吉本興業を辞めてまで、僕が挑戦したかったこと
日本には今プロデューサーが足りない。
だから、プロデューサーを育てる会社になる。
QREATORとは、QuantumLeap×Creatorの造語です。
ありとあらゆる世界において、新しい、そして驚くべき「モノ」を創る「ぶっとんだ人」。
そんな人たちのことを、僕たちは『QREATOR』と呼ぶことにしました。
起業家、職人、ファッションデザイナー、学者、医師、漁師、作家、芸術家、アスリートなどその職業の種類に関わらず、見た人を感動させるきめ細やかな作品を創っている人。
社会のなかで当たり前とされている価値観をがらりと変えてしまうサービスを創っている人。
未来を生きる次世代の人たちへと遺せる技を創っている人。
そして、その人自身の存在こそがもはや世の中を楽しませる“作品”となってしまっている人。
強い輝きを持った新しい「モノ」を創りだしてしまう、ぶっとんだ人たち。
僕たちがQREATORと呼ぶのは、素晴らしき創造的魅力に溢れた、まさに、そんな人たちのことです。
僕たちは日本にこの世の中を楽しくしてくれるもっともっと多くのQREATORがいるはずだと信じています。そして彼らの数はさらに増えていくと思っています。
それは、漫画・映画・芸術・テレビ番組などなど日本国内では高度なコンテンツにいつでもどこでも触れられる環境がこの日本にはあり、さらにインターネットサービスなどでその才能をさまざまな形で表現することが可能になったからです。
しかし、そのQREATORたちの才能を最大化するプロデューサーが今の日本には少ないと思います。
僕はプロデューサーの力を信じています。QREATORに人脈を提供し、刺激を与え、ビジネス感覚を持つプロデューサーがいればその才能はもっともっと最大化できると信じています。
僕たちはそんなプロデューサーを育てる会社になりたいと思っています。
プロデューサーは「人」の人生を変えられる。
2005年4月に吉本興業に入社して最初につかせてもらったのはナインティナインさん。昔からテレビで見ていた人とご飯を食べたり、助手席に座らせてもらったり、さらに厳しい上司だったためほぼ毎日緊張状態でした。そのため、この時期のことはほとんど記憶にありません。
記憶があるのは海外ロケで寝坊し飛行機に乗り遅れ空港で坊主にしたこと。
番組企画でねるとん企画に出演させていただきおもいっきりふられたこと。
しかし、この時ナインティナインのお二人の話や空気を5M以内で毎日体感できたこと、めちゃイケなど日本一の現場を体感できたこと、番組収録の空き時間に日々アイディアノートをつけていたことが今の財産になっています。
この時期、ナインティナインさん以外にもエンタの神様で大人気だったまちゃまちゃさん、ブレイクする前のCOWCOWさんや若手芸人さんたちを10組ほど担当していました。
今考えると恥ずかしくなるくらい芸人さんに何も貢献できていなかったと思います。
言われたこと、頼まれたこと、それを必死でこなしていました。まちゃまちゃさんとは朝まで一緒に泥酔してテレビ番組に向かったり、COWCOWさんとは勢いでギャグイベントを日比谷野音でやったり。
とにかく、芸人さんの近くにいて、芸人さんのやりたいことを実現することで認められたかった、褒められたかったのです。
それだけ芸人さんには魅力があります。僕は芸人さんが好きで吉本興業に入ったわけではないですけど、人として大きく何かが欠けている代わりにとんでもなく大きな熱を芸人さんは持っていました。
そして、その熱で人を笑わし続けていました。
いつの間にか僕は芸人さんを大好きになっていました。
あっという間に2年が経ち、突然、『ロンドンブーツ1号2号』を担当することになりました。
記憶が正しければ、チーフは特におらず、スケジュールも僕がいきなり持つことになったと思います。
いわゆる「プロデューサー」です。
うれしかったです。入社してから2年間で考えていた様々な妄想を僕が実行し、ロンドンブーツ1号2号で表現できることがうれしかったのです。
様々な才能に溢れるお二人に、3年計画をプレゼンし、議論し、当時の彼らのキャラクターからは飛躍のあった「笑っていいとも!」のレギュラー獲得や、田村淳キャスター化、田村亮パパキャラ化を提案し、共に実現しました。
もちろん運やタイミング、周りのスタッフのサポート、そしてなにより本人の創造的パワーのおかげでしたが、彼らの才能はもっと別にあるとマネージャーである僕が信じ、営業したことで全てが始まりました。
ロンドンブーツ1号2号は、「今」の人たちというブランドを維持するために、常にYAHOO!トップニュースを狙っていました。
文化放送のラジオのゲストに大物ゲストをディレクターさんと協力してブッキングし、そこに様々なメディアの記者に来てもらい翌日のニュースになるように心がけていました。
おもしろいと思ったテレビ番組のエンドロールを見ては、そのスタッフに会い営業をし、おもしろいと思ったCMがあればそのクリエーターに会い二人に繋いでいました。
出会いのために、雑誌で連載をとったり、テレビ番組でゲストに出してもらったり、様々な仕掛けをしていきました。
二人には最高におもしろい人たちと出会い、「楽しく」仕事をしてほしかった。楽しく仕事をしているロンドンブーツ1号2号は熱に溢れていました。その熱が視聴者を楽しませていると思いました。
ドッキリでもなんでも、何より視聴者の目線をもつこと。お客さんの目線をもつこと。これは淳さんから教わったことです。
そして、「誰がプロデュースをやっても芸人さんは変わらないのではないか?」そんな思いをずっと持っていましたが、プロデューサーが担当芸人さんの人生を少なからず変えられることがあるという自信と責任感が持てました。
「僕はプロデューサーなんだ。」
親友にも恵まれました。いきものがかりの水野くんです。1年間だけ大学で同じクラスメートでした。24時間テレビの現場で再会してから、節目に今でもご飯をたべている仲です。
彼が言っていた言葉があります。
「やっぱり100人より1000人を楽しませたいし、1000人より10000人を楽しませたい。」
確かにせっかく「もの」を創るのであれば、より大人数を楽しませたり感動させたりしたい。僕はこの頃から芸人さんに褒められたいというより、芸人さんの先にいるお客さんをもっともっと楽しませたいと心の底から思えるようになったのです。
そう思ってしまった僕は、このままの自分でいいのか?と考えはじめていました。
ロンドンブーツ1号2号に加え、ロバートやハリセンボンなど10組くらいを担当する立場になっていましたが、もっといろいろな人やものに出会い成長したいと思ったのです。
そして、今度は自分の力でものを創ってみたかったのです。マネージャーは良い意味で他力本願です。いか芸人さんに優秀なクリエーター(他力)をつないで価値を最大化していくかという作業。
僕は自力に憧れていました。そんな僕は会社にわがままを言い、マネジメントの部署から企画の部署に異動させてもらいました。
異動して早速「パパ」の需要を当時感じていたので、「パパパーク」というプロジェクトを立ち上げました。
吉本興業内に「パパ芸人」のエージェントをつくるプロジェクトです。
「パパ芸人を使いたい時はパパパークへ」。
多くの方のおかげでステップワゴンなど様々な「商品PR」のお手伝いやゴリさんと家族お揃いパーカーなどの「商品開発」やあたりまえ体操アプリなどの「コンテンツ開発」をしました。
また、東京学芸大学との共同プロジェクト、小学生向けのワークショップスクール「笑楽校」もはじめました。表参道ヒルズで行ったオープニングイベントでは1万人近くのお子さんに参加いただきました。
ジュニアさんと行った5年間チケットを発売し続けた「千原ジュニア40歳ライブ 千原ジュニア×」も創りました。
8000人近くのお客さんが両国国技館で感動してくれました。自力を志したら、多くの芸人さんと様々なものを創ることができ、その先にいる多くのお客さんを楽しませることができたのです。
でも、結果僕は独りで何もできなかった。
常に「人」と一緒に「もの」を創っていたのです。パパ芸人や学芸大学の先生方や作家さんや芸人さんと「もの」を創っていたのです。
結果僕はクリエーターではなく、プロデューサーだったのです。
「才能ある人」のプロデューサーになる!
そういえば、小学生の頃からクラスの人気者に耳打ちをし、担任の先生をいじったりクラスメートをいじっていたりしていました。昔からプロデューサー志向だったのかもしれません。
僕は「熱のある人」ともっと仕事をしたいと思い始めていました。もう一度マネージャーに戻りたいと思い始めていました。
それが天職とようやく気がついたのです。
しかし、もう一度芸人さんのプロデュースをするのか?
結論は違いました。
最近出会う起業家、職人、デザイナー、作曲家、市長、調理師、どんな職種にも何か欠けているけど吉本興業に入社して1年目に芸人さんに感じたあのドキドキした感じをもった熱い人がいっぱいいました。
もっともっとおもしろい人に会ってドキドキしてみたい。そして、僕の今までの経験をその人たちのために使ってみたい。そう考えたのです。
また、そういう方は自分でリスクを背負い、独りでチャレンジしている人がほとんどでした。
僕もリスクをとり、同じ立場になることでもっともっと深くいろんな「人」を理解してみたい。付き合ってみたい。その先にお客さんがもっと楽しめるものを創れるはずと信じたい。
僕は吉本興業を辞めることを決意しました。
今までの10年見てきたものを振り返ると日本中を笑わせる芸人たちや感動させるアイドルたちの周りには優秀なプロデューサーがいました。
見たこともないくらいドキドキする番組にはとんでもないくらいそこにエネルギーをかける制作者たちがいました。
日本のエンタメを創ってきたクリエーターやアーティストとプロデューサーはきっととんでもない熱があったはずです。
エンタメに限らず、車や飛行機、パソコンや携帯電話を創ったのもきっととんでもない熱をもった「人」だったはずです。
これからの人類を楽しませるのもきっとそういう「人」に違いありません。そんな「人」に寄り添う存在に僕はなりたいと考えました。
一人よりみんなでよいプロデューサーになる。
僕が芸人さんをマネジメントしている時、相談する相手は放送作家さんや様々なクリエーターでした。
例えば僕が何かのメーカーであれば、いつも様々な商品や会社のことを考えているPR会社や広告代理店やコンサルティング会社に相談できるのですが、個人のビジネスや才能を最大化することだけを考え続けそのノウハウが蓄積された会社は存在しません。
もし、この時代に個人のビジネスや才能を最大化し、それを実現するための専門的な「人」の営業代理店があったら、僕は相談していたはずです。
様々な業種で経験をつんできたプロデューサーたちが集まり、そのノウハウやコネを生かし、刺激を提供し、率直に考えを語り、徹底的にその「人」を営業する会社。
僕たちの会社には、人材や広告やレコード会社や出版社などなど様々な会社でプロデューサーをやってきたメンバーが集まりました。
とあるQREATORが本を出したいとする。
イベントに協賛をとりたいとする。学者に意見をききたいとする。
現役大学生と商品をつくりたいとする。
その全てをつなげられるプロデュースを一人ではなくみんなでやっていきたいと思います。
また、僕たちは、最高のプロデュースをしていくために、専属という形ではなく、非専属の営業代理店という形をとります。
その理由は2つあります。
1つ目は、QREATORは自由であるべきだと思うからです。
もはやこの時代TWITTERやFACEBOOKで個人が営業活動はできるはずです。「個人」でできる部分は個人でやったほうが収益もコミュニケーションも効率的です。個人でできるものは個人でやればいいと思うのです。
個人ではできないところ。繋がれないところ。その部分で、QREATORは組むべきプロデューサーがいるはずです。いつでも僕たちがQREATORにとって最高なプロデューサーでなければQREATORはすぐに離れていくということです。リスクをもたなければ、よいパフォーマンスはできないと思うのです。
2つ目は、僕たちがQREATORとフラットな関係を築くためです。
QREATORはクライアントではありません。いいものはいい、悪いものは悪いといえる関係を築きたいのです。
QREATORがお客さんや近すぎる存在になってしまうと、正しいプロデュースができなくなってしまうと思うのです。僕たちが貢献できた分だけ共有させていただく。そんな会社も今の時代にあってもよいと考えています。
弊社に最高なプロデューサーが集まり、様々なQREATORがうちの会社に集い、その才能やアイディアを広げ、蓄積し、「おもしろいものを欲しているクライアントやユーザ」にそのお題にふさわしい解答を提案したい。
日本だけではなく、全世界のクライアントやユーザが全世界のQREATORたちにアクセスし、QREATORとともに世界をもっと楽しませたいと僕たちは思います。
日本で何かおもしろいお店を開きたい人がデンマークのQREATORのインテリアデザイナーにオファーしたり、タイの大学生が日本のQREATORの学者に講演会をオファーしたり、そんな時代が来れば、きっともっと世界が楽しくなる。
僕たちは時代の、世界のプロデュースに挑戦します。
株式会社QREATOR AGENT
代表取締役 佐藤詳悟
https://www.facebook.com/shogo.sato.372
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