それは違うなぁと感じたちょっとした小話

 小学二年生のとき、クラスに転校生がひとりやって来た。その子を特別よく覚えているのは、初めて接した障害を持つ人だったからである。特別養護学級はあったのだが、そこに通う子たちとは交流などなかった。障害と言われても、正直「どういうもの?」と疑問しかなくて、訳もわからない状態だった。中には、障害者という言葉さえ知らない子もいたくらいだ。

 担任の先生は、言った。「きちんとゆっくり話せば聞こえています。みんなと同じです。同じように遊んでください」と、ちょっと耳が聞こえにくいだけなんだーと私たちは解釈した。学校の帰り道にある老人ホームに、ちまちま遊びに行っていた私からすれば、聞こえにくい人との話は慣れたもので、同じだろうなーくらいの感覚だったのだ。その子は、話すスピードこそ、とてもゆっくりだったが、特に”できない”事がなかったので、私たちクラスメイトもゆっくり話すことを意識して交流を深めていっていた。5分休みでは教室で話をして、お昼休みは外で遊ぶ。まだ男女も区別も特になく、全員が走ってグラウンドに向かっていた。鬼ごっこをしたり、単なるかけっこをしたり、色鬼をしたり、ボール遊びをしたり、とにかく色んなことをやった思い出がある。

 しかし、あるとき、体育の授業でドッヂボールを行った時から、事態は急変する。クラスでふたつのチームに分かれてのドッヂボールは、最初こそ男子が男子を、女子も男子を狙うといった具合で進んでいた。外野は内野に当てないと戻れないルールだが、授業時間が少なくなると、ボールを当てられた内野の子が外に出るだけで外野の子は中に戻れないシステムになっていたことを覚えている。時間内に決着をつける為だろう。少しずつ内野が少なくなれば、当然ながら最初に狙われていた男子は全て外野になってしまって、内野は女子と障害を持ったその男の子だけになった。外野の子だったか、内野の子だったか。それは忘れてしまったが、とにかく、誰かが投げたボールがその子に当たり、アウトになった時のことだ。先生から怒号が飛んだ。「なんで狙ったんだ!!」――思いもしないタイミングで怒鳴られたものだから、全員がシーンと静まり返ってボールだけが転がった。意味がわからなくて困惑する空気の中で、先生は尚も何か言っていたのだが、最初の怒号の効果が強すぎて、全く頭に入らない。今でも少しも思い出せないくらいだ。しかし、あの場面とみんなの表情は忘れない。先生は、私たちが障害を持つ子を狙った事を相当怒っていたようだ。でも、あの時、先生は確かに「みんなと同じです」と言った。だから、私たちは同じように遊んでいたし、話のスピードを遅くすることで特に不便なく意思の疎通も行っていたし、障害者だからといって除け者にした覚えはない。

 そのあと、教室に戻ってからは覚えていないが、何となく障害を持つ子が誘われなくなったのは覚えている。だって、叱られるわけだ。ドッヂボールでボールを当てないとすれば、その子はどうすればいいのか。ただ立っているだけか? 見学者か? 走っているだけなのを見て、一切無視をすればいいのか? 或いは、ずっと外野に回しておけばいいのか? 結局のところ、先生はその子を特別扱いしろと私たちに命じたようなものだ。結果として、その子は除け者になってしまった。教室で話はする。無視はしない。いじめるような事もなかったように思えるが、お昼休みの遊びには誘わなくなった。最初に声を掛けていたリーダー格の男子がやめ、女子がやめ、取り巻きがやめ、一週間程度だったように思う。夏休みに入って、そのあと、始業式にはその子を見なかった。ひょっとしたら、養護学級に行ったのか、或いは転校したのかもしれない。とにかく、先生は誰もその子について触れようとはしなかった。


 誰が一番、ひどいことをしたのか。


 私もその学校は転校してしまったが、高学年になったとき、その先生のクラスが学級崩壊を起こしたと聞いて、妙に納得した時のことを、まざまざと覚えている。

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