人生を楽しむ~自分を縛り付ける鎖から解放される~

はじめに

「今の生活を楽しんでいますか?」

このように聞くと色々な返答が返ってくる。まず間違いなく言えることは、楽しい生活の仕方も生き方も人それぞれであるということである。周りの常識に合わせることで自分自身を追い込む必要はない。世の中では色々な不安に苛まれ、心を病んでしまうことも多い。うつ病などの精神疾患患者は年々増えており、厚生労働省が出しているデータでは平成23年には320万人、全体の2.6%にあたる。38人に1人の割合である。心を壊すまでやらなければならないということはなんなのだろうか?


それは、世間の目というなの鎖なのではないかと、今では思う。


学校教育では、失敗をすることをあまり良いこととしない。点数が良いものが褒められ、点数が低ければ、なぜ出来ないのかと言われる。社会に出ても、実績を出すものは評価され、出来なければ怒られたり、追い込まれたりする。周りの常識は点数が良いほうが良いとされ、実績を出すほうが賢い。また、仕事を頑張っている方が良い、多く出来ている方が良い。「できない奴はダメなやつだ」と言われる。

そんなことはない。

人にはそれぞれ得手不得手がある。好き嫌いもある。だからこそ、社会に出て、一つの会社で頑張ることが正しいんだ!という考え方は、一つの会社で続かないやつはダメなやつというような風潮を助長している。

私自身、実際にうつ病と診断されたことはないが、身近な方でうつ病になった人を何人か見てきた。過去を振り返ってみると、新卒時に入社した会社での自分の状況はそれに近かったように思う。まずは、私の過去から話をしたい。


希望に満ちあふれていた初就職

私は高校の時に大学の学部をIT系か建築系にするかすごく迷った。中学時代からやっていたパソコンにはすごく興味があったのだが、SE(システムエンジニア)は35歳までという当時のイメージがあったことと、建物を見ることはやはり好きであるということで大学の建築学科に行くことにした。

そして卒業し、建築業界へ就職をした。大学3回生の時にインターンシップ(学生が企業へ仕事体験ができること)へ2週間行き、改めて内側から建物が建っていく様を見ることは楽しい!と思ったことを覚えている。その後インターンで行った会社は、就職活動をする中で、最終的に面接を受けようと決意した5つの会社のうち、第1志望の会社になった。

必死にアプローチを続け、4次面接の末、なんとかその会社に就職することができた。


晴れて社会人となった4月、ワクワク感を胸に入社式を迎えた。

そこから2週間は、同期とともに研修を受け、同じ宿舎で過ごした。


そこからはそれぞれ現場に配置され、散り散りになり、私はある現場を任されることとなる。



ある上司の一言で生活が一変

私が任された現場は、自宅から電車で1時間半、バスで30分かかるところだった。そこへ毎日出勤するためには、始発で職場へ向かっても始業時間15分前に着くぐらいの距離だ。そして、バスの本数もあまりなく、21時が最終のバスになる。

4月半ばから末まで通い続けた。片道2時間強。初めは、現場で待機できる場所もなく、事務所になる仮設住宅ができるまでは車が事務所がわりになる仕事だった。事務所ができてからは、室内清掃をするようになり、新人である私がするのが日課となる。もちろん、始業時間ギリギリにつくわけだからかなりバタバタした記憶がある。


そして、4月下旬のある日、上司の一言で生活が一変することとなる。


ある日、上司A(現場責任者)とともに帰っていたときのこと、

「先輩たちが残っているのに、君は帰っていいと思うのか?」

正確な発言内容ではないが、私が受けた印象としては上記のようなセリフだった。


新卒として入社した私にとっては、サラリーマンだからイエスと言わなければならないと思っていたため、拒否権はなかった。意味するところは、当時先輩が数名いたが、彼らは寮生活をし、生活をしていた。そして、朝早くから仕事をしていたのだ。


私の返答としては、

「寮生活をします・・・」

そう言わざるを得なかった。



長時間労働の始まり

それまでの私は、8時すぎにつき、21時のバスで帰る生活をしていたが、そこから、現場には6時半頃につき、帰りは24~26時(深夜2時)の生活が始まった。平日は寮で生活し、週末は家に帰るという繰り返しだ。初めは、若さもあってこなせていたのと、元々「社会人ってばりばり働くものなんだろうな」というイメージもあって、特に思うところもなく、過ごしていた。

しかし、勤務時間は通常業務+残業+サービス残業の上、睡眠時間は3時間~5時間。覚えることも多かったため、失敗すれば叱責されたり、意味もわからず怒られたり、それでも必死でやり、昼間は現場に出て、職人が帰ってから事務作業の日々が続いた。しかし、身体的に精神的に体を壊すまでに時間はかからなかった。

ある週末、週末に車で来ている上司Bにとある駅まで送ってもらい、帰っていたのだが、その駅には2つの電車(別会社)が走っており、私が乗らなければいけない電車に乗るためには少し歩かなければならなかった。だが、その日は近くにある電車の改札を通り、特に違和感もなく、ホームにあがり、一息ついた。

そこでハッ!!と気づいた。

違う電車に乗ろうとしていることに。


それほど疲弊しており、判断力も思考力も低下していた。そこからというもの、そのようなことが何度かあり、さらには、ホームに上がった後に、ホームの椅子に座ってから気づいたこともある。

「なにをしているんだろうか、自分は・・・」

椅子に座りながら、そう思ったことを今でも覚えている。


また、同時に表情もどんどんと無くなっていった。上司と別れるまでは、笑顔を作っているのだが、緊張感が解け、別れた瞬間に無表情になっていた。それが来る日も来る日も、寮に帰っても、週末別れた時もそのような状態だった。うまく笑顔が作れていたかは定かではない。そのような状況が3ヶ月続いた。



家族からの救いの手

週末に実家に帰っていたわけだが、親もずっと見てきているわけである。どんどん衰退していっていた私を見て、声をかけて来てくれた。

「なんかあった?」

たったこの一言ではあるが、かなり救われたことを覚えている。基本的に自分のことは周りに離さない性格なので、親にもあまり仕事のことを話すことはない。高校や大学に行かせてもらい、新卒で入った会社も入社できたことに喜んでくれた親である。「悲しませるようなことはしたくない」から言いたくないというのが本音だった。だが、このときばかりは、話した。それほど限界だったんだと思う。

「そう・・・。それなら辞めたら・・・?」


まさかそんな言葉が出てくるとは思ってもみなかった。

だが、そのとき正直ホッとしたのかもしれない。

正直、そのまま続けたほうがいいと言われたら、どうなっていたかわからない。もちろん、その後、仕事ができるのだろうか。という不安はあった。しかし、このまま何年も、何十年も続けていける自信はなかった。同期には「まさか私が一番にリタイアするとは思わなかった」と言われたが、辞めることに後悔はなかった。

退社することを決意し、数日後に意を決して、上司Aに退職したい旨を伝えた。そこからというもの試用期間(6ヶ月)中であったこともあり、数日もたたない内に、本社へ呼ばれ、退職の手続きをした。

本社で「本当に辞めるのか?」と再度聞かれたが、私の決意は変わらなかった。


この時は本当に家族がいて良かったと改めて思った。ここでこのような話がなければ、私自身どうなっていたかわからない。



転々とする日々

その後、すぐに定職に就いたかと言われれば、答えはノーであるが、大学時代にしていたアルバイト先で働いていた。正直なところ、「正社員はこわい」と思っていた私がいた。周りは正社員で頑張っているのに、アルバイトをしている自分はなにしているんだろうかと日々、自分を追い込んでいた。大学を卒業して、アルバイトをしているなんて・・・という声が聞こえてきそうで、ものすごい劣等感や、このままで自分は大丈夫なのかと不安になったことを覚えている。


今の自分であれば、過去の自分に「大丈夫だ!人それぞれには生き方があるのだから」と言えるのだが、当時の私はまだ社会に出たばかりのひよっこだったのだ。


再度正社員になってからも2回転職し、さすがに自分は本当にダメな人間ではないかと思った。



視点を変えれば心も軽くなる

このように考え方がかわったのは本当にここ1年ぐらいの話である。最近の趣味は読書であるが、本やテレビから得られることは多い。その中で、一番強烈に頭に残っている言葉がある。

あなたも名前は知っていると思うが、Appleの創業者であるスティーブ・ジョブズの言葉だ。


If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?

もし今日が人生最後の日だとしたら、私は今日やろうとしたことを本当にやりたいだろうか


この言葉は私の中で気に入っている言葉の一つではあるが、この言葉に限らず、様々なことを知ってから、自分がしたい仕事も、したい遊びも精一杯毎日するべきだと考えるようになった。


自分で自分を抑え込まず、周りを少し見渡してみて、「こんな世界もあるのか」というのは是非体験して欲しい。私自身は結果として仕事を辞めるという結論になったが、仕事に行き詰まった時や、なにかに行き詰まった時に、「辞める」という選択肢だけではなく、周りを見てみて、「もう少し頑張ってみようかな?」「いや、もう自分には限界だ。」「こんなこともあるのか!やりながらやってみよう」など色々な視野が開けてくる。


『視野を広げること』

本当に大切である。


これしかない

ではなく

こんなにも選択肢がある


いざとなれば逃げ場があると思うだけで非常に心が軽くなる。

周りにどう思われようと、自分は自分。「周りにどう思われるか」は関係ない。自分がどうしたいか。

やりたいことをやればいい。人生はそんなに長くない。


そう考えるようになってからは、周りからどう思われようと自分がいいならばいい。もちろん迷惑をかけることはしないが、自分の生き方は、自分にしか決めれないということである。

すぐにやりたいことはできないが、それができるように努力すること。

これを実現するために何をするかを考えて生きていくと楽しい。なかなか自分のやりたいことを探すのは大変ではあるが、一つの考え方にとらわれず、これもできるかな?あれもできるな?そうだ、あれもしよう!と欲張ってもいい。


結局のところ何も始めなければ、何も始まらないということ。


今の生活に疑問をもっているなら、一歩立ち止まって考える時間を是非とって欲しい。

1%でもこの話があなたの心に響いたのなら幸いである。


最後までお読みくださり、ありがとうございました。

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