【色覚異常の話】周りの人達には、どうやら虹が虹色に見えるらしい。

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黄緑と分かるまでは全く問題ない。

しかし、彼女を一瞥して「黄緑のリュックか、微妙だなあ」と思う自分に気付いてしまうと、冷静に考えると恐ろしくて仕方がないのだ。


彼女の何となく垢抜けない雰囲気も手伝って、そんな結論に至ってしまったのではあるが、それはこの際置いておくとして。



僕は黄緑がダサい色だとは思わない。緑、赤、茶色、黄色とかと変わらない。

「個人的には」そう思うのだ。


だが、ここでの「個人的には」は、一般的な色の解釈とあまりに乖離してしまっている。


のだめカンタービレという漫画で、イケてないオーボエ奏者を「green」と呼ぶシーンがあった。

緑はフランス語で暗い人を表す言葉らしい。


それ以来、潜在意識で緑という色は何となく受け付けなくなってしまった。

今思えば、緑色の服は一着も持っていない。


何が言いたいかというと、色に関して言えば、僕の審美眼は所詮、他人の審美眼の受け売りなのだ。


自分の持つ考えが何らかの外的要因によってねじ曲げられてしまうのが、僕はとにかく嫌いだ。


だから、「白とピンクは可愛い」とか「男はモノトーンが無難」だとか、僕とは全く異なる美的感覚を持った人達が決めたルールを捕虜の如く受け入れることしかできないのは、冷静に考えるとぞっとする。


ピンク色だと言われたら可愛いと思ってしまうし、グレーだと言われたらちょっとクールだと思ってしまう。

僕にとってピンクとグレーは同じ色なのに。



この情報処理が思考を介せず深層心理で行われているから、「自分」がどこにもいない。

僕は極端なB専でもなければ、靴下の匂いが大好きな訳でもない。

きっと人並みには可愛い女の子が好きだし、きっと人並みには焼肉屋の前を通ればお腹が空くと思っている。

でも僕が平安時代にワープしたらきっとB専扱いされるし、家族で高級な靴下屋さんに行って靴下の匂いを嗅ぐ、という文化がもし仮に日本に根付いていたのであれば皆それが好きになるだろう。

それらは全て誰かから教わったことだ。


女の子が真っ黒なレザーパンツと革ジャンに身を包んで「ふわふわで可愛い」と言われたり、男の子がフリルの付いたピンクのドレスを着て「バッチリ決まっててかっこいい」と言われたって、周りがそういうのであれば全く不自然ではない。


極論を言えば、明日から空が真っ赤になって、太陽が青くなって、人間の肌の色が紫になったって、人々が混乱しているのをよそ目に、僕は明日からも変わらぬ毎日を送るだろう。



色盲だけど、色調編集にハマる


人間をやめたくなるくらい辛いこともあった。


僕が写真を始めた18歳の頃、パソコンに転送した画像の色調を弄るのが心の底から大好きだった。

愛していたと言っても過言ではないくらいだ。


コントラストという設定を少し上げると、画像がより鮮やかになる。

もう少し上げると、もっと鮮やかになる。


鮮やかな画像を見ている時は、本当に心地よかった。


僕はついに、色盲から解放されたと思ったのだ。


これは僕の脳内で起こった革命だった。


「ああ、周りの皆はこんなに色鮮やかな風景を見ているのかなあ」と、皆が日常的に見る世界に思いを馳せてみたりした。


こんな地味な作業を、よくもまあ何百時間とやったものだ。

朝5時頃に寮の屋上に上って朝焼けを何十枚と撮り、部屋に籠って夜まで飲まず食わずでひたすら色彩を弄ったりもした。


撮った写真一枚一枚を念入りに編集して、コントラストを上げてみたり、赤色を強調してみたり、ありとあらゆる設定をフル活用して1枚の写真を仕上げる。


そうした後に編集前のオリジナルの画像を見ると、まるで本来の写真はモノクロのようなのだ。


満足するまで編集した画像は、二色であることには変わりはないけれど、色のある世界。

ようやく辿り着いたカラフルな世界からしたら、今まで見ていた世界はモノクロの世界。


色盲でもカラフルな世界を見ることが出来ることを発見した、僕の喜びを分かって頂けるだろうか。



              * * * * * * *



その中でも僕の一番お気に入りは、公園の遊具で色とりどりの服を着た子供達が仲良く遊んでいる写真だった。


編集ソフトに付いているあらゆる色彩設定を弄りに弄り倒したその写真は、ネットで見るどんな世界の名景よりも綺麗に見えた。



僕は幸せだった。



生まれて初めて「下品」と言われて


こんなことを3ヶ月くらい続けて、僕は一大決心をした。


前述した子供達の写真を、誰かに見てもらおうと決めたのだ。


当時寮住まいだった僕は、僕の部屋に来ていた1人の友人に、恐る恐るこの写真を見せた。


本当は「良い写真だね!」と言ってもらえる自信があった。


僕にとっては、世界一綺麗な写真なのだから。




「うーん…下品な色じゃない?」


その一言で、彼は僕の自信作、更に言えば僕の審美眼を一瞬で打ち砕いた。



下品、という言葉が鋭く胸に刺さった。


自分が最高に美しいと思ったものが、下品と形容されるのは何とも言いがたい屈辱だった。


が、大衆から逸脱しているのは僕の方なので、僕は「うーん、そうだよね。俺もちょっとそう思った。ありがとう」と返した。


僕は悔しくて、彼に反論したかった。

でも彼は色盲ではなく、色盲ではない前提で世界は作られている。

彼の意見は、大衆の意見だ。

よって、私に彼を非難する権利はない。

よって、悪いのは僕だ。

でも、色盲は治らない。


僕が悪いのに、解決策が無いと言うことは、どうあがいても「根本的に」僕が悪い。



刷り込みの如く3ヶ月こんな作業を続けていたから、自分が健常者だという錯覚に陥ってしまっていたのだった。


惨めを通り越して、何だか虚しくなった。

同時に親に申し訳ない気持ちになったのは、「食べ方が下品なのは、親の躾が悪いからだ」みたいなドラマを昔見たからだろうか。

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