日本一の高校を卒業した18歳が単身陸路ヨーロッパを目指しシルクロードを踏破する話

日本一の高校がどこかについては議論があるだろう。

開成。筑駒。灘。

しかしこれらのうちのいずれかであることにあまり議論はないだろう。

高校にはいろいろと意趣があるが、そこでできた仲間は大切なので、高校名は明らかにしない。



高校三年の日常の会話

「どこ志望?」

「文一。お前は?」

「理二」


とまあ、日本一の高校ともなると、志望校の会話に大学名は出てこない。

東大は自明の理で、科類だけを答える。

東大でない場合のみ学校名が出てくるが、「東大でない場合=医学部」と考えてほぼ間違いない。

キモイ世界だ。


東大か医学部に行かないと、同窓会で肩身が狭い。

同窓会では東大トークか、医学部解剖トークで盛り上がるからだ。

もちろん軽蔑するような奴はいないから気にならなければいいが、

気になると自分がつらい。


事実、トップ校にくる連中は中学か高校受験で早慶を蹴っている。

大学で早慶に甘んじては、トップ校に来た意味がなくなってしまう。

落ちこぼれても国立には滑り込みたい。うちの学年の最下位は筑波大だった。


東大に行く生徒の半数は、小中学生のころから東大を意識している。

うちの高校では生まれたときから東大が決まっているような奴らばっかりだった。

優秀な連中は一族郎党で優秀なのだ。


同級生の親は軒並み名門大卒、

やれ教授だの医者だの弁護士だの商社マンだの、とにかく身近に縁のない職業だった。

血は争えないと知った。


それまでの友達の親といえば、

トビ、剪定屋、トラック運転手、タクシー運転手、ラーメン屋、ヤクザ。


中学は名の通った不良学校だった。

一回り以上上の先輩からカンパが回ってきて女子が下着売ったりしているような漫画みたいな学校だった。

中学卒業後トビやキャバになった友達が多いが、族や借金取立てなんかもいて、さながら「いかがわしい職業図鑑」の様相を呈している。

辛うじて高校進学した奴らも名前書ければ受かる定時に行き、案の定着実に辞めていった。

女子は順調に苗字が変わり、成人式には子供を抱いてきた。

10代で親になり、20代も早々に、2人目、3人目をこさえている。世間は少子化と騒いでいるが、こと地元に限ればどこ吹く風だ。

出入国ならぬ出入獄の話もよく話題に上る。


そんな中学で僕はすくすくと育った。


順調に行っても、地元の高校に進み、役に立たない専門学校に行って、

ろくな仕事にも就けず、ワーキングプアをだらだらと続けるのが関の山だった。

先輩たちの背中に、自分の行く末が見えた。


中学の仲間は、地元の高校に進み、地元で遊び、地元の女と結婚し、地元に住み、地元の仲間とつるみ続けている。

今でも地元を歩けば、後輩が「こんちわああっっっすうああ!」と遠くから気合の入った挨拶をしてくれる。やめてほしいが、挨拶が1秒遅れてもボコボコなのだから仕方ない。

地元ナショナリズム。

何も変わってない。

狭い世界。


ここから出たい。


その一心で勉強した。

ここを逃げ出す直近のチャンスは、受験だと思った。

外の世界への切符。


受験の必勝法則、それは、

人より早くはじめて、逃げ切る。これ定石。い ろ は。


世の中学生が受験モードに入るのは、部活引退を待って夏休み頃からである。

そこで、一足早く春休みからギアを入れたところ、成績はみるみる伸びた。

周りがやってないのだから当然といえば当然だ。

2か月しないうちに全国1位に上り詰めた。

某塾の模試で2位と30点差をつけてぶっちぎりのトップになり、授業料を全額免除されることになった。

週6で部活はあったが、勉強の方はやることがなかったので、内申対策として試みに6月の英検と漢検でそれぞれ2級を受けたところ、いずれも9割を越える成績で合格した。

部活引退後も暇つぶしに、地区の水泳大会の学校代表に選ばれたり、校内合唱祭の伴奏をしたりしてのびのび勉強を続け、一年間全国一桁に君臨し続けた。

偏差値は80を越え、難関校を総なめにし、入学式では総代に選ばれた。

非の打ちどころのない出世街道に思われた。

もちろん東大を意識した。


ところが、歯車が狂い始めた。


思っていたのと違う。



同級生は優秀で、頭は切れるしジョークも秀逸だし、いちいちあれこれ言わなくても分かるし、いじめなんかもないし、要するに、みんないい子だった。

ここまでは望んでいた、求めていた世界だった。

しかし、度が過ぎた。

彼らは無菌の温室で純粋培養された筋金入りのいい子たちだったのだ。


家庭崩壊とか、家出とか、タバコとか、援交とか、妊娠とか、薬物とか、暴力事件とか、刃傷沙汰とか、これまで僕の日常を彩ってきたこれらのこととはおよそ無縁の世界を生きていた。

世を取り巻く社会問題は、どこか遠くの世界で起こっている、自分たちには関係のないものらしかった。

代々都会で繁栄を享受してきた彼らには、地方の問題、例えば過疎なんかも、教科書のなかだけで起こっているフィクションだった。


多くの社会問題が貧困に端を発すると考えると、彼らにはうまく想像できないのだろう。

無理もないことだった。

親の代から、貧困の「ひ」の字も知らない恵まれたものたち。


育ちの違いを感じた。


VIPPERな彼らは、働いたら負けと言って無邪気に笑っていたが、その意味するところの辛辣な皮肉にも気が付いていなかった。

桁違いの小遣いを与えられ、限度額なしの親ATMが控える彼らは、絵に描いたような「働いたら負け」を生きていた。

あくせくとバイトをしているのは本当に自分くらいだった。


当然みんなと同じようには遊べない。

みんなが豪遊していたわけでもないが、他人の金で遊ぶ人間ほどには気前よくなれなかった。

ジュースも買わなかったし、コンビニもマクドナルドもパスした。

汗水垂らして稼いだお金が、一時の快楽のために消えてゆくのがとにかく我慢ならなかった。


しかし、誰を責めることもできない。

鳩山くんたちの金銭感覚にはとてもついて行かれなかったが、思い返してみると、彼らはマリーアントワネットと同じくらい無実だった。


そのうちにはたと気が付いた。

「こいつらが、いずれ日本を作る人材、日本の未来を担う宝なんだ」

日本を作り上げ、動かしてきた人々の、子息たち。

僕が戦って勝ち取った切符を握りしめて生まれてきた、選ばれしもの。

社会を動かす側に席が約束された、選良。

生まれた時から、なんの疑いもなく、陽の当たるところだけを歩き続けてきた。

そして、これからも陽の当たるところだけを歩き続けていくだろう。

その親も、そいつも、その子供も、孫も。


こいつらの既得権益を守るために作り上げられたもの、それが体制なのだ。


Ignorance is bliss.

無知こそ至福、の意味を痛感した。

闇を知らずに生きていく彼らのなんと幸せなこと。

そして、光を知ってしまった自分のなんと惨めなこと。

知らない方が幸せなこともある。


うちのじいさんに首を吊らせた、その体制って一体なんだ?

同級生の親はみな大学出てるのに、うちの両親が大学に行けなかった、その体制って一体なんだ?

親の年収が低いと東大に行けない、その体制って一体なんだ?

体制の向こう側の連中の豊かな暮らしを維持するための堤防じゃないか。


堤防を越えての異種交配などほとんどない。

堤防の向こう側では、選良たちが近親交配を繰り返し、純潔を維持している。

無知のサラブレッドたちが再生産され続けている。


そんな生粋の無知どもが、社会を動かしている。

貧困を知らない者たちが、経済を語る。

田舎を知らない者が地方行政に口を出す。

甚だしい矛盾の繰り返しが、このちぐはぐな日本を作ったと考えれば、説明は容易い。


受験戦争のどさくさで、この堤防を攀じ登った僕が体制の側に紛れ混むのは簡単だった。

しかし、心がそれを許さなかった。

今日まで僕らを虐げてきた体制に加わるだと?


だが、堤防を降りることもできなかった。

知りすぎたために、もはや同じ気持ちで元の領分には戻れなくなっていた。

Ignorance is bliss.

自ら望んで攀じ登ってきただけに、この結末を呪った。


こうして行き場をなくした僕は、この糞くらえな日本を出る以外、心の向かう道はないと悟った。


当然学校には、一方的に居づらさを感じていた。

意地悪するような人はもちろんいなかったが、彼らの罪のない言動の端々に心が痛んだ。

不登校や保健室登校を繰り返しながら、なんとか、比較的優秀な成績で、僕は高校を卒業した。



「ヨーロッパで仕事を探そう」

物価の高い北欧で働いて、バカンスを南欧で過ごす、そんな生活を思い描いた。

アメリカには関心がなかった。

歴史のないアメリカには見るべきものはないと感じていた。(文化的には、今もそう思っている)

当時は自然よりも人間が作り出した制度とか文化とか芸術に興味があった。


アメリカはもともと封建支配から逃れた寄せ集めの移民の国であり、互いの違いをアメリカという自由の大地に葬り去り、それぞれが背負ってきた過去はしまいこんで、みんなで前を向いていこう、という未来志向の社会なのに対し、

ヨーロッパはそれぞれの民族および階級集団が自らの出自と歴史を固持しながら鬩ぎ合ってきた、伝統を重んずる過去志向の社会、

というおおざっぱな理解があった。(この理解は今も変わらない)

同じく後ろ向きの人間として、アメリカ的自由や楽天さよりも、ヨーロッパ的閉塞・深刻さが肌に合あいそうだと感じた。


それに、ショパンやリスト、アルベニス、ラフマニノフ、ゲーテ、プルースト、カフカ、サンテグジュペリ、ミュシャ、クリムト、シャガール、、彼らと同じ空気を吸ってみたかった。


そして何より、ヨーロッパまで、大陸が続いていた。


「時間は有り余るほどあるのだから、ヨーロッパまで陸で行こう」

西に向かうに連れて少しづつ変わっていく文化や空気を肌で感じながら、ヨーロッパへのモチベーションを高めよう。


この決断が、のちのちの人生を変えることになる。


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