【Part 6】「とりあえず、統合失調症患者になった自分が語る、26歳の人生。」~ついに帰郷編~

1 / 2 ページ

 第三章~大学を卒業しても~




・親の反対を押し切り、専門学校へ


・大卒のプライド、箸が転んでもおかしい生徒たち


・無視、無視、隠し味に「お前誰だよ!!」


・卒業と同時にマイカー購入。アルバイトへ。


・コンビニバイトでも、ちょくちょく顔を出す統合失調症。


・「職業訓練校」


・「穴は深く掘れ、されば穴は広がらん」



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


・親の反対を押し切り、専門学校へ


 「ちょっと、休まない?」


 それが、卒業した自分への、母親の第一声だった。


 激務と天変地異。慣れない引っ越し。と、かけずり回っていたのだから、少し休め!と、言う意味だったのだが、


 「就職できない自分は無価値だ。」


 と、思い込んでいた自分は、


 「なんで、専門学校入らせてくれないんだよ!」


 と、ブチ切れたりした。


 今思うと、「職業訓練校」などの、無料で受けられる就職訓練制度などがあるのだから、無理せずに、身体を休める。意図的にニートになる事を、勧められていた。


 自分は、卒業論文を制作し、口頭試問も終わり、卒業証書を貰わないまま大学を卒業したため、まだまだシューカツが残っている。と、思い込んでいた。


 今思うと、


 「焦るな焦るな!無理をするな!無理をするな!!」


 と、両肩をポンポンと叩いてあげたかった。


 そんなタイムマシーンも無いので、今、ここに、書き記しておく。






・大卒のプライド、箸が転んでもおかしい生徒たち


 こうして、フライングゲットして始まった、専門学校生活だったが、うるさい。とにかく、うるさい。


 狭い教室に四〇人がすし詰めにされ、ピーチクパーチク鳥のさえずりだったらよかったのに、うるさい生徒たちの声で、先生の声が聞こえなかった。


 今までの読者だったらわかるだろう。もう、発症の土壌はできているのだ。


 そこでは、六月に向けた「簿記三級」の勉強をしていた。


 「利益」、「純利益」、「負債」、…ぐらいしか思い出せない。


 隣で猛烈に紙一面にびっしりと何かを書いている生徒がいたり、安息の日が無かった。


 そんなどん底だった自分に、転機が訪れた。  


 天気が良かったその日、自分は、学校を休むことを電話で伝えた。


 その日は、ラーメンズの小林賢太郎のソロプロジェクト、「Potsunen(ポツネン)」の新潟公演があった為だ。昼の公演だったので、一時は売りに出そうかと思ったが、行かなくては一生後悔すると思い、断腸の思いで長岡から新潟へ足を運んだ。


 自然豊かな「りゅーとぴあ」と言う会場で行われたソロ公演は、落語あり、地元でしか伝わらないネタありと、小林賢太郎の愛情を、一心に受けられる公演だった。


 最後のカーテンコールで、


小林賢太郎
「僕は、この公演を中止しないか。と打診された(東日本大震災のため)。でも、やるんだ!と言ったんだ!」



 万感の拍手。


 

小林賢太郎
「もう、人の幸せに飢えているから、今年、何か新入生とか、いないの?」



 という問いに対して、自分は勇気を出して、手をあげた。


 

小林賢太郎
「お!がんばってね!」



 天にも上がるほど、うれしい出来事だった。


 しかし、一時の蜜の味と、日々の地獄は、つり合いが合わない。


 時と同時に、祖父が足を骨折した。


 川に時計を捨てたと思いこみ、その川に足をつっこみ、滑って骨折してしまった。


 母親がお見舞いと仕事の両立をしている中、自分は、何もできないでいた。


 祖父がほぼ回復していた時、母親が祖父に、


 「ちょっと、ベッドで眠らせてくれいや」


 と言い、祖父がそれを了承した。


 ベッドで母親が眠っていると、医師と看護士がやってきた。


 最初は、寝ぼけていた母親だったが、すぐに異変に気付いた母親は、顔を真っ赤にして、


 「申し訳ありません!」


 と言い、医師は、


 「疲れていたんでしょうね。大丈夫ですよ。ゆっくり寝てってください。」


 と、優しい声をかけてもらったという。


 祖父は、ゆっくりと外を見ていた。


著者の桑原 和也さんに人生相談を申込む

著者の桑原 和也さんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。