23君子おばあちゃん【息子たちに 広升勲(デジタル版)】

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この話は、わたくしの父が1980年に自費出版で、自分と兄の二人に書いた本です。

五反田で起業し、36で書いた本を読んで育った、息子が奇しくも36歳に、

五反田にオフィスを構えるfreeeの本を書かせていただくという、偶然に五反田つながり 笑

そして、息子にもまた子供ができて、色々なものを伝えていければいいなと思っています。 息子 健生

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君子おばあちゃん


ここで、父さんのお母さん、君子おばあちゃんのことにふれておこう。

君子おばあちゃんは、二十歳のとき、父さんのお父さん、広升春夫と結婚したんだ。そして昭和十四年和子おばちゃんが生まれ、十六年に父さんが生まれたのだ。

その頃、朝鮮半島は日本の統治下にあって、春夫おじいちゃんは、朝鮮で警察官をしていたんだ。だから、和子おばちゃんも父さんも朝鮮で生まれたんだ。

父さんが生まれて間もなく、昭和十六年十二月、第二次太平洋戦争がはじまったんだ。

春夫おじいちゃんは召集でそのまま、戦争に行ったんだ。

君子おばあちゃんは三歳の和子おばちゃんと、一歳になったばかりの父さんの母子三人で、おばあちゃんの郷里岡山県笠岡市に引きあげて来たんだ。

そして戦争が終った。

春夫おじいちゃんは広升家の長男、そして父さんがその長男、だから、広島に帰ったんだ。

まもなく春夫おじいちゃんの戦死の知らせが届いた。そして君子おばあちゃんは、春夫おじいちゃんのいとこの広升定夫という人と再婚したんだ。父さんは、その人を「おとうちゃん」と呼んだ。



そしてその間に子どもが生まれた、それが健太おじさんだ。だから、父さんと健太おじさんは、母は同じだけどの父ちがう異父兄弟なのだ。

その定夫おとうさんも、それから三年して結核で死んだんだ。父さんが小学校三年の時だ。だから君子おばあちゃんは、苦労したんだ。先祖からの山の木を売り、山を売り、畑を売りして父さん達を育ててくれたんだ。

「ご先祖の財産を嫁に来た女が売りはらう」といわれたこともあったんだよ。それだけに、金ばなれがよく、買物好きだな、君子おばあちゃんは。

そのおばあちゃんが、父さんが夜間高校の三年のとき、泉岡徳実おじいちゃんと再々婚したんんだ。だから、今では、君子おばあちゃんは泉岡君子というんだ。

広島の父さんの先祖からの財産もほとんど売りつくしたし、君子おばあちゃんも、農業をやめて広島市内に近い所で借家住いをしている。そんなことから、父さんの親戚からは、

「広升家から出た人だからおつき合いはしなくてもいいネ」といわれることもある。

でも父さんにとっては、本当のお母さん、である。山や田んぼは売ったにしても、父さんを育ててくれたんだ。だから、できるだけ親孝行をしなければと思っている。

徳実おじいちゃんも本当の親ではないけれど、君子おばあちゃんと同じように、大事にしてあげようと思っているんだよ。


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