虐待が苦しい理由

人生、辛いことが多々ある。病気、借金、失恋、仕事関係などなど、挙げればきりがない。ただ、実はそんなに辛くないことでもめちゃくちゃ辛く感じてしまう人がいる。精神的に健康な人からすると、「何でそんなに悩むの?」と首を傾げるようなこともある。


例えば、仕事でうまくいきませんでした。自己肯定感のある人は、「今回うまくいかなかったのは仕方ない。次頑張ればいいや。」で済むかもしれない。ちょっと飲みに行って気分転換して終わりかもしれない。

一方、自己肯定感がない人からすれば、同じ程度の「うまくいかなかった」が、自身の生きる意味があるのかどうか、というレベルの問題にまで発展する。うまくいかなかった、やっぱり自分はダメだ、もっともっと頑張らないと…と追い込んでいき、まあそういう生き方をしていると笑えなくなってきて、眠れなくなってきて、全身に力が入らなくなってきて…。廃人鬱状態に突入。


自分は後者なので、自己肯定感の無い人の気持ちはめちゃくちゃよくわかる。特に就活での圧迫面接など後者には堪らんわけで…あれはキツイな。


とはいえ、自己肯定感の無い人に社会は厳しい。社会人として堂々と生きていくには、やはり自己肯定感は欠かせない。きっと、辛い経験をしてきた人は大器晩成する。問題は、自己肯定感を持てるようになるかどうか、だ。つまり自己肯定感を持てるようになるまでが頑張りどころ。


自分が自己肯定感を持てるようになったのは、つい一年かそこら前。そこに至るまでは、それはそれは大変な道程があった。廃人鬱状態、フリーター、就職、廃人ニート、フリーター、派遣、ニート、就職、転職、就職、転職。職と引越しを繰り返し、どうにか20代を乗り越え(?)た。その中で、まあ自分にとってはやっぱり仕事で結果を出すことが自己肯定感を再構築するには必要だった。ハッタリかまして、どうにか目に見える結果を出す、それを繰り返したことで今の職場に辿り着いたし、まあ一社会人になった感じだ。


話がそれたけど ー  とにかく、自己肯定感を持てるかもてないかで全て見え方が変わってくる。例えば、休みの日に天気が悪いと「日頃の行いが悪いからだ」と落ち込んだりする。飲み会が盛り上がらなかったら、「自分がその場にいたからだ」と落ち込む。全くもって間違った思考で、おそらく小さい頃育った環境にやられたケースが多いとは思うんだけど。


じゃあ、どうやったら自己肯定感を持てるようになるか。これは確かに難しいんだけど、一つ言えることは、とにかく(自分に正直に生きること)だと思う。自分が好きだと思っている食べ物。本当に好きなのか?とか。見ているテレビ、本当に面白がってる?とか。友達との付き合い方、これでいいのか?とか。自分に正直に生きていくと、とにかくいらないものがいかに多いかに気づかされる。ちなみに自分の場合は一緒にいて疲れる友達が一気に減った。残った数人は大切だが、あとはもういいや、という感じ。趣味もそう。本当に好きなのは一つ、いや二つか。猫と遊ぶこととサーフィン。これだけあれば、あとは特に何もいらない感じ。仕事は、こういう感じの仕事を一生していきたい、というのが自分でも分かるようになってきた。自分に正直になると、自分が本当に欲することが分かってくる。そうすれば、もっともっと自分に正直に生き易くなるし、気がつけば鬱状態とも必ずオサラバ出来る。別に聖人君子じゃないんだから、そんなに皆から賞賛されるような生き方なんてしなくてもいい。そのことを頭ではなく、本当に自分で納得出来れば自己を肯定出来ているかのバロメータになる。


ちなみに、自分の場合は意に反すると、耳が塞がる感じがするので、自分が何をしたいのかが非常に分かり易くなってきた。まあ、職場でも残業をしない奴、とか無理をしない奴、っていうレッテル貼られてる(真実だけど 笑)けど、耳が塞がってまではやりたくないから、独立までこのスタンスで続けていくつもりだ。



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