中学生時代、自分が言語障害だと知って衝撃を受けた話。

どーも、えーたと申します。

ぼくは言語障害を抱えているのですが(傍目にはわからないらしい)

それを自覚したときのお話です。


言語障害とは何か


言語障害は言語機能に障害があることです。

言語理解・表現ができない(し難い)「言語機能の障害」と

発音がうまくできない「音声機能の障害」とに分かれます。


ぼくは音声機能に障害を抱えていまして、

そのなかの構音障害にあたります(たぶん)。


細分化するともっとあります。

吃り(どもり)とか、あの辺も言語障害の一種です。


※以下wikipediaより引用↓


"構音障害(こうおんしょうがい)とは、発音が正しく出来ない症状を言う


構音障害はその原因によっていくつかに分類される。

1. 器質性構音障害 - 音声器官における形態上の異常により引き起こされる発音上の障害。


2. 運動障害性構音障害 - 音声器官の運動機能障害による発話の障害。


3. 聴覚性構音障害 - 聴覚の障害による二次的な発音上の障害。


4. 機能性構音障害 - 上記のような医学的原因の認められない本態性の発音の障害。"


ぼくの症状は上記のうち1と2に当てはまります。


ぼくは口蓋裂(こうがいれつ)の状態で生まれたので、

発音機能の構造や筋肉のつき方がやや人と違います。






言語訓練を受けていた


幼稚園、小学校と言語訓練を受けていました(当時は自覚無し)。

「ことばのきょうしつ」というものに通っていました。


発音の練習をしていました。


五十音1つひとつの発音と、文章の音読と、
鼻からの息漏れの計測などをしていた記憶があります。


息漏れの計測は以下の手順で行っていました。

・水入りコップとストローを用意。

・ストローで水をぶくぶく(この間計測)。

・鼻をつまんでぶくぶく(この間計測)。


鼻をつまんだ状態と、そうでない状態での時間差によって息漏れの度合いを計る。


いま思えば、あれは弁の筋トレだったのでしょう。

これは全て推測で書いてるのでちょっとわかりませんが。


先生たちが言語聴覚士であるとか一切考えていませんでしたからね。






小耳に挟んだ「そのうち自覚する」という言葉。


言語訓練に行きつつ歯の矯正もしていました(これも口蓋裂による不正咬合)。

そのときにお医者さんたちが、何やらぼくについて話しておりました。


あまり覚えていないのですが、


「そのうち自覚する」


という言葉だけが妙に印象に残っています。

当時(小学3年くらい?)は何のことか全くわかりませんでした。


「自覚」の意味もわからないくらいです。

なんで、そのフレーズだけ拾ったのか。自分でもよくわかりません。

そのフレーズは自分の胸をえぐるものになるとは知らずに。


訓練をするお部屋(10畳くらいかな)でぼくが

椅子に座っておもちゃかなにかをいじっていたときのこと。


白衣を着た人たちがぼくの後ろで何やら話していて、「そのうち自覚する」という言葉を発しました。ぼくの耳はなぜかそこだけを拾いました。そのフレーズが、頭の中に飛び込んできました。


ソノウチ、ジカクスル。






中学時代、ついに言語障害を自覚する


あれは友達と遊んでいたときのこと、また別の友達から電話がかかってきました。


ぼく「もしもし」

友達「○○君いる?」

ぼく「いるよ」

友達「換わって!」

○○君「もしもし」

友達「えーたに変わって!」

○○君「??えーたに換わってだって。」

ぼく「もしもし」

友達「うははwww あー○○君に換わってwww(後ろにも何人かの笑い声)」


このあと数分間、○○君に換わる→ぼくに換わる→「うははwww もっかい換わって」の無限ループでした。


これ、ぼくの「もしもし」が「もひもひ」という発音に

なっているのを面白がってのいたずらでした。あとで気づきました。


ぼくは「さ行」の発音が苦手で、「し」が「ひ」になるんです。いまはだいぶマシですが。


これは、相当なショックでした。友達だと思っていたやつが
陰ではぼくのことを馬鹿にしていて笑っていたなんて。

しかも、学校では普通に友達なテンションで接してくる。


全くもって意味が分かりませんでした。嫌いなんだろう?
嫌いじゃなかったら、そんないたずらもしないだろうし。
嫌いなら、関わろうとするなよ、なんなんだお前は。


ほんと、そんな気分でした。好きでもない人間に、
友達の振りをして、陰では馬鹿にして、笑っている。
その心理がぼくには理解できませんでした。


あと中学の授業で(保健かな)「言語障害」について触れることがありました。
ぼくのことを馬鹿にしているやつとその周辺の人たちはこちらを見てクスクスと笑っていました。


陰でのあだ名は「もひ」。


あとは国語の授業で音読がある時も、陰でクスクスと笑われていました。
笑っていたやつは、きっと覚えていないんでしょうね。


こうしてぼくは自分が言語障害だということを自覚しました。最悪でした。


お医者さんが言った「そのうち自覚する」って、

こういうこと?こういうことなの?


と考え、それはそれは大変なダメージを心に負いました。

お医者さんはそのような意味で言ったわけではないと思います。
しかし中学当時の再生のされ方は最悪なものでした。


いま思えば、小学校時の報復かなーとも感じます。


小学生の時はダウン症の子を差別的な目で見ていたので、それが自分に跳ね返ってきた感じ。
なんてひどいことをしていたんだろうと、ものすごく反省しました。


それからというもの「障害」というワードには敏感になり、
障害者の、世界の見え方に関心を持つようになりました。


実際に関心を持つまでには、ずいぶんと時間がかかりました(10年くらい)。
自分が障害者であったこと、障害者を差別していたこと。

矛盾を孕むこの何とも言えない感覚に整理をつける作業は容易ではありませんでした。


そういった具合でぼくは自分の言語障害を自覚しました。自覚の仕方としては最悪だったと思います。まぁいまではこうして物語を書けるようになっているからありがたいといえばありがたいのですが。


勉強して、知識が増えて、それと自分の体験を重ねて「自覚」をする。その体験が「馬鹿にされる」「裏切られる」というものやったことが、心にダメージを負った原因ですね。また言語障害に異常に劣等コンプレックスを感じているのはそういったわけなんですね。書いてみてやっとわかってきました。


最後まで読んでくれた方、ありがとうございます。

読んでもらえただけで、ぼくは幸せです。

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