亡き母との確執で学べたこと…(ver.1.1)
…憎しみ、不満から感謝への昇華…親を憎んで、敵対視していて仲良くできない全ての人々へ~
親子関係でストレスを抱えている方は非常に多いのではと思います。
そして私も母とは確執…犬猿の仲でした。
親子の確執に関して心理学を勉強すると、幼少時の親の影響による自尊心の低さとか、歪んだ解釈のクセとか、愛着障害などの原因に辿り着きます。
…要は「親のせいで、仲良くなれないような価値観を持ってしまった」というところに辿り着きます。
しかし、こうしたメンタル問題の場合、工業製品の様に原因を対策するのは困難な場合も多いのが現状です。
例えば、2つの部品で構成された部品が壊れたとします。その原因は、片方あるいは両方の強度が弱いとした場合、それを強化すれば問題解決になるのですが、メンタル問題では自分の改善、あるいは自分も、関係する人(親)の両方を改善するのは「非常に困難」という壁に突き当たります。
その為、原因に執着してしまう…親が悪い、私は被害者だ…と思い続けることになりますが、その事により苦しみというメッセージが止まることなく限りなく続いてしまいます。
皆さんや、皆さんの周りにも、親子問題が進捗しない、変化がなく続く苦しみを抱えた人は多いのではと思います。
苦しみ続けるのに疲れた時…極限、底辺、ボトムラインまで苦しんだ時、人は「選択」を余儀なくされます。
一つは、これまでの取り組みに疑いを持ち、他人のせいにしたり被害者意識を持ち続けるのを止めて自分と向き合うようになること。
もう一つは、これまで通り、原因に囚われ苦しみ続けること。
これから書く話は、私がストレスで体を壊し、それをなんとかして治したくて心理学を学んだ結果、体調やストレス体質から回復できたけれども、結局は親が亡くなるまで和解できなかった…その代わり沢山の贈り物への気づきについての話です。
…もし、貴方やあなたの周りにいる、親子関係で苦しんでいる人が、その苦しみから脱出するきっかけになることを祈りつつ書いてみます。
…母の葬儀の日に撮影した田舎の風景です。
「ストレスで体調を崩すまで」
当時の私はサラリーマンで、妻と2歳の子供の父親でした。520キロ離れた故郷の両親とは別々に生活をしていました。
約8年前に父が亡くなった後、急に母が体の調子を崩すようになりました。
骨粗鬆とヘルニアの合併症か、足が痺れるようになり手すり付きの家での一人暮らしを始めたところでした。
それから年に一回、急に倒れては入院するようになりました。…当時、比較的近くに住んでいた弟が仕事で忙しかったのもありましたが、「何故か」私が母の様子見や予防を兼ねて、二週間に一度、0泊二日の高速バスで520kmを往復する生活が始まりました。
残念ながら家族との生活と田舎の母を行き来する間にいろんな事が起き始めました。
…田舎の協力者とのトラブルが起きたり、母が入院しても無理やり退院したり「急にキレル」など、精神的な問題も見え始めました。精神医に代理で診察して貰ったところ、アルコール依存症の疑いが生じました。
…毎日、仕事を定年退職後に朝昼晩とビールを飲み続けた結果でした。
そんな問題が生じたり、入院するたびに会社に連絡が入っては、仕事を中断し仕事の引き継ぎをすることは非常にストレスが高く、さらに医者から急に誓約書へのサイン等の手続きのために呼び出されたりすることにストレスを感じ始めていました。
…そんな自宅と田舎の往復生活を3年ほど続けた結果、体に異常が現れました。
…頭痛、だるさ、手のしびれ、異常発汗、早朝覚醒(睡眠障害)などが生じた為、結果的に会社を休職することになりました。
…それから約1年と半年後に、東日本大震災がおきます。
その頃は弟が母の世話をしていましたが、母が入居していた施設から、放射能被害を恐れ物資が入ってこないので引き取りに来て欲しいとの要請があり、弟の協力で自分の住む家で同居することになりました。
…しかし、制限を嫌い、我慢できない(急に外に出たいと怒る、皆が寝ている中を車椅子を壁にぶつけ音を立てて活動する等)、犬を連れての母との共同生活に、当時の妻が悲鳴をあげはじめました。
母の急な要求に対応できないと怒る、機嫌や態度が悪くなる、嫌味を言う事に当時の妻がストレスを感じ始め、その間に私が挟まれるようになりました。
しかし問題を収束させる事が出来なかったため、妻が母に施設への入所を決めました。
しかし入居後1年半で認知症の重い人ばかりの中での生活に馴染めなかったこと、職員へのクレームの多さなどから孤立し最後は摂食障害のような状態になって入院、施設を退所となりました。
その後、再び同居となりましたが、以前の不具合の再発防止として介護サービスを利用し、週末はショートスティに行くなど、お互いに適度な距離感をとるようにしました。
しかし、嫁姑問題が再燃し、ついには妻から離婚宣告を受け、受理しました。
…この頃は自分の体調や問題は「母のせいだ」という被害者意識で一杯でした。
離婚により私が精神的に限界だったことや、母が腎臓の問題で定期的に病院で人工透析を受ける必要が生じた事で同居が難しくなった事もあり、弟の近くの施設を探してもらい、2014年の7月に引っ越しをしました。
しかし引っ越しして間もなく体調を崩し10月ごろからは貧血気味になり、血液検査の結果、急性白血病と分かり12月に余命宣告よりも二週間ほど早く亡くなりました。
こうして、母が死んでから振り返ってみて、客観的に見れるようになって思う事が、幾つかあります。
一つは、私は何故、身体が壊れるまで無理をしたのか、できたのか(遠距離介護と仕事、自分の家族との両立)ということ。
そして、もう一つは、何故、母との確執、被害者意識が本人が亡くなるまで解決できなかったのか
…と言うことでした。
「母が亡くなってからの気づき」
なぜ、私は身体が壊れるまで無理できたのか。共倒れというリスクに対し手を打てなかったのか。
それは、自分の長男としての役目を果たして、周りから評価されたいという気持ちが強かったからではと思っています。
もしくは長男としての役目を放棄し、周りから批判否定されるのが怖かったからかも知れません。
田舎での協力者とのトラブルに関しても、母と犬のケア(散歩など)をする代わりに金品や借金を要求された事に関して、「当時は母のせいで、こんな理不尽な要求を飲まなくてはいけない」と思っていました。
しかし、それについても長男としての役目を果たして評価されたいという欲から自分から交渉したのでは、と今では思っています。
…そのように、自分自身が存在する意義を探していた…自尊心の低さがあったと推測します。
もう一つの、疑問…何故、母との確執や母に対する被害使者意識が本人が亡くなるまで解決できなかったのか…については、
幾つかの問題…アルコール依存症のせいか、病院から逃走をしようとしたり親戚に対し、入院中に預かって貰った犬をを直ぐに連れ戻せと感情的な電話をした事に対し、「非常識だ、無礼だ、恥ずかしい」と批判的に思っていました。
…親として失格…。
私の中の価値観として、「母は、こうあるべき」という完璧さを強要していました。しかし、その期待が叶わない事から、悲しみが生じ、その「反転形成で悲しみが怒り」となり、更に期待を破る母に対し攻撃的な態度になるという悪循環にはまっていました。
この事は、心理学を学んでいる中で「反転形成」を知った時に気づいていました。反転形成とは、極度の悲しさや恐怖感、危機感を感じた時に、そのままでは怖気づいて無力になり攻撃される、生存の危機だと判断した脳が、脳内伝達物質を操作して「攻撃的」な態度に変容させることです。
…いじめられた人が急にキレて反撃するのも、普段おとなしい犬が他の犬や猫に遭遇した時に吠えまくり、実力に関わらずかかっていくのは、この作用だと言われています。
…イライラ、怒りという感情の裏には、悲しさや怖さがある…。悲しさ、怖さが反転形成でイライラ、怒りとなっているのです。
…では、母に完璧を期待する価値観は、どのように生じたのか。
これも心理学の中に答えがありました。
相談した方によると、私が幼少時に「母に言葉の虐待を受けていた」ようです。
心理学によれば、幼少時に親との関わりで問題が生じると愛着障害というハンディキャップを負うようです。
私の価値観や思考癖から「回避性愛着障害」に近いと分かりました。
回避性愛着障害は、幼少時に親に否定されるなどにより、親と一緒にいることに生存的な恐怖を感じた場合に母に愛情を求めることを止め、母を危険人物とし、接触を拒否するようになります。
反抗期がもっと過激になった状態だったようです。
…なので母を受け入れるには、「母は完璧である」という条件を自分で作ったように思われます。
同時に、母に受け入れられたいという潜在的な気持ちは、完璧でないと母に受け入れられないという覚悟もしていたように思っています。
ある意味、悲しみや恐怖から生じた反転形成により母を攻撃するために作った無理難題…「完璧じゃないから責める、反抗する」という口実だったのかも知れません。
事実、母が親戚等に私の自慢をすることに嫌悪感がありましたし(母の手柄である事を否定したい気持ち)、母が実家で父とのトラブルについて泣きわめくのを否定、侮辱する気持ちがありました。
…しかし、ここでもう一つの、母への攻撃性…否定する、認めないという態度が、母に感情的に当たるという悪循環の根源になっている事にも気付かされました。
スピリッチュアルや心理学ではトランスパーソナルという分野で私達の本質は「愛すること」だと聞きました。
…本当は愛したい存在。でも、何らかの原因で愛せない。そうなると、愛せない自分を責める気持ちが無意識に生じるそうです。
皆さんも経験したことがあるかも知れませんが、後悔とか自己嫌悪とか自分を責めるってすごく苦しいことです。心のエネルギーを著しく消耗します。
意識的には気づきませんでしたが、潜在的に母を攻撃した事に、自分を責める、自己嫌悪の気持ちをもっていたとするなら、それは、悲しみ、恐怖につながります。
そして、その悲しみが反転作用になって、再び攻撃的な態度に変わる…という悪循環していた事になります。
しかし、攻撃する相手がいなくなった後…その悪循環が止まります。母が死んだので攻撃する対象がいなくなったのです。
先に書いたように、母が生きている間に、自分は回避性愛着障害的な特徴があること、自分で生存のために決め事…価値観、判断基準、解釈の基準を作った事、本質は「愛したい」であることを知っていたのです。
それでも、母への攻撃性や否定…認めること、許すことができず、精神的に冷静に、本質のまま「愛したい」と行動できなかったのは、できない自分を責める事で悲しむという悪循環によるものだったようです。
…伊勢神宮へ行った時に観た雲。二匹の龍が遊んでいるように見えました。
この日の夕方、母の余命宣告の連絡を受けました。
「母がなくなった後に気づいた恵(めぐみ)」
身体を壊し、それを回復するために、身体や心について学んできました。
それは、元々心身を壊す要素を持っていた事を大事になる前に知らせてくれたとも言えます。
心身を壊すことで、知ったことは…愛着障害の恐ろしさ、人間の本質に反する自己嫌悪や自責の念の恐ろしさについてでした。
そのおかげで育児にも活かすことが出来ましたし、育児を通して自分がそうであるように、親も一人の人間であり完璧では無く試行錯誤だらけだったのではという許容の気持ちも持つことが出来ました。
そして今のライフ・ワークの核である「自尊心の低さが日本の問題につながっている」事にも気づけ、自分の持っている情報を展開できるという自分の存在意義を感じる、きかっけにもなりました。
自分と向き合っていた時に気づいた、お金へのブロック(借金はいけない、約束を破ってはいけない、人任せでは被害を被るリスクがある)という強い固定観念すら、早くからの経済的自立の促しや節約癖に役立っていたと言えます。
…そして、遅まきながら気づいたのは、私は十分愛されていたという事です。
被害者意識でいる時には気づけなかったことですが、今更ながら、こんな事が思い出されます。
・幼い頃に歌を歌って聞かせてくれた(カセットに録音されていた)
・プラモデルを作ってくれたこと
・うるさすぎて歯医者へ出入り禁止になったことへの責めの言葉は無かった事
・足を切った時の大騒ぎで医者に連れて行ってくれたこと
・熱を出した時のケア
・食中毒の時のケア
・小学生の自分に当時の金額で約8000円のアニメの本を買ってくれた事
・母のボーナス時の臨時のお小遣いを貰ったこと
・受験勉強の夜食にチキンやハンバーガーの土産をかってきてくれたこと
・学生時代バイクに乗ることの反対…事故にあったら、私は気が狂うという口癖をいつも聞かされた事
・お金の苦労をさせないでくれたこと(学費、母自身の介護費用、入院費用)
・基本的に何でもさせてくれた(バイト、自転車旅行、塾、料理、車通学)
・友人が来た時に菓子や食べ物などを気を利かせて差し入れしてくれたこと
・結婚式の費用の補助をさりげなく出してくれたこと
・帰省帰りに電車の中で食べろと寿司を持たせてくれたこと
…何故か今になって思い出されるのです。亡くなる前は、攻撃性とか相手を認めたくない気持ちが先行して封印していたのです。
私は言葉の虐待を受けていたかも知れませんが、別の面では十分愛されていたのです。
こうして、被害者意識や受身的な態度が消えたのが先か、すべての出来事に感謝しうる事…出来事から学べたこと、恵まれた事に気づけた事が先かはよくわかりません。
でも、永年にわたって私を縛り、精神的に攻撃的にしていた”悪循環”は無くなりました。
…気づいた”恵み”と書きましたが、母の名前は恵子でした。
「皆さんに役立てて欲しい事」
江戸時代の日本人の自尊心は非常に高く、それは明治維新時の日本文化否定を機に、外国の「低い自尊心」が入ってきたことで、今では江戸の時代に比べ、5%にみたない低い自尊心のレベルだと言われています。
その結果、「我々は」自給自足ができず、自殺者が多く、資源のために地球を破壊し、未来の子供たちが不安になる材料ばかり増やし続けています。人間関係の破壊もその一つの”症状”です。
自尊心の低さを向上させることで、不要な浪費や、人間関係の破壊を防ぎ、そして自分への信頼感、存在意義を取り戻す事ができ、心を豊かにできると信じています。
その為には、まず、今のご自身の状態と向き合う事が最初の一歩です。
<自分と向き合う時の注意ポイントまとめ>
・状態を客観的にみてみること(映画館でスクリーンに映った自分の人生をみるかのように)
・被害者意識、受け身、責任放棄、誰かのせいにしていないかの確認(原因に囚われない)
・無意識に無理をしてしまう…「べき、ねば」の様な歪んだ解釈癖の存在はないか相手に、自分の価値観、解釈癖を押し付けている事は無いかの確認(具体的にはABC理論、論理療法で検索してみてください)
・本当は愛したい…優しくしたい、与えたいという気持ちを阻んだり、妨害する気持ちは何かの確認
・被害とか悪いと思っている経験から「何を学べたか、経験できたか」を整理してみる
・本質である、本当は愛したい、優しくしたい、与えたいを無理にでも実行してみる。話を聞いてあげる、ハグする、お礼を言う等、とにかくやってみる
・どうしても「愛したい」を相手に表現できないのであれば、自分自身を愛する…優しくする、粗末にしない、ケアする事をやってみる(セルフラブ)
…その結果、視界が広がり、気づきが生じ、恵まれた、得ていたことが分かり、
…それが感謝の気持ちに繋がり、心が温かく満たされます。
それが自尊心向上に繋がり、私がしていたような人間関係の破壊、攻撃性が無くなり、本質である「愛したい」が自分に、他の人に素直に行えるようになると信じています。
私のライフワークである自尊心向上の為のプロジェクト、ウルトラ・ダイヤモンド・プロジェクト(UDP)のHPには、…これまでの経験談などの情報を載せてありますので、お役立ていただければ幸いです。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました!
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