どん底からの大学受験②


■さえない小中学時代

「中国地方って中国の領土ですよね?」

これは中学に入学した私が最初に先生に質問したことだ。先生は答えた。

「そんなわけあるか!ふざけんな」

こっちは本気で質問しているのにもかかわらず、なぜ怒られたのかわからなかった。




生まれつきぜんそくを患い、中学を入学してからも学校を休みがちだった。アルファベットを正確に書けるようになったのも中学2年の5月。そんな小中学時代の自分を振り返って思い出すことは毎日毎日テレビゲームをしていたことだ。本当にその記憶しかなく今考えると恐ろしい。学校を休んでゲームしていたこともあったし、定期テスト期間中なんて普通はみんな一生懸命勉強して焦るのに、私は「授業もなくて学校が早く終わってラッキー♪」という感じだった。だから勉強なんて全然できなかった。




正確に言えば、ゲームが好きというより、勉強やスポーツが嫌いだった。よく学園ドラマにも出てくるだろう。勉強もスポーツもできないゲームオタクくん。まさにあれだった。当時のクラスメイトには、一生懸命勉強している子が何人もいた。彼らを私はいつも不思議な目で見ていた。「どうしてこんなにつまらないものに必死で取り組んでいるのだろう」と。




「先生」という存在にも魅力を感じなかった。ほとんどの先生が、元気のない、つまらない、ただ黒板を写させる授業をしていた。こんなのを面白いと思うほうが頭おかしい、とも思っていた。だからいつか自分も大人になったら、こんな先生たちみたいに、覇気がない生き方になるのかと思うと嫌で嫌で仕方なかった。




そんなゲームオタクの私が中学3年生になり、初めて自分自身の進路について考えた。どの高校がどのくらいのレベルで、どのくらい勉強しなければいけないかなんてわからなかったため、あまり勉強しなくて済むような卒業単位の少ない、総合学科高校という選択肢をとった。自分で好きな授業を取れて、さらに料理や楽器、コミュニケーションなど、普通科ではあまりないようなことが学べるらしい。机に向かってやる勉強が少なくなるならと、中学3年の12月くらいから自ら勉強するようになった。



手の届かないレベルではなかったけれど絶対大丈夫という保証もなかった。勉強量はおそらく、普通の子が定期テスト前にする量と同じくらいだろうか。そしてなんとかその高校に合格できた(あとでわかったことだが当時の入学者の中で成績がビリから3番目であった)。



■学びの原点

忘れもしない人生の岐路、それは高校一年生のころに受けた予備校の授業でのことだった。中学校を卒業するまでは毎日毎日テレビゲームをして過ごした。学校の授業もつまらなかったし、これといって打ち込むこともなかった。それでもなんとか高校受験を乗り越え、廃校寸前の2つの高校を合併して誕生した単位制の高校へ進学した。卒業生のほとんどがフリーターか就職するような高校で、大学進学とはほぼ無縁の高校にビリから3番目の成績で入学した。



さすがにこのままではまずいと焦り、とりあえず高校に入る前に少し勉強しておこうと予備校の無料体験に参加した。



人生が変わった!

体験授業初日、英語の先生が放った一言は強烈だった。



「目標を持ってください。それだけで人生が変わります!」



そうか。今まで自分がバカで何の取り柄もなくだらだら過ごしてきた原因は、「目標がなかった」からだったのだ。この一言で私はこの先生の虜になり、気がついたら授業にも熱中していた。おそらく今までの人生の中でこんなに何かに熱中したことはないくらいに。わかりやすい説明、適度なスピード感、あふれるユーモア。




「皆さん!takeは持っtakeです!」

「ninthにeはいらninth!」

「さあ、この問題スーパーダッシュで解きましょう!」

「え?この問題間違えたんですか?さよならバイバイ!うそです。僕も昨日解いて間違えました!」


今まで学校で受けてきた授業とは比べ物にならないほどの高い質とテンションに圧倒された。なにより堅苦しいイメージだった勉強というものがとても身近なものに感じることができた。何より、それまで教わってきた先生とこの予備校の先生の決定的な違いは、



「情熱」、「本気」

だ。自らの仕事に対して、生徒に対して、そして自分自身に対して、この先生はどんなことにも情熱的かつ本気になれる人なのだろうと感じた。いや、実際そうだったはずだ。何も考えていない私のような人間の心をこんなにも簡単に動かしてしまうのだから。みんながこんな先生に教わることができればどれだけ多くの人が学問に目覚めるだろうか。私は、いままで嫌いだった勉強が一瞬のうちに「好き」に変わった。嫌いだったものが、好きになる瞬間なんてそう多くあることではない。すごく不思議な感覚だった。




その後は金銭的な理由で予備校に通うことができず、この先生ともそれっきりになってしまったが、この日の体験がなかったら私は今ごろ公園にブルーシートで暮らしていたかもしれない。




■理想と現実とのギャップ

さて、目標を持てといわれても、どう探せばいいのだろう。何かに全力でがんばったことも、情熱的になったことも、本気になったこともない、そんな人間に何ができるのだろう。んー、あれでもない、これでもない。やりたいことなんてない。でもせっかく心に火がついたのだからなにかやりたい。あ!そうだ!



「先生になろう!」


自分の人生を変えたくれた存在になる!これなら本気になれると思った。よし!これで方向性が決まった。んーと、先生になるために必要なのは……、




「ん?大学を卒業しないといけないの?」

 

知らなかった。例外もあるのだろうが、小学校も中学校も塾や予備校の先生も、みんながみんな大学を卒業する必要があるなんて。てっきり「今日から先生になります!がんばります。よろしくおねがいします」くらいのノリでなれるものだと本気で思っていた。そのくらい世間知らずで、無知だったのが当時の私だ。そんなやつが先生になれるのだろうか。


無謀にもほどがあった。予備校へ通う余裕もなく、かといって一人で勉強できるわけでもない。そして経済的にはどん底のレベルだったため、アルバイトをすることが必須だった。




そんなことを考えているうちに、新しい高校生活が始まった。入学式だのオリエンテーションだの新しい生活に少しワクワクしていた。しかし早速貧乏であることにより惨めな思いをすることになる。教科書を買うお金がなかった……。具体的な金額は忘れたが、公立高校の教科書代なんて一般的には大した金額ではないだろう。私はその金額さえ払えなかった。




高校受験のときも交通費がなくて、音楽の先生に800円を借りた。高校の制服購入時も親が怪しい金融機関から借りたほどだ。こんな状態だから教科書代なんてすぐに払えない。結果、いったん購入は見送り、アルバイトをして5月に購入した。もちろん定期なんてまとめて買えないから、1ヶ月ずつちまちま買っていた。おそらく「全日本高校生定期更新回数選手権」のようなものがあったら1位だっただろう。それすら買えないときは、1時間半かけて自転車で通学した。




アルバイトでは高校1年生にして、月に8万円くらいはコンスタントに稼いだ。放課後と土日しか働けない高校生にとってこれだけの金額を稼ぐのは至難の業だった。バイト先の人からは、「若いのにそんなに働いて、何を買うの?」と言われたが、「いえ、ほしいものはありません。生活のためです」なんて言えなかった。アルバイト代は基本的に生活費や光熱費に回す必要があり、好き勝手に使うわけにはいかなかった。






■新たな出会い

とまあ、こんな状況で高校生活が始まった。高校生活ってこんなに平和なのかと驚いた。私の通う高校はどちらかといえば勉強が嫌い、もしくは苦手な人が集まっているはずなのに、みんな真面目に授業を聞いている。当時は学園系のドラマが流行っていた。私の高校のイメージはまさに学園ドラマに描かれている状況そのものだった。シンナー、タバコ、お酒、喧嘩、暴力、学級崩壊など、実際の高校でもそれが日常茶飯事に起こっているものだと思っていた。とある学園ドラマに関しては、生徒がバットを教師に振りかざし、先生はそれを見事にかわし、生徒にぴしゃりとビンタをする。高校の先生ってすごいなと感心したものだ。



そんな状況にもしっかり対応できるようにと、どうやって先輩の誘いを断るか、学級崩壊のような状況のときどうふるまうべきかなど自分なりにかなり予習した。こんな貧乏で学力も低くて、ドラマと現実を混同する高校1年生に未来はあるのだろうか。




高校の授業を受けてやっぱり「先生になりたい」と思った。数人の先生を除き、高校では中学校の先生のようにつまらない授業をする先生もいた。もごもご話したり、なんの刺激もない授業にうんざりした。なにより、「情熱」や「本気」を感じなかった。幸運だったのは担任の先生が当たりだったということだ。親身になって話を聞いてくれるし、授業もわかりやすく、遠慮なくものを言う先生だった。ときには自分自身が出勤している高校なのにもかかわらず、「子どもができたら絶対この高校には入学させない」とまで言っていた(笑)うそ偽りがなく、しっかりと自分の軸を持ち、生徒からの信頼も厚かった。




その先生の担当科目も「英語」だった。こんな短期間に二人の素敵な先生に出会えた。これはもうやるしかない!自分なら、おもしろい授業をすることができると信じ込んでいた。少なくともだらだとした「覇気のない大人」になるのは嫌だった。とりあえず大学受験を目指してみることにした。



大学受験を目指すなんて夢にも思わなかった。大学の名前なんて東大、慶応、早稲田くらいしか知らなかった。担任の先生の話によると英語はどの大学を受けるにしても必要だということで、英語の参考書を買った。わからないことは担任の先生に聞いたり、進学校へ通っている友人に聞いたりした。最初は単語一つ覚えるのにかなり時間がかかった。それまで勉強してこなかったのだから仕方がない。慣れないことばかりでたいへんだったが、どんなにつらくても「やめたい」とは思わなかった。それだけ本気で「先生になりたい」と思っていたのだ。

 

気がついたら、テレビも観なくなり、ゲームもしなくなっていた。今思い出しても不思議だが、机に向かったり、勉強したりすることが日課になっていた。そして英語の勉強をしていると、その勉強のやり方をほかの科目にも応用することができた。内容が違うだけで、どの科目も勉強のやり方はほとんど一緒だった。高校も始まったばかりで、そんなに難しい内容ではなかったため、どんなにつまらない先生の授業でもプリントや教科書を照らし合わせながら理解していった。


なんだか楽しくなった。いままで毛嫌いしてきた勉強というものにこんなにも一心不乱に取り組む自分が不思議で、別人のように感じた。目指すべき目標があることでこんなにもがんばることができるのかと驚いた。


そうこうしているうちに高校生最初の定期テストが始まった。最初のテストだったためか、どの科目も授業でやったことと同じような内容ですらすら解けた。特にいい点数を取ろうとして力んだわけではなかったが、それなりに手ごたえがあった。主要5科目のテストの点数がそれぞれ記載されている紙が配られ、クラス、出席番号、氏名、平均点、最高点、学年順位が記されていた。そして私の分が返されたとき、時が止まった。




「あなたの得点は、学年1位です」



(つづく)



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