいに、

髪型や服装にケチを付けてくるような会社じゃない。



女性ホルモン開始から1年以上過ぎてたし、

なにか新しいことにチャレンジしなきゃと思っていた私は、

ちょっとだけメイクをして、ちょっとだけ女性っぽい服で送迎会に参加した。



女装? と、思われるくらい中性的な服装だけど、

メイクは気づかれない程度にしていた。



居酒屋での送迎会が終わった後は2次会でカラオケに行った。


居酒屋にいる時は何も言われなかったんだけど、そのカラオケ店の受付で、

勤務先の上司が

「ワサダ、お前本当に女っぽいな~!なんでそんな女っぽいねん?」


と、10回以上連呼してた(笑)

完全に酔っ払っているみたいだった。




今なら酔っぱらいのたわ言と捉えるような内容でも、

当時の私はまんざらでもなく、その言葉を信じた。


「あれ、私って意外とパスできるんじゃないかな?」


些細な経験かも知れないが、この時から女装に対する恐怖心が徐々に減って行った。




送迎会から半年後の2008年8月、京都府の病院で「甲状軟骨形成術4型」

という手術を受けた。 いわゆる「声を高くする手術」である。



これはブログで知り合ったMTFのお姉さんが同じ手術をしていたので、

声が低かった私もやることにした。



というか、高校時代からこの手術の存在は知っていて、

いつかやろうかと思っていたので、お姉さんの存在がその気持ちを後押ししたんだ。



喉の手術をやると1ヶ月は声が出せない。 いや、出しちゃいけない。

手術説明の時も、入院の時もくちすっぱく注意される



トヨタでの仕事は接客でないものの、ある日突然、従業員の一人が

全く喋らなくなると、周囲も困惑するだろう。



そう思った私は「甲状腺の異常で手術することになりました」と、

直属の上司と組の上司にウソの報告をしていた。


いや、手術するのは事実だからいいんだ。 ウソじゃない


手術はお盆休みの8月12日にした。 


これなら仕事を休まなくても済むし、皆勤手当も減らないかと思っての作戦。



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