好きなことで生きればいい。~人生はだれのもの?~
気づけばその話題の先生の授業時に、学年主任を含め、多くの先生が授業中後ろにざっと数えて8人はいる。笑
はじめは楽しんでいたが、そんな状況を見て僕もわれに帰った。何をしてるんだ。不登校でやっとがんばって高校に入ったのにこれじゃあ駄目に決まってる。何をしてるんだ自分。って。
高校2年になると僕はなんだかそういう人たちが急にうっとうしくなって
「うぜーからやめろよ」「うるせーよ」
そんなふうに注意をし始めてから僕はクラスで浮き始めた。もちろん当然だろう。今までふざけていた人格が急に変わったのだから。
そんなことをしたもんだから僕には過酷な日々が待ち受けていた。
ある日いつものように学校に行き、友達だと思っていた男子にと話しかけると誰も答えてくれない。
クラスの雰囲気もいつもと違う。男子はいっせいに僕の敵となった。
「ああ、これがあれか。」
無視だ。ドラマでは見たことが歩けど実際に体感するとこれほどきついものはないな。そんな風に悟った。本当にショックで学校が終われば1番にクラスを出るようになった。
待っててくれる友達もいない。一人になったのだからこれ以上つまらないことはない。すぐに変えるようになった。
ある意味人間不信にも陥った。
誰も信じられないんだって思うようになってしまった。
しかしその後、10月に行われた、短期1ヶ月海外研修でぼくはたくさんの外国人の友達ができ、人の温かさを再び知ることができた。世界は高校だけじゃないことを知れたのだ。あたたかく話しかけてくれたり、気遣ってくれたり、そして何よりの収穫は、「自分の生きたいように生きていけばいい」ということが分かったことだった。周りの価値観に合わせなくてもいいということに気づかせてくれたのだ。
アメリカではみんな自分の意見を持っていて、それを尊重し合っていた。誰1人「○○君と同じです」なんてなかった。それがかっこよかったし、一人一人自分と向き合ってきたんだな。そう感じることができた。
「僕もありのままの自分で生きよう」と決めた。
それがいいのか悪いのかは別として、それからというと僕は、常に自分のしたいことが優先で生きてきた。だからきっと、その分たくさんの人に迷惑をかけていきてきたと思う。決して自慢することなんかじじゃないが、最短2日でバイトはやめている。日本にいたら典型的な本当に社会不適合者だろう。
けれど、そんなわけで自分のしたいことは絶対にしてきた自信はある。(すべて本当に周りの人のおかげなのだが苦笑)
親からこれやりなさい。といわれても、自分を信じてしたいことを1番優先して、親の言うことと考えが一致しなければ、そんなことはしなかった。自分のしたいことを常にすることは意識してきたし、我慢することはなかった。
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