10ヶ所転移の大腸癌から6年半経っても元気でいるワケ(9)

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その翌日、私は都内のホテルに向かった。学生時代の友人4人が集合して励ます会を開いてくれることになったのだ。奈良からわざわざ上京してくれたS子。他の仲間は関東圏に住んでいるとはいえ、都心のホテルまでは結構な距離である。私より一足早く大腸ガンになり闘病中のH子も無理を押して参加してくれた。

 

大学卒業以来、私はそれぞれにどこかしらで何回かは会っていた。しかし、このメンバーが一堂に会したのは私の婚約披露パーティー以来だから、25年ぶりということになる。きっかけは私のガンと言うめでたくないことではあったが、思いがけなくミニクラス会開催となった。これもS子の声掛けがなければ、ありえなかったことで心から感謝した。

 

まずは、私の元気な様子に皆、安堵してくれた。確かに手術前は痛みがあるわけでもなく、いくらかダイエットの効果があったとはいえ立派な肥満体型でニコニコしていれば、拍子抜けしてしまったかもしれない。私自身も全く病人らしくない自分の姿になんか気恥ずかしさを感じ、申し訳ない気分になった。

 

一方、H子は抗がん剤の副作用で髪が抜けてしまったからと帽子をかぶっていた。顔色もくすんでいて闘病疲れがうかがえた。ご主人が付き添ってくれたと聞き、無理を押して参加してくれたことを心から申し訳なく思った。彼女はひっそりと手術を終えていたのに。性格の違いとは言え、ガン診断を受けて皆に知らせまくってしまった私。改めて、自身の大人気なさを恥じた。

 

楽しかった学生時代。それから年月は経ち、それぞれの人生を歩んできた。栃木から駆けつけてくれたS江はすでにご主人を亡くされていた。しかも、同じ大腸がんだったのである。一度、家族で我が家に立ち寄ってくれたこともあった。少年のようにキラキラした瞳、スポーツマンで優しくてイケメンで申し分のないご主人と言う印象だった。病気とは縁のない方と思っていたので、突然の訃報は信じられなかった。それから5年が経ち私が同じ病になるとは・・・。

 

その彼女から電話で「奇跡は起きるよ!」と言われた時、一瞬言葉に詰まった。電話を切った後、在りし日のご主人の姿を思い浮かべた。彼女自身が愛する夫に対して何度「奇跡」を願ったことか?正に心からの言葉だと感じた。叶わなかった「奇跡」。なんとか頑張らなければ・・・。その日、皆と再会して改めてそう思った。

 

都心のおしゃれなホテルでの会食。賑やかなおしゃべり。あっという間に時間は過ぎていった。旧友との再会は心も身体も若返る。いつもいじられキャラの私。どう考えても病気は似合わない。しかも、こんなに応援してもらってもう元気になるしかない。「友」とは本当にありがたい存在である。これから始まる厳しい戦いに向けての「壮行会」。どれほど元気付けられたことか。もう頑張るしかない!

 

 

とにかく転移がなくて良かった。のんきにそう思っていた。あとは入院を待つのみ・・・のはずであった。ところが、外来の医師から突然電話が入ったのである。

 

物凄く慌てた調子で「ちょっと気になるところがあるので、あさっての僕の外来に朝一番で来てもらえますか?」良い知らせのわけがない。しかし、呼び出されたからには行くしかない。

 

言われた通り、朝一で外来を受診した。医師は大変申し訳なさそうに「もう一度良く見たら肝臓に陰があるので、MRIを受けてください。結果は入院までには分かるのでそのときに聞いてください。」とのことだった。

 

先週の結果発表の際、確かにちょっと心配はあった。こちらは決死の覚悟で結果を聞きに行ってるのに「僕も今初めて見るんです!」と言って、CT画像を凄い勢いで画面上でスクロールしていった。『こんなスピードで全て分かるのだろうか・・・?』と内心不安はあった。その不安は的中した。

 

翌々日、再び病院を訪ね、MRI検査を受けた。検査を終えて隣のモニター室を覗くと3人の医師が真剣にモニターを見つめていた。私に気付くと3人が一斉に会釈した。表情が気の毒そうに見えた。何かしら写っていたに違いない。恐怖で思わず身震いしてしまった。3期と転移ありの4期では雲泥の差。しかし、あるものはある。ないものはない。3か4か。思いがけない「追試」。とにかく検査が全て終わったことに安堵した。結果は待つしかない。


転移なしと思っていたのに、突然の4期がん疑惑。本当ならどっと落ち込むところだが、心の変化は意外となかった。がん告知から早1ヵ月半。恐ろしいほど慌しい毎日だった。突然の再検査だったが、もうこれで検査も終わりと思うと結果はどうあれ、検査漬けから開放された安堵感があった。

 

普段台所に立つことなどない夫が、季節もののメカブを買ってきた。海藻類の成分が癌に良いことはガン発覚直後に調べて熟知していた。すでにモズクから抽出したエキスの飲料「フコイダン」は飲んでいたが、おかずとしても食べさせようと買ってきたのだ。粘りが出るまで刻むと良いと言って必死でトントン叩き切る音がリビングダイニング全体に響いた。その必死さに胸が熱くなった。

 

いつも怒られてばかりだったのに、小言も言わなくなった。それもなんか気の毒になった。2年余りリビングのソファーで寝ていた私も寝室で布団を並べて寝るようになった。以前は息苦しくなったのが嘘のように、主人が隣にいてくれることに安心感を覚えた。月明かりが僅かに漏れる寝室。私はそっと手を伸ばしてみた。何も言わず、手を握ってみた。夫も何も言わず手を握り返した。手のぬくもりが心を落ち着かせてくれた。『宜しくね!』『大丈夫だよ!』会話はなかったが、お互いの手がそう語っていた。

 

結婚して25年。銀婚式の年に発覚した病い。これも必然性があってのことだろう。何とか生きて欲しい・・・夫の思いは痛いほど伝わってきた。何とか頑張ろう。その思いに応えるためにも頑張らなければ・・・。一度離した手をもう一度布団に忍ばせて私は深い眠りに付いた。




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