私から見た08年のTwitter

若干客観的な08年のTwitterについて書いたstoryはこちら

http://storys.jp/story/11607


始めたきっかけ

 2008/5/26のこと。研究室の後輩で今は優秀なエンジニアになっている@bojovsくんが、Twitterというサービスが日本語化されたらしい、という話をしていて、先輩も初めてみませんかという話になった。それがきっかけで、登録した。「tenku」という、新しいサービスではなかなか取ることのできないアカウント名を取ることができて、とても感動したことを記憶している。


 当時、TVに紹介されることはなかったそれは、09年、10年まで待たなければならない。Web・IT系雑誌なもので主に紹介されてたと、記憶している。当時のユーザは今で言うアーリーアダプターやIT系、当時の私のような暇な大学生、高校生、Webを使い続けていて新しいサービスと聞いてきた人、素性の知れない人、などなんとなくアンダーグラウンドを思わせるような、そんな人達が多かった。アニメのアイコンの人が当時も多かったので、秋葉原に行くような人たちはとても多かったように思える。


 当時、Twitterを始めたのは良かったが、Webでの操作は使いにくかった。WebはXHTMLとCSSの時代で、Ajaxなどの技術もあったが、動作性という面では現在よりもかなり劣っていたと記憶している。


 Twitterクライアントというのがあるのを知って、それを使いはじめることにする。@cheebowさんが作っていたTwitというクライアントを使っていた。Twitを使ってツイートすると*tw*と文末に表示された。設定によって、文末に表示される文字列を変えることができた。当時ハッシュタグという機能は存在せず、Twitterクライアントや、検索によって文字列を検索していた。実況などするときは、文末の機能を用いた。私はPCでツイッターをするときはTwitを使っていたので、ある時から、[おうち]と文末に表示させるようにした。携帯(当時はガラケー)には[おそと]または、その時使っていた端末の機種名を文末に表示させていたと記憶している。


 少しずつフォローを増やしていって、6月頃400-500人ほどフォローしていたように記憶している。2008/6/8日、事件は起こる。秋葉原通り魔事件だ。私はTwitter上でそれを知った。「秋葉原で何か起きている。」誰かがそれをつぶやいていたをとても強く記憶している。さすがに黎明期のTwitterだけでは何が起きているのか、知ることができないので、にちゃんねるや、他のWebサイトも見に行った。

 にちゃんねるは確かに情報は多い。だが、全員がほぼ完全に匿名だった。いろいろな写真や、情報が出回るが、それまでの様々な経験から、信頼性が欠けるものだと感じていた。

 事件後、メディアでも放送され始めた。凄惨な事件だったという。だが、メディアの放送もセオリー通りで、逮捕された犯人の経歴などをたどっていくなど、ありきたりな報道に終始していた。

 ネットを巡回していると、Ustreamで凄惨さで覆われていた現地が生放送されていたと、いう情報が目に入った。ハンドルネームに紐付けされたアカウントが情報を発信するという、新しい可能性を感じた。今で言えば「ソーシャルメディア」だろうが、その大きな可能性を肌で感じ取った。「生放送」したり、「つぶやく」ことができるサイトはたくさんあるが、生放送できるのは当時は「Ustream」つぶやけるのは「Twitter」だけであった。

 仲の良いユーザも少しずつ出てきた。主に、@fune、@moooris、@ravi2beatなどである。@mooorisは後に、お勧めユーザとして紹介されるようになり、40万のフォロワーを抱えることになりWebメディアで取材を受けることになったりするが、当時は一般ユーザであり、follow/followerともに10数アカウントしかなかった。「follower増えるといいね」なんていってた後のことなので、何が起こるかわからない、というところで、人生は面白い。

 また、@mooorisは当時は東方Projectの魔理沙アイコンであり、当時のTwitterらしい振る舞いをしていた。ファッションゲイとして振舞っていて、ある程度過激なツイートをしていた。

 @funeは高校生だった。惹きつけられるようなツイートをして人気があった。少し内向的で、詩的な、そんな空気のする人だった。今は何をしているのか知らない。13年ごろまでは小説を書いていたようだ。

 @ravi2beatは可愛い振る舞いをする人だった。ノリが良く、リプライを飛ばし合って楽しい人だった。

 始めたばかりで使い方がわからず(今もあって無いようなものだが)、何でもかんでも空気を読まずリプライを飛ばしまくっていた。当時、投稿数制限は現在よりもゆるく、わりとつぶやけたが、それでも規制されるほどつぶやいた。UNIXコマンドでCUIコンピュータ操作しているような勢いで。思考をそのままテキスト化しているのかのように。2008/5から2009/1までで2万ツイート近くつぶやいたのではないかと記憶している。今ではそんなエネルギーないかもしれない。とかんがえると、少し年を取ったように感じて、少し悲しくなる。

 生まれて初めてオフ会というものに参加したのもTwitterだった。たしか7月か8月くらいのころのことだと思う。7,8人集まったと思う。@funeと@moooris、@R_Kが参加していた。@R_KはEeePC 901を持ってきていた。のキーボードを改造していて白い本体、キーボードはところどころ黒に変えていた。ちょっとおしゃれで、当時流行っていたEeePCを持っているのは、大学生の自分としてはとても羨ましかった。当時出始めのwifiやいろいろな場所の無線スポットにも契約していて、@R_Kのアーリーアダプタぶりはすごかった。

 @mooorisは@funeにメイド服を買ってあげる約束をしており、たしか買ってあげたという記憶がある。@R_Kはその場のノリで@funeに猫耳を買ってあげていた。

 他愛のない会話が楽しかった。あのユーザはこうだとか、あの人は男なのか女なのか。など、何の利害関係もない――けれどすぐに切れてしまう縁でもある――関係はとても楽しかった。

 当時の秋葉原にはリナックスカフェ(以下リナカフェ)というところがあり、そこはTwitterをする人の溜まり場になっていた。リナカフェにつくと、「リナカフェなう」とつぶやくのが流行だった。つぶやいた当人に話しかけて、どうも。なんていうこともあったらしく、当時のTwitterをしている人たちには相当愛されていた場所だった。

 個人的には「○○なう」を広めた元になっているのは「リナカフェなう」が担っていたところが大きいと考えている。

 また、「○○爆発しろ!!」とつぶやくのも、当時流行っていて、特に@skylab13爆発しろ!!はとても多かった。特に理由なく「@skylab13爆発しろ!!」とつぶやいても当時は(今では懐かしがられるかもしれないが)@skylab13に怒られることはなかった。個人的には、@skylab13は08年を代表するアカウントの一つだったような気がする。

 当時大学4年生だったが、諸事情により、就職することを諦めていた。リーマン・ショックもあるし、自分のコミュニケーション能力の問題もあった。そういうコミュニケーション能力至上主義的な傾向は見え始めていて、それがない自分は現状に絶望し、惰性で生きていた。Twitterやネットにのめり込むくらいしか、打ち込めなかった。

 研究室で、あるいは図書館でノートパソコンでTwitterをやっていた。認証が当時は簡単だったので、簡単なbotをプログラムを書いたりして作ったりしていた。

 現実の世界には楽しい現実はあまりなかった。当時はネットの世界のみ無限の可能性が広がっているように感じていた。

 @funeは弱々しく、頼りないような感じがして、助けてあげなければならないようなきがしていた。実力も経験もない大学生が高校生になんとも言えないようなアドバイスをしていた。周りの頼りがいのある大人たちからくらべたら、なんてこともないのかもしれない、そんなことばかりを言っていた。そんなきがした。

 一方で嫉妬もしていた。いろんな人にかまってもらえる彼に。私は、あまりリプライをもらえることもなく、お気に入りされることも少なく、ある意味ではネット上でも寂しい人間だった。その寂しさを埋めるために、ネット上にテキストを打ち続けた。


 @lolipuniという女子高生がいた。メンヘラ女子で周りを魅惑するという感じの人だ。もっとも、ネット上ではそんな感じではなく、繊細で、寂しく、だからこそ男を求めている。そんな気を感じ取れるような人だった。12月末、@lolipuniが東京にくるということで、オフ会を開いた。@funeや@mooorisもきた。よばれて、@ravi2beatも来た。他に@harunyanや@poponaがいたと思う。@lolipuniは@funeと@mooorisにキスをした。それが彼らにとっての初キスとなった。@funeや@lolipuniがビールが飲みたいといったが、周りの大人が止めた。

 2008/12/31のことだ。年越しオフと称して参加する人が募集された。@fune、@garando、@Sebastianusなどが参加した。見ず知らずの人もいて、「はじめまして」と挨拶した記憶がある。そんな人と年越しをするのだ。面白いことだったと、若かったと思う。部屋を借りて鍋を作り皆で食べた。お酒を持ち寄り、飲んだ。@garandoはバーテンダーをやっており、カクテルを作っていた。私は酒を飲みつつ、その部屋にあったグランドピアノを即興演奏したりしていた。

 そんなアンダーグラウンドな世界がWeb界隈にまだゼロ年代にはあった。テン年代の今でもどこかにそういう風景があるのだろうと思う。

 09年に入り、@lolipuniもつぶやきが少なくなりアカウントを変えてしまった。@funeからは、リムーブされてしまった。@mooorisや@ravi2beatはあまりつぶやかなくなった気がした。私は、突然寂しくなり、孤立した気がした。それからは、どちらかというと、他人のツイートをみているばかりになってしまった。


<了>


文章:加藤圭一郎

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