名前のない喫茶店~まえおき~前
※これは、私が最近感じていることを、少し物語風に書いてみたものです。書くのに時間がかかり、とても続かないかもしれませんし、小説の才など元よりありません。ただ、この方がより伝わるかもしれないと思ってやってみた次第です。楽しんでいただけたら、幸いです。
初めて訪れた商店街は、小さな丘を中心にアーケードになっていた。
アーケードの隙間から覗く日差しは柔らかかった。東川はもう長いこと太陽を見た気がしなかった。季節はやはり春になっていた。
商店街には、スーパーや薬局、定食屋にクリーニングなど小さいながら店は揃っており、日常生活はここを利用すれば問題ないようだった。平日の昼間の商店街は、買い物かごを持った主婦や、ランドセルをしょって走る子供たちや、散歩をしている老夫婦などで、比較的にぎわっていた。
彼は、久しぶりに自分の心が少し穏やかになるのを感じていた。親密さはまだないが、異邦人の真っ白な軽やかさがそこにはあった。
商店街の半ばから、丘の中心に向かって道が延びており、その入り口には小さな石作りの鳥居が建っていた。東川は、鳥居をくぐって緩やかな上り坂の道をゆっくりと歩いた。商店街のにぎわいが、後ろにすっと消え、道の明るさが増した。丘は大した樹木は育っておらず、膝下ぐらいまでの草原が広がっていた。
石の階段を上っていくと、丘の中心らしいところに、小さな神社があった。
そこから少し離れたところに、煉瓦作りの建物が見える。煉瓦作りといっても所々トタンや土壁のようなところもあり、神社のそばにあるには、少し違和感のある建物だった。よく見ると、入り口の少し高いところに、コーヒーカップから湯気が出ているデザインが彫られただけの木の看板が吊されていた。
どうも喫茶店のようだったが、入り口の表示もメニューも店の名前も書かれていない。喫茶店というよりは、寂れた窯場のような感じだ。店先の雰囲気にあまりフレンドリーさはなく、どちらかといえば無骨でさっぱりした印象がある。
彼はさっきからひどくお腹が空いていたが、そこに入るべきか少し迷った。。朝から何も食べておらず、商店街に来たのも、どこかで食事をするためだった。丘を下る前に何か少しでも食べておきたかった。それに、その建物の静かな雰囲気は、彼の心のどこかをとらえていた。入り口に立って何分か迷ったあと、彼はゆっくりとドアを開けた。
「こんにちは」
少し待ったが、返事はなかった。中はやはり煉瓦作りを基調としたレイアウトで、粗雑ではあったが喫茶店の形は成しており、どこかからコーヒーの香ばしい匂いがしていた。やはりここは喫茶店のようだった。
店には誰もいないようだった。少し離れたところに大きい窓が並んでおり、そこから真っ青な春の空と町並みが見渡せた。まだ開店前かもしれないと彼は思った。
「お待たせしました、何にしましょう?」
気がつくと、右手の奥から男がゆっくりと近づいてきていた。季節的に少し早い薄手のからし色の七分袖のTシャツに、コットンのベージュのチノパン。緑色のあせたエプロンを腰に巻いている。
「あ・・メニューもらっていいですか」
「メニュー?・・ああ、お客さん、ここ始めて来たの?」
その男性は、彼を待たせたことを気にする様子もなく、ニコニコしながら席に案内した。色白で恰幅があり、幅の広い眼鏡をかけている。年齢ははっきりわからなかった。40代にも60代くらいにも見える。男性は窓際の広い机のある席に彼を案内した。
「この店にはメニューがないんですよ。コーヒーやミルクとかわかりやすいものと、あと簡単な軽食なら作れるかな。何にします?」
「・・あの・・すいませんが、おいくらぐらいします?」
男性はニコニコした顔のままだった。
「そうですね。失礼しました。どうも、いつもの慣れでね・・ここは投げ銭式なんですよ」
投げ銭?
「入り口にポストみたいな箱があるでしょ。あそこにお客さんが好きな分だけ払って帰るんです。ここはね、丘の下にある商店街の組合と自治体が共同で出資して運営してるんですよ。地域の人たちが、神社に来る際、ここに立ち寄って休憩したり、ちょっと話をしたりできるようにってことでね。私はその運営を任されてる中田ってもんです。まあ、運営といってもボランティアに毛が生えたようなものですけどね」
笑い声にあわせて、腹が少し揺れた。
「そうなんですか・・」
「お客さんは、学生さん?」
「え・・あ、まあ、そうですね」
「投げ銭だからって、あんまり考えなくていいですよ。そうだなあ。今日神様に支払ってもいい額はいくらですか」
「・・神様に支払いたい額?」
「そう。お客さんが今生きていて、神様に支払ってもいいと思えるお金です。神様っていうと何か大層だけど、神様は自分以外すべてのことを言うんですよ。人や動物やこの春の日差しなんかも含めてね、全部」
東川は困った。自分以外の全てのものに支払ってもいい額なんて、想像したこともない。
「お客さんは、あなたの生まれているこの社会が好きですか。この世界を楽しんでる?」
「・・僕は好きじゃないです」
「そう、それならお代はいただきません。何か適当に作るから待ってて」
いや、と返す間もなく、中田と名乗った男性はさっさと奥に入ってしまった。
弱った。ただで作ってもらうわけにもいかないし、実際何も注文していない。でも、勝手に出ていくわけにもいかない。
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