偏差値が低すぎて全科目偏差値測定不能だった子を都内お嬢様中学に合格させた塾講師のたった1つの言葉。

3 / 3 ページ

「どう山田を持ち上げるか」

職員室ではそんな話題が上がっていたに違いない。

「自分はどうせ馬鹿だから...」と全く自分に自信がなく、頑張ることを放棄していた私。

信をつけてあげたい。そう思ったのか。

あの当てられた問題。よくよく思い返すと、最初の2問は非常に簡単な4択で、馬鹿でも分かるボーナス問題だった。そして私はあの問題を一番上のクラスが解いていなかったという事実を知っている。笑

まぁ、理由はどうであれ


あの「天才」という言葉が私の人生を変えてくれた。


私の両親は完璧主義者で、私はそれまでずっと「出来損ない」と言われて育てられてきた。

テストで90点をとっても「なんであと10点、そこでミスするかなー?」というような家庭である。

98点とか尚更である。「あぁ、勿体ない。」

100点だと「良かったね。(棒読み)これからもこの調子で!」

100点なぞ両親からすれば当たり前だったのである。


また、勉強することも当たり前である。

「勉強しない」のは罪であり、罰せられるべきであり、80点以下を取って帰ってくるなど一族の恥だった。ある日学校で40点をとって帰ったら親戚中に怒られた。


唯一おじさんが「いいんだよ、子供は馬鹿で。馬鹿でなんぼ。俺も昔は馬鹿だった。」

(↑彼も擁護はしてるものの「馬鹿」である事は否定していない)

と言ってくれたが、あまり嬉しくなかった。なぜなら彼は馬鹿ではなかったからだ。

小学校の時、書道で何回も金賞を取っていて、オールAの天才児だったとおばあちゃんはいつも自慢していた。彼が馬鹿になるのを許されたのは大人になってから。交通事故で死にそうになってからだ。

おじさんは馬鹿でも許される。おじさんは生きているだけで良いのだ。

私は違う。

馬鹿な私は存在を全否定されてしまうのだ。

そして、それを分かっていながらも頑張れるほどのハングリー精神は持ち合わせていなかった。(そもそも馬鹿と言われて「頑張って勉強しよう!」と奮発できる小学生はそんなにいないはず。)だから頑張らないことで言い訳を作った。「私は頑張っていない。だからできないのだ。

「どうせ馬鹿だから頑張らない。」

「私は頑張っていない。だからできない。」


どちらも両親に対する私のささやかな反抗であり、意地であった。

そんな「頑張ること」を放棄した私は、子供ながらにおじさんのフォローを凄く冷たい目で見ていた。


頭の良すぎる両親も、高い期待も、私にとって苦痛だった。


そんな中、私をなんの根拠もなく「天才」と呼んでくれた森先生。しかも、その「天才」の壁は驚く程低い。何をしても私は天才だった。

私の家庭が『叱って育てろ』教育方針なら、森先生は『褒めて育てろ』教育方針だ。


この『褒めて育てろ』教育方針は効果抜群だった。

なにせ、今まで褒められたことなど殆どない。私は褒められることに飢えていた。

そして褒めてくれるのだから反発しようがない。

その頃既に反抗期の始まりのような態度をしだしていた私だが、森先生に対しては反発する理由が見つからないのである。だって褒めてくれているのだもの。


『「期待」を裏切りたくない。』


そんな思いがいつもどこかにあった気がする。


天才」の称号を与えてくれた森先生に褒めてもらいたいし、そもそも天才と思われているなら、それを裏切ることはできない。そう思ったのである。


褒めることは良い意味でプレッシャーになるのだ。


叱る事もプレッシャーになるはなるけど、「頑張ろう!」というプラスの感情は中々生み出さない。

プラスの感情はネガティブ感情より遥かに簡単にプラスの行動を生み出す。私は自分の経験からそう信じている。


ちなむと、両親を責めているのではない。

私は長女なので、両親にとって子育ての全てが初めてだった。

今は自由奔放にやり続けてきた私を見て、両親も学び、「あんたが良いと思う事を好きにやりなさい。」というあまり高望みしないスタンスになった。

きっと私が小学生の時は、一流の淑女に育てようと気張っていたのだろう。


だが、カエルに「空を飛べ」と叱ってもカエルは飛べないのである。

逆にカエルは「俺に翼はないんだ」と卑屈になるばかり。

でもカエルに「お前鳥みたいに高く跳べるんだって!?」って言えばカエルもその気になって高く高く「跳ぶ」ことができるかもしれない。少なくとも、幸か不幸か単純思考の私はそういう煽てに弱いタイプだった。


私を大空まで「跳ばして」くれた「天才」という言葉。


日本では自分の子供を「うちの子なんて...」っていうのは当たり前だし、私の子供時代は勉強しないと叩かれた。けど、どんなに叩かれたってちょっと親が目を話せば漫画を読んだり、ゲームをしたりするのが子供である。私の場合「勉強したよ!」の99%は嘘だった。(笑


そんな子供を叱るのではなく、なにか「期待してるよ」というメッセージを送ることは、時に1万回叩くより強い力で子供を勉強に向かわせるかもしれない。


もし自分の子が空を飛ばないと嘆いているなら、空まで跳べるように褒めてみてはどうだろうか。

意外と高く跳べるかもしれない。



著者のYamada Risakoさんに人生相談を申込む

著者のYamada Risakoさんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。