軍艦島へ、観光地化される前に上陸した話 第三回
記念すべき2007/08/13とうとう夢が叶った。
私は、禁断の地「軍艦島」に到達したのだ!!!!!!!
この時ほど、2ちゃんねらーに感謝したことはない。
彼らのお陰で、来れたのだから。
まだ暗くて危ないだろうと判断し、ガイア・オルテガ・マッシュらと同行することにした。
学校から始まり、病院、64号棟、地獄段と王道と呼ばれるルートを通り
瓦礫の山を抜けて、島の北側へと出る。
辺りは、さながら中東の戦場の様だ
瓦礫が散らばり、崩壊している建物の山を登ったり降りたり
崩れて行き止まりだったり、迷路のようだが
通れるルートを探しながら、今の観光地化された遊歩道側に出ることができた。
建物の中は、人々が退去時に置いていった
昭和の生活の品々が随所に散らばっている。
昭和のまま、時が止まった空間を
ファインダー越しに覗きこみ
夢中で、画を切り取っていた。
島を反時計回りに周ってきて、ベルトコンベアーの橋桁辺りから
学校の校庭へと向かうと、学校の地面がごっそりと崩れて
基礎がむき出しになっているではないですか!
いつ、学校が倒壊してもおかしくないのだと
改めて、危険な場所だと痛感したのです。
校庭に戻ると、既に日が昇り
気持ちのよい青空が広がっていた。
夢中で周っていたから、日が昇った事さえ気づかなかったのだ。
ガイア・オルテガ・マッシュと記念撮影して、帰りの船が来るまで各自
自由に散らばって見ることにしました。
私は、見落とした場所がないか
再び島内を巡って、だらだらと二周目。
AM6:30
集合場所である、学校の校庭に戻ると
数分遅れて、迎えの船が到着しました。
名残惜しくも、船に乗り込み
徐々に小さく見えていく、軍艦島の艦影を
一生忘れることのない旅だったと、目に焼き付けて
2007年最高の旅が、幕を閉じたのです。
全三回、ご覧いただきありがとうございました。
今でこそ、時効を迎えましたが
不適切だと仰られるのであれば、削除しますので。
ご一報ください。
しかし、あの時
軍艦島を目指さなければ、きっと私は後悔していたことでしょう。
なんせ、もう自由に周ることが到底不可能になってしまったのですから。
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