専業主婦が、目指してないのに何故かタロット占い師になり、それを受け入れるまでの体験談(社会人生活スタート)

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はじめに・・・


私は42歳(2014年時点)の主婦です。


夫と二人暮らしで、基本的な家事をしながら、自宅でカギ針編みの講座、タロット講座、占いセラピーの個人セッションをしてお金をいただいています。


編み物は学校に通ったことはなく、独学で趣味で編んできた経験を元に、我流で「編みセラピー」と名付けたレッスンを行っています。


占いセラピーは、タロット占いプロコースに通い、本を読み、今も心理カウンセリングと算命学(中国の占星術)の講座に通っていて、偉大な先生方に教えていただいたことを元に活動しています。


編み物も占いも、元は趣味で始めたもの。

それがいつのまにか

好きなことが仕事になった 

という話なので、


「そういう働き方が理想です!」

「羨ましいです!」


と言ってくださる方もいらっしゃいます。

そんな風に、ポジティブな視線で私を見てくださる方のお一人から、


「そもそも秋間さんは、何を目指してきたんですか?」

「今は何を目指しているんですか?」


と聞かれました。


そうですねぇ。


小さい頃から占い師になるのが夢でした!

編み物の先生になるのが夢でした!


とかじゃないですからねぇ。


何を目指してきたか?と言われたら、決して編み物講師や占い師を目指してきたわけでは無いのですよね。特に「占い」に関しては、はっきり言って


胡散臭い

私には関係ない世界


という風に思っていたタイプですから、


今でも

自分が「占い師」になった

ということが信じられません。


いやぁ、人生なにが起こるか分からないものだなぁ~

面白いなぁ~

と他人ごとのように、感心してしまうほどです。


ある日突然、神のお告げが!

という不思議話でもありません。


でも、


今ではハッキリ言って天職だと思っています。


まだまだ未熟ながら、


私の持っている本質(星)をもっともっと輝かせて、

必要な人のために、必要な仕事をできる占いセラピストになりたい!


と思っていて、


一人ひとりが本来持っている星を輝かせて欲しい!!

そのお手伝いがしたい!!


という欲がある、という意味で、天職だと思っています。


一人ひとりが自分の本当の輝きを取り戻したら・・・

と想像すると、素晴らしい世界になるのは間違いなくて、

早くその現実が見たい!

と、ワクワクするのです。



そんな私が、「目指してたわけじゃないのに何故か思いがけず占い師になった」ということを、ある意味、客観的に受け止めたのが40歳になった時で、ちょうど結婚10周年という節目の年でした。


私って何を目指してきたの?

これから何を目指しているの?


の問いに答えるべく、改めてその体験談を振り返って書き記していきたいと思います。

まずは結婚前に遡り、大学を卒業する頃から・・・。



社会人生活スタート*通勤ラッシュと無縁の仕事に

私が通っていた大学は都心にありました。

卒業式の日は、あの地下鉄サリン事件当日で、式の予定が大幅に遅れました・・・。

それでも、無事に式を終え、晴れて社会人に。


家政学部被服学科を卒業した私は、小さなアパレル会社に就職し、洋服の販売員になりました。

洋服の販売員になったのは、服が好きというのはもちろんですが、一番大きな決め手は、通勤ラッシュの電車に乗らなくて良い、というところです。ファッションビルなどの大型商業施設に入っているお店の朝は、どんなに早くても10時オープンですから。

そんな理由で就職を考えていいのか?と思われるかもしれませんが、埼玉の実家から都心の大学に通学していた時のラッシュにヘトヘトになっていたのです。90年代の埼京線って酷かったんですよ。友達は傘が折れてました。学校にたどり着くまでの間に、すでに一日分以上のエネルギーを消耗してしまうようなあの電車に、本当にウンザリだったのです。


就職したアパレル会社には都内に社員寮があったので、もう実家には戻らないつもりで寮での一人暮らしを始めました。


実際に働き始めてみると、販売の仕事はかなり面白かったものの、会社の社風や将来性、先輩の人柄に激しい違和感を感じ、すぐに辞めることを決意。さっさと転職先を決めて、入社して5カ月後に退社。あっさりと実家に戻りました。


間を空けず、すぐに次の会社でも洋服の販売の仕事を始めた私。


次の会社は、好きなブランドの服だったこともあり、喜んで働きました。

高校時代に、体育会系のテニス部(インターハイ出場)で鍛えられていた私は、理不尽でも何でも上下関係が染みついている新人でした。

とにかく先輩や店長の話はすごく真面目に聞きますし、口ごたえなんてしませんし、飲みの誘いも断りませんし、元気で一所懸命働きますし、絶対休みませんし・・・


洋服の販売員としては珍しかったかもしれません。基本的に「先輩、店長の言うことは絶対」というスタンスなので、使いやすい新人!最初から面白がって可愛がられました。


でも、

口ごたえはしなくても不満はそれなりに色々とあり、

陰で先輩や店長の悪口を物凄く言ってました(腹黒)

そして体育会系の名残りで、基本的に勝負にも勝ちたいので、売上も常に上位を目指し、すぐに小さなお店の店長になりました。

お客様の話しを聴いて、お客様の求めているイメージのファッションを提供するというお仕事自体はとても遣り甲斐がありましたが、常に、


売上を上げる、結果を出す、社内で評価される。


ということが最も大切だと思って仕事していたので、色々と自分の気持ちは封印して頑張っていたのでしょう。休みの日はグッタリ疲れて、一日寝て過ごす、ということも多かったです。


3年近く頑張って働いて、

「でも、このまま販売を続けて、将来はどうなるんだろう?」

と想像してみたら、


その会社での将来は全然楽しそうじゃなかったので、辞めたくなりました。

(販売の仕事自体は楽しかったです)


ちょうどその頃、学生時代から付き合っていた彼とも別れて、

もう死にたい!

と思うほど激しく落ち込んでいたのと重なり、人生リセットしたい!っていう気持ちがムクムクと湧き上がりました。



すでに人生リセットへの架け橋は架けられていた

実は、私がそんな風にリセットしたくなることを見越していたかのように、その数か月前にある出会いがありました。


姉が高校時代に交換留学生としてホームステイしていたアメリカのお宅のお父さんが、日本への出張ついでに我が家に寄ってくださったのです。


当時の私は、アメリカへの憧れも語学を学びたいという意欲もありませんでしたが、初めて会ったそのお父さんは、とても穏やかで優しそうな人柄で、

「いつでもアメリカに遊びにおいで。」

と言ってくれました。

「1年でも2年でもホームステイしたっていいよ。大歓迎だよ。」

という風なことを、何度も言ってくれたのです。

英語がしゃべれない私は、愛想笑いで

「サンキュー」

と返すだけでしたが・・・。



そして、数か月経って、

彼とも別れちゃったし、

仕事の将来性も感じられないし、


なんだかもう人生リセットしたい!!


と思った時に、ふと蘇ったあの穏やかなお父さんの笑顔。


「あ、アメリカでホームステイさせてもらっちゃう?」


そんな動機で渡米したのが25歳の時です。


2、に続きます。


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