「伝わらないこと」が育む豊かさの話

私は、2011年から2014年の3年間、フィリピン中部セブ地域の中等教育機関への日本語プログラム導入に携わりました。

セブといえばリゾート地として有名ですが、歴史的にはマニラに首都が置かれる前にスペイン植民地政府の首府が置かれていた古都であり、現在でも250万人を超える人口を抱えるフィリピン第2の都市でもあります。この地域は公用語でもあるフィリピノ語(タガログ語)とはまた別のセブアノ語という地域言語が使われており、もう一つの公用語の英語を加えた3言語が併用されている地域です。そうなると、日本語は、この地域の生徒にとっては4つ目の言語になります。

今日ご紹介したいのは、セブにある高校の職員室での一コマです。

ある先生が近くの市場からマンゴーを買ってきてくれたので、他の先生方4名といただきました。いつものように、マンゴーを食べながらのおしゃべりが始まりました。

こんなおしゃべりに私が入るときは、みなさんは英語で話しかけてくれます。それ以外は基本的にセブアノ語。この中に国語(フィリピノ語)の先生が2名いるので、この二人が教科の話をするときはフィリピノ語を使います。もちろんみなさんフィリピノ語もわかるので、国語の話に参加するときはフィリピノ語にスイッチします。

さらに、このうち2名はバンタヤンというセブの北方にある島の出身で、この二人のおしゃべりが盛り上がるとバンタヤノ語というセブアノ語とはまた少し違うことばにスイッチします。この二人のバンタヤノ語でのおしゃべりは他の先生にはあまりわからないようです。そして、簡単なあいさつなどは日本語でしてくれるので、英語、セブアノ語、フィリピノ語、バンタヤノ語、日本語の5言語でおしゃべりは続きます。

こんな感じで先生方はわかるときにわかることばで、わかる話題で楽しくおしゃべりをします。私も基本的にはわからないながらも、わかることばや話題を見つけて結構楽しめます。なぜ楽しめるかというと、多言語環境の中で先生方は、ことばが「伝わらないこと」に付き合ってくれる姿勢を自然に身につけているからです。ことばが伝わらなければ、精一杯の笑顔や手振りで、体の動きで思いを伝えようとしてくれますし、どうしても伝わらなければ他の話題を持ちかけてくれ、勘違いもおしゃべりの潤滑油になります。

お互い日本語で話せば5分で終わるような話でも、英語やセブアノ語では30分かけても伝わらず、また話しましょうということで、持ち越される。こんなやりとりを嫌な顔ひとつせずに付き合ってくれる。多言語環境下においては、このようなことは日本人である私に対してだけではなくてもざらにあります。

ここで感じたのは、ことばというものは、伝わらないから重ねるものなのであって、はじめから何もかも伝わってしまうものであれば、存在する理由はないのかもしれない、ということでした。伝わらないからこそ続ける。それでも伝わらないから、それが次の機会に引き継がれる。このようにして、こちらの人たちはつながりを築いていっているような気がします。

セブで私が感じたのは「伝わらないこと」の豊かさでした。

セブの人々は、豊かなコミュニケーションが育む笑顔と、あたたかいつながりや思いやりにあふれています。これがフィリピンのホスピタリティと呼ばれるものの源泉なのかもしれません。

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