【第1話】〜生きようと決めて1年間闘い続けたら、過去がすべて今に繋がっていた話〜

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これまでのお話、

『死に場所を探して11日間歩き続けたら、どんなものよりも大切な宝物を見付けた話』


を読んでくれて本当にありがとうございます。




その後の話を「詳しく知りたい」と言ってくれた方々、


Facebookのメッセージや友達申請、メールをくれた方々、本当にありがとうございます。




僕の経験が少しでも誰かの役に立てたなら、心から幸せに思います。






このお話は日本海への旅が終わってから、起業を決意し、

うつ病が治るまでの約1年間のお話です。




題して、




『生きようと決めて1年間闘い続けたら、

過去がすべて今に繋がっていた話』






内容を先にザッとお話ししますと、




2013.10.24 旅が終わる



2013.12月 第一次社会復帰挑戦



2014.2月 失敗、うつ病悪化(最悪の時期)



2014.2〜9月 準備期間(2番目に最悪の時期)



2014.9月 第二次社会復帰挑戦



2014.10月 大失敗、起業を決意



2014.11月 うつ病治る






という流れになります。




正直、日本海に行く前よりも、


帰って来てからの1年間の方が辛かったです。


うつ病は悪化し、社会復帰は出来ず、


二度、また本気で死のうと思いました。


それでも、僕は生き続けました。



闘い続けました。




そして、今はうつ病も治り、薬も全く必要としていません。




そうなるまでの経緯をこのお話で

数回に分けて赤裸々に話していきたいと思います。




少しでも何かのいい気付きがあれば嬉しいです。




相変わらず感情むき出しの拙い文章ですが、

よかったら僕の話を聞いてください。








旅が終わった…




2013年10月24日、僕の旅は終わった。




日常の世界に戻ってきた。




僕は、旅をやり遂げた達成感で溢れていた。




家に帰ってからすぐ、撮りまくった写真のスラードショーを作った。




歩きながら聴いたお気に入りのプレイリストの曲にのせて。




僕は、会う人にスライドショーを見せた。




自分の経験をすべて見て欲しかった。




両親や友達も、「おかえり」「すげぇな!」と言ってくれ、


僕は得意な気分だった。




完全に失った自信がちょっと復活した気がした。




うつ病なことも忘れてしまうくらい一気に元気になった。





旅を終えて3日後、病院に行き、担当医にもちゃんと旅を終えたことを報告した。



すると担当医がこんな話をした。




医者
歩いてる間、どんなことを考えてた?
なんというか…「無」でしたね!笑
医者
やっぱり!



医者
渡世人(とせいにん)って知ってる?

今で言う極道、ヤクザの人のことなんだけど…



昔の極道は、読んで字のごとく、その道を極めた人だ。


並大抵の精神じゃやっていけない。


そのため、ひたすら歩き、


心を無にして精神を鍛えたらしい。


※諸説あります。




世を渡る人で、渡世人。




カッチョいいじゃないの!





昔からひたすら歩くということは、精神を鍛えるために行われていた方法らしい。




僕は、理にかなった方法でうつ病と闘っていたようだった。




そして、その結果がちゃんと出ていた。






この日から、処方される薬は睡眠薬だけになった。






僕は嬉しかった。




自分のチカラで、うつ病を改善出来たことが嬉しかった。




自分の選択、決断がいい結果を生み出したのが嬉しかった。




僕は、薬を飲んでいる自分が嫌いだった。




どんなに元気でも、薬を飲む度に、


「僕はやっぱりうつ病なんだ…」


と思い知らされる感じがたまらなく嫌だった。




しかし、精神薬は無くなった。




あとは眠れればいいだけ!




そんなん日中体を動かせば眠れるぜ!




うつ病なんか治っちゃうぜ!




僕はやっぱりすげぇぜ!!




とまた得意な気分になった。




次のステージへ。



しかし僕には、解決しなければならない問題があった。




休職中の仕事だ。




復帰するか、退職するか。




このとき、休職してから3ヶ月が経とうとしており、


上司から、どっちにするのか選択を迫られていた。




今だから言えるが、たった3ヶ月で決断を迫るのは、非常に酷な話だと思う。


うつ病は、休めば治るなんてそんな生易しいもんじゃない。




言葉には出されていないが、上司からの話は、退職勧告だったのだと思う。





仕事を辞めれば、収入源が無くなる。



社会的にも無職になる。



世間的には、ダメ人間と見なされる。




しかし、




復帰すれば、必ずまたぶり返す。




いずれ復帰出来たとしても、今はまだその状態じゃない。




ましてや、次の月からは年末に入り、繁忙期が始まる。




今、復帰なんて出来やしない。






喫茶店で上司にこう言われた。






「坂内の気持ちを聞かせてくれ。」






僕はその場でこう答えた。






「辞めます。」と。






家に帰ってから、退職願を書いた。




会社に最後の挨拶に行きます。と言ったが、断られた。




気を使ってのことなのかもしれないが、


3ヶ月休んだ末に退職する奴なんてどうでもいいことなんだろう。


会社に僕の居場所なんて、もうとっくに無いということだろう。




それでも、ちゃんとケジメはつけたい。




僕は、お世話になった上司や先輩、後輩に電話を掛け、退職することを伝えた。




みんな口を揃えて、




「残念だ。」




と言ってくれた。




「一日だけでも戻って来て!」




と言ってくれる人もいた。




でも僕は、もう戻れない。




というか、戻らない。




温かい言葉をかけてくれたのは心から嬉しかったが、


人格を変えてしまう程の出来事を経験した僕は、


同じ場所に戻ってはいけない気がしていた。




どうしても、会社に戻ってまた同じ仕事をしている自分が想像出来なかったし、


上手く言葉に出来ないが、僕には何かもっと違った大切なことをやるべきだと思った。




仕事をしていた時、担当していたお客さんにこんなことを言われたことがある。



「あなたは、もっと大きなことをやる人間よ。」


「初めて会った時に、あなたは何かが違うと思ったの。」


「人のために生きなさい。」


「そのために今はたくさん勉強するの。」


「この仕事に留まっていたらダメよ。」




こんなことを言ってくれた。




その方は、僕が担当していた400名以上のお客さんの中で、


恐らく一番実績を残している方で、業界でもトップクラスの人だった。




忙しい方だったので、直接お会いしたのは数回程しかなかったが、


驚く程、僕を絶賛してくれた。




もの凄く嬉しかった。




めちゃくちゃ稼いでるのに、本人は、




「前は自分のためにたくさんお金を稼いでたけど、私が使うお金はそんなに必要じゃないの。」


「今は、誰かのためにお金を稼いでる感じかな。」




と僕には信じられない金額の募金をしたりしていた。




僕が出逢ってきた人とは、明らかに違った考えを持っている人だった。





この方は、旦那さんが末期のガンだということも話してくれた。




それなのにも関わらず、



「そういう運命なんだから、ちゃんと受け止めないとね!」



と笑顔で言っていたのが今でも印象に残っている。




その2ヶ月後、僕は適応障害と診断された。




お客さんの中で、この方にだけは唯一、病気になり休職することを伝えた。




「なんであなたが…」




と、とても心配してくれたが、




ありがたい言葉を掛けてくれたことに改めて感謝を伝え、




「これも何かの意味があると思います。」


「共感出来る人が増えるので、いつかきっと誰かの役に立つと思うんですよね!」




と僕も笑顔で答えた。




そして僕は休職し、すべてのお客さんとの関わりをシャットダウンしたが、




このお客さんに言われたことは、ずっと忘れられなかった。




「あなたは、もっと大きなことをやる人間よ。」



「人のために生きなさい。」



「この仕事に留まっていてはダメよ。」




僕に自信を与え、自分の可能性を広げてくれた言葉だった。






僕は、留まっていてはいけない。






「次のステージに進まなくてはならない。」






そして、その時は「今だ!」と思った。




無職になるよりも、ダメ人間と思われるよりも、


会社に留まることを選んではいけないと思った。



うつ病の原因…



なぜ無職を選んでまで、次のステージに行こうと思ったかというと、


僕は、次にやりたいことが見付かっていたのだ。




それは、「心理学」






僕は、人の心に興味を持った。




うつ病の原因を突き止めたいと思った。




「僕はなぜうつ病になったのか?」




「なぜ人はうつ病になるのか?」




病院に行けば、口を揃えて原因はストレスだと言う。




しかし、ストレスは人によって感じ方が違う。




「なぜストレスを感じるのか?」




「なぜストレスを感じる人と感じない人がいるのか?」




ここを突き止めないと、ストレスに対応することは出来ない。




ストレスを解消することも出来ない。




ストレス社会と言われるこの世の中を生きていく上で、


ストレスの対処法を知らなければ、


この先もストレスに侵され、


同じことを繰り返すと思った。




うつ病を治すには、




「ストレスの元を取り除くこと」




が大切だと言う。




確かに非常に大切だ。




しかし、大抵のストレスは、会社や、仕事内容といった物理的なことではなく、


周囲との価値観の違いや、


捉え方、捉えられ方などの人間関係、


理想と現実のギャップが生み出す将来の不安といった目には見えないものだ。




実際は、取り除こうと思っても、取り除けない問題ばかりだ。




物理的なことがストレスの原因なら、

取り除こうと思えば、誰でも簡単に取り除くことが出来る。


長引くことなんてないし、再発をすることもないだろう。


しかし、本当の原因は、

場所を変えても、どこへ行っても、

目には見えない「感じ方」の問題なのだ。




そう、自分自身の捉え方。




ストレスの元は、自分の中にあるモノなのだ。






この世の中を生きるには、僕は本当に生きづらい性格だった。




「周りのことは自分のこと」という程、周りの影響を受け過ぎてしまい、


気にしなくていいことを気にして、


考えなくてもいいことを考え込み、


傷つかなくていいことで傷ついていた。




小学校2年生の時、運動会の学年練習で、

ふざけた生徒が先生に怒られている状況にいるだけで、

自分が怒られている気持ちになり、

数日間登校拒否になったり、


映画やアニメ、漫画の悲劇的なシーンを観て、

実際に起きたことだと思い込み、

めちゃめちゃショックを受けたり、


悲惨なニュースを見て、他人事とは思えず、

そのことがずっと頭から離れなくなり、心配になって落ち込んだり、


寝る前に一日を振り返り、

たった一言の発言を後悔し、眠れなくなったり、


誰にも迷惑をかけたくないし、傷つけたくないから、

嫌なことを独りで抱えてずっと我慢していたり、


幼い頃から始まり、年を重ねるごとにそれは強くなっていった。



しかし僕は、こんな性格が悪いことだと思っていなかったし、


うつ病の原因もこの性格が一番の原因ではないと思っていた。




「休めば治る」という言葉を信じていた。




でも、休めば休む程、

また同じように傷つくことが恐ろしくて堪らなくなる。




社会に出たら、必ず傷つくシチュエーションは出てくる。




そして、




社会に出る=傷つき続ける




という方程式が出来上がり、




生きる=耐え難い苦痛




という認識になっていく。






僕は思った。




うつ病を治すために必要なのは、




「ストレスの元を取り除く」




ではなく、




「ストレスに対応出来る人間になる」




ことが、大切なんじゃないか?






「環境を変える」




のではなく、




「考え方を変える」




それをしない限り、また同じことを繰り返し、

傷つき続けるだけなんじゃないのか?




3ヶ月休職した結果、こんなことを思った。





「性格」を変えるにはどうすればいいのか?



「考え方」を変えるにはどうすればいいのか?



「感情」を知るためにはどうすればいいのか?



「心」を知るためにはどうすればいいのか?





そして辿り着いたのが、心理学だった。




「心」を知れば、うつ病は治せると思った。




さらに、同じようにうつ病で悩んでいる人も救えるんじゃないかと思った。







僕は、うつ病になったことを正当化したかった。




うつ病になったからこそ、うつ病の人と分かり合える。




共感出来る。




そして、きっと救うことが出来る。




それが、僕がうつ病になった宿命だと思った。




誰かを救うことが出来たら、この経験はムダじゃないと思える。




旅をして、うつ病は劇的に良くなった。




「当たり前のことに感謝する」




この考え方に変わって、「生きよう」と思えた。




だから、このことを伝えれば誰かを救えると思った。






「僕の経験を伝えたい!」






そう思い、心理カウンセラーという仕事に興味を持った。




自分の経験を生かし、自分にしか出来ない仕事がしたかった。




仕事にするには、やっぱり資格でしょ!




そして僕は、心理カウンセラーの資格を取ることにした。






心理カウンセラーになるための学校はたくさんある。




僕は、「心理学 資格」で検索をし、良さげな学校のパンフレットを大量に取り寄せた。




その中でも気になったところには、実際に見学に行き、体験レッスンも受けた。




そして分かったことがある。




・心理カウンセラーの資格は国家資格が無い。



・民間の資格のみで、すべてが統一された基準が無い。



・団体によって、基準が異なるということ。



・資格が無くても、「心理カウンセラーです!」と名乗ってしまえば、

 誰でもカウンセラーになれるということ。



・そのため、実績が無いと働き口がほとんど無い。



・臨床心理士は国家資格だが、4年生の大学に行き、

 さらに数年間の実務経験が無いと取得出来ない。




なんだかシックリ来なかった。




民間の資格を取っても、働き口が無いなら実績も積めない。


実績も積めなければ、働き口はない。




かといって大学に通って、臨床心理士を勉強する気にはならなかったし、


そもそも臨床心理士は、カウンセラーというより研究者だし。




狭き門なのは分かっているのに、


似たような民間の資格、


似たような学校がいくつもあり、


どれも、「うちの資格はここが違います!」


「うちの学校はこんな充実したサポートがあります!」


と、その団体が会員数を増やすために設立したものに思え、


どれも胡散臭く感じてしまった。




心理カウンセラーの資格を取ったら、未来が見えると思ったが、


予想は裏切られた。




というか、僕がやりたいのは心理カウンセラーとは少し違うと思った。



NLPとの出逢い…




資料請求した中で、一つ他とは違うものを見付けた。




それが、『NLP(神経言語プログラミング)』という心理学。




実践心理学と呼ばれ、その名の通り、日常生活で実践的に使える心理学。




他の資格と違ったのは、NLPは学問というより、スキルだということ。




人間の脳の使い方をコントロールし、

効果的に目標を設定し達成するスキル。




脳は、コンピュータと一緒で、

使い方がプログラミングされており、

そのプログラムを書き換えれば、

どんな人間になることも可能だということが書かれてあった。




実際にNLPは、日本ではまだあまり知られていないが、


アメリカの大統領や、プロスポーツ選手のメンタルコントロールにも使われており、


医療、ビジネス、スポーツ、政治という分野にまで多岐にわたる。


アメリカでは結構知られているらしい。






僕は、こういうのに弱い!




・理論だっていること


・グローバル的


・まだあまり知られていない




NLPは、この三拍子が揃っていた。




直感で、「これだ!」と思った。








ONE OK ROCKの歌でもこんな歌詞がある。




何回ダメダメだと言われようが


実際問題そんなん関係無くて


今自分自身必要だと思うこと


蓄えて揃とけよ




なあそうだろ?




まだまだ時間はまだあんぞ!


先見の明今は研ぎすまして


主人公は一人だけ


自分の物語のはじまり






僕の先見の明が研ぎすまされた。




「NLPは必ず来る!」と思った。




そして早速、説明会の予約をとり、実際に話を聞くことにした。




と言いつつも、僕の中で答えはほぼ出ていた。




具体的な受講内容を聞いてみると、


NLPのコースは、1月から4月までの3ヶ月間、


毎週日曜日の10時から17時までのカリキュラムを100%修了すれば、


「米国NLP協会認定NLPプラクティショナー」


という資格を取得することが出来るということだった。




3ヶ月間なら短いし、場所は横浜駅で家から電車で20分と近いし、


午前中から用事があれば、生活も規則正しくなる。


電車に乗ったり、知らない人と話すのは社会に出るリハビリにもなる。


毎週日曜なら平日働いたとしても通うことが出来る。




僕にはいい条件が揃っていた。




この時、11月の後半だった。




コースが開始するのが1月ということで、


申し込むタイミングはバッチリだったし、


散々ツラい思いをした2013年…


新しい年から心機一転、新しいことを始めたかった。




しかし、問題はお金…




結構な金額が必要だった…




11月25日付けで会社を退職した。




休職中も毎月、基本給の2/3の金額が傷病手当金として受け取れたが、


彼女に渡した金額で、貯金はほとんど無くなったし、旅で10万円近く使った。


家賃は彼女が1年間まとめて払ってくれていたので、解決済みだったが、


生活をする上で、食費や光熱費など、避けられない金額は毎月出て行く。


病院代や、薬代はかなり痛かった。




うつ病などの精神疾患になると、自立支援制度といって、


特定の医療機関に通っていれば、医療費が1割負担になるありがたい制度もあったが、

僕はその制度は利用しなかった。




今となっては利用すれば良かったと思うこともあるが、なんか悔しかった。


僕は、うつ病だろうが他の人と違いなく、


「自分の生活くらい自分のチカラで何とかしてやる!」と思っていた。




※あくまでこれはこの時の僕の考えなので、利用出来る制度は利用した方がいいと思う。


支出を最低限に抑えて、その分、自分のためになることにお金を投資するのが一番いい。




初めての反抗期…




僕にはまとまったお金が用意出来なかった。




ローンで払えないことも無かったが、

利息がかかるため、一括で支払いたかった。




なので、両親に相談することにした。




父親は、


「勉強したいことがあったら、いつでもお金を出してやる!」


と言ってくれていた。




実家に行き、まずは母親に相談した。




母親は、「お父さんに聞いてみな!」と言った。




そして会社から帰ってきた父親に学校のパンフレットを見せながら、プチプレゼンをした。




「うつ病を治すには、脳のプログラムを変える必要があるんだ!」



「まだ日本では有名じゃないけど、米国ではトップクラスの人たちが利用しているものだし、

これから絶対に日本にも知れ渡ると思う。」



「僕は、うつ病の人のチカラになりたい!」



「僕にしか出来ないことがしたい!」



「NLPを勉強したいからお金を貸して欲しい。」




とお願いをした。




僕は、賛同してくれると思っていた。




しかし、返って来た言葉は期待を裏切った…。




「こんなんで変わるとは思えない。」



「国家資格じゃないなら取得したって意味ない。」



「勉強するって、大学行くとかもっと長い目で考えるものじゃないの?」



「たった3ヶ月なんて、真剣さが伝わらない。」



「こんなんやるなら、会社に戻った方が勉強になるよ。」



「お前がどうしてもやりたいって言うなら、金だしてもいいけど。」



「俺はこんなんじゃ絶対に変わらないと思うね。」




僕は、ケチョンケチョンに言われた。




ものすごいショックを受けた。




と、同時に、物凄い怒りが込み上げてきた。




「仕事し過ぎて病気になって、

うつ病になって、自殺するとこまで行ったのに、

会社に戻った方がいいって、僕を殺す気か…?」



「こいつ本当に父親か?」



「結局、会社に勤めてるのが一番大事なのか?」



「僕が死んでも、無職よりマシってことか?」




僕の父親は体育会系で、高校時代は毎日部活で、

正月の三が日しか休みが無かったという。

高校3年間で、話した女性は母、姉、パン屋のおばちゃんのみだったそうだ。

テニスでインターハイにも出たらしい。


大学時代はスキー部で、後輩達から

「鬼の坂内…」

と呼ばれているほど厳しかったらしい。


弱音はほとんど吐かないし、何があっても毎日仕事に行っていた。


自分にも他人にも厳しい人だ。



父方の家系は高学歴な人ばかりで、

大学名や会社名で人を判断する傾向があった。


それに比べ僕は、4流大学だし、

無職、病気、社会不適合者な訳だ。




きっと父親は、こんな息子が恥ずかしいんだろう。





僕は今までずっと親の期待に応えられるように生きてきた。




姉ちゃん達が出来ないことを僕がやらなきゃと思ってやってきた。




僕なりに必死で期待に応えてきたつもりだ。




それなのに父親は、僕のやりたいことにいつも反対をする。




高校卒業後の進路を、音楽の専門学校に行きたいと言ったときも、


「そんなんごく一部の人間にしか出来ない!」と反対。




「とりあえず大学を出とけ!」と言われ、

大学を受験しようと決めても、

偏差値を聞いて、

「そんな低いとこ受けんの?」とあきれ顔をされ、




「就活しないで音楽をやる!」と言ったときも、

「新卒が一番大切なんだぞ!」と言って猛反対。




大学卒業しても音楽がやりたかったら、

やればいいって言ったくせに、

始めから就職をさせる気だったんだ。




これを機に、


「お前にはもう何も言わないよ。勝手にしろ。」


と言われたが、




それでも2年後ちゃんと就職したじゃん…。




会社で一番取ったじゃん…。




新卒じゃなくても、一番になったじゃん…。




必死で頑張ったけど、うつ病になっちゃったじゃん…。




僕は、もう期待には応えられないよ…。






こんな気持ちがこみ上げて来た。




初めて感情が抑えられなくなった。




そして僕は、26歳にして初めて両親に本心をぶちまけた。




「姉ちゃん達は、病気だし、グレたし、

僕だけは自慢出来るような息子でなきゃいけないって、

今までずっと、お父さんとお母さんが喜ぶように生きてきたんだ!」


「僕に反抗期が無かったのは、

僕まで言いたいことを言ったら、

お父さんとお母さんが傷つくと思ったからだよ?」


「僕はずっと我慢してきたんだ!」


「まともな人間にならなきゃいけないって、

いつも自分の気持ちを抑えて我慢してきた。」


「僕だけは期待に応えなきゃいけないって、

そうやって生きてきた。」


「家を出たのだってそう、

息子を一人前に育てたって安心して欲しかったからだよ。」


「僕は、もうあんたらの期待には応えないよ!」


「僕は毎日辞めたいなんて思いながら仕事はしたくない!」


「自分の好きなことをやる!」


「なんと言われようが自分で決めたことをやる!」




「もう自由にさせてくれ…」




僕は、泣き叫んだ。




26年間溜まりに溜まった感情が爆発した。




人生で初めての反抗期だった。






「お金はいらない。」



「自分で何とかする。」



「だから、何も口出ししないでくれ。」






そう言って、家に帰った。




こうなりゃもう意地だ!


絶対にやってやる!





今の僕が必要なモノ…



父親の言う通り、仕事をすることは、確かにいい勉強になるかもしれない。


でも、今の状態のまま、


ヒントも答えも、ましてや本当の問題すら分からないまま仕事をしても、


何も解決出来ないと思った。





分からないこと、嫌なこと、ツラいことも




「慣れれば、続ければ、解決する。」




と思っている人が多いが、実際は違うと思う。




何でもやればいいってもんじゃない。




まずは問題をちゃんと把握しないと意味が無い。




「分からない、嫌だ、ツラい」




ではなく、




「何が分からないのか?何が嫌なのか?何がツラいのか?」




本当の問題は、会社や、仕事といった物理的なことではなく、



その時の状況や状態。



そして、それを嫌だと反応する感情だ。



問題が分からないまま答えを探したって見付かる訳が無い。



暗闇の中、手探りで答えを探しているようなもの。



しかし、問題さえ明確にすれば、解決方法が見付かる。


そうすれば、自然と答えが見付かる。



部屋の明かりが点けば、自分がどんなところにいるのかが分かる。

手で取るのか、道具を使うのかなどの手段が分かる。

もしかすると、この部屋には答えは無かったと気付くかもしれない。



まずは、部屋の明かりを点けてあげるのが先決だ。




悩みや不安は、答えが分からないからじゃない。


問題が分からないから、どこから手を付けていいのか分からない状態だ。


問題さえ分かれば、その時点で悩みや不安はほぼ解決する。


あとは解決法を実行するだけだから。



大切なのは、


「答えではなく問題を明確にすること」


行動するのは、その後だ。




正しいことを、正しい順番で、正しい方法を使ってやれば、


必ず問題は解決する。





僕が仕事が出来ないのは、うつ病だからじゃない。


ストレスに上手く対応出来ないからだ。


上手く対応出来るようになるためには、


今の思考回路を把握し、今の思考回路を変える方法を知らなければならない。


うつ病になった今の考え方を変えなければならない。


やはり今僕がすべきことは、仕事をすることではない。


人間を、心を、脳を、そして自分自身をよく知ることだ。



やるの?やらないの?



それでも、父親の言葉は相当なショックだった。

「勉強するに託つけて、仕事をすることから逃げているだけなんじゃないか?」


そう思った。




NLPは日本ではあまり知られていないし、



本当に効果があるものなのかも正直分からない。



そう思うと、大金を支払うことに躊躇する。




僕は、勉強をすることに迷いが出た。




学校の担当者に、



「父親に反対されて、本当にやっていいものなのか自信が持てません…」



と正直に告げた。




すると、その担当者は、




「一度トレーナーと直接話してみるといいよ!」




と言って、申し込めば1月からNLPを教わることになるTトレーナーを連れてきた。




金髪にヒゲ、革ジャンを着た若い人だった。




存在自体が輝いているような人だった。




めちゃくちゃ明るいその人は、僕にこう言った。




トレーナー
「何〜?迷ってるんだって〜?」
「で、あなたは本当はどう思ってるの?」




僕はこう答えた。




「僕は…やってみたいです。」



「でも…どうしたらいいか分からないんです。」




Tトレーナーは紙とペンを取り出した。




「今までどれくらい悩んでるの?」




「半年くらいですかね。」




「一日どれくらいツラいと思ってる?」




「9時間くらいですかね。」




「多いなっ!!!」




そう言いながら、紙に計算をし始めた。




6ヶ月×30日×9時間=1620時間



「幸せな時間を過ごすのと、不幸な時間を過ごすのどっちが幸せだと思う?
「幸せな時間です。」



「あなたは、1620時間ツラいと思って生きていました。」




「残念ながら、この時間は戻りません。」




「いや〜こんなに不幸な時間を過ごして、勿体ないですね〜」




「人生には限りがあるんだよ!限りある時間の中で、

あなたはすでに1620時間も不幸な時間に使ってしまったんだよ!」




「どうせなら一秒でも多くハッピーな時間を過ごした方がいいと思わない?」




「このまま何もしないで、不幸な時間を増やしていくか、

やると決めてこれからの時間をハッピーに過ごすか、どっちがいい?」




「ハッピーになりたいです。」




「じゃあ、どうするの?」




「やってみたいです。」




「やるのは、あなた。」




「決めるのは、あなた。」




「やってみたいじゃなくて、やるの?やらないの?」




「あなたの人生なんだから、あなたが決めるんだよ!」




「はい!今決めて!」




「やるの?やらないの?」




「こうしてる間にも時間は無くなってるんだよ!」




「どうするの?」




「はい!やるの?やらないの?」





「やりますっ!!」





「はい!1月からよろしく!!」




僕らは握手をした。





Tトレーナーと出逢って、ものの5分も経たない内に、


迷いに迷っていた僕は、「やります!!」と決断していた。





あまりのパワフルさにパニックにも似た興奮状態だった。




担当者の人も、あまりに早く結論が出たので驚いていた。




「これがコーチングってやつ!」

「面白いでしょ!笑」

「NLPってめちゃめちゃ面白いんだよ!」

「俺もNLPに出逢って人生変わったんだ。」

「そしたらハマっちゃってね!笑」

「キミは、もう大丈夫!心配しなくていいよ!」

「俺が教えるから!」

「じゃ、1月からよろしく!じゃあね!!」



そう言って、Tトレーナーは立ち去って行った。






何コレ?




何このスッキリした感覚?




スゲーよー!!!


ちょースゲー!!!!


ちょーカッケー!!!!





初めて、コーチングというものを受けた。




衝撃的過ぎた。




「僕が探していたのはコレだ!!」




とカミナリに打たれたような感覚だった。






そうして僕は申込書にサインをした。




ローンで!




母親から、




「ローンにするくらいならお金を貸してあげるよ。」




と言われたが、断った。




全部自分で決めたことだから、全部自分で責任を取る。



都合の良い時だけチカラを借りるのは嫌だ。






そして、僕はバイトをすることにした。



第一次社会復帰挑戦…




傷病手当は退職した後も毎月手続きをすれば、


最長で1年6ヶ月受け取れたが、僕は失業保険に切り替えた。


支給金額が少なくなり、かつ3ヶ月しか支給されないが、失業保険に切り替えた。




傷病手当金は、病気で働ける能力がないことが支給の前提だ。




僕は悔しかった。




傷病手当金を受け取っている以上、




「自分は働ける能力がない人間なんだ…」




と思い知らされる感覚がして、嫌だった。




薬も睡眠薬だけになったし、


今は前のように元気になった。




「僕はもう大丈夫だ!」




ということを肯定したかった。






傷病手当金を受け取っている内は、アルバイトも出来ない。




僕は、もう十分休んだ。




これからは社会復帰に向けて、リハビリをしていかなければならない。






僕は、NLPを勉強するために、自分で決めた人生を生きるために、


まずはバイトをすることにした。






たまたま高校からの友達の川ちゃんが働いているレストランが、


バイトを募集しているとのことだったので、働かせてもらうことにした。




川ちゃんは、彼女と出逢ったビアガーデンの短期のバイトも一緒に受けにいった仲で、

2人ともバイトリーダーに任命された。




ビアガーデン終了後、川ちゃんはその会社に就職をした。




僕は、上の人も知っているし、何より川ちゃんがいるなら心強いと思った。




川ちゃんも、「またひーくんと働きたいわー!」と言ってくれたので、


僕は、学校が終わる4月まで、

川ちゃんのレストランでバイトをしながらリハビリをし、

NLPの勉強をするお金を稼ぐことにした。




12月、失業保険に切り替え、バイトを始める。



失業保険は、申請をしてから3ヶ月間の審査がある。


それをクリアしないと支給されない。


12月に申請して、支給されるのは3月になる。


しかし僕は、幸いなことに退職理由が会社都合に認められたため、


1月から支給されることになった。


失業保険は、申請をしてもある程度の日数と時間の範囲内であれば、働くことが出来る。


働きながら、失業保険をもらえる。


働いた日の分の金額は、その月には支給されない。


その代わり、支給をされる日数が延びていくというシステムになっている。


失業保険を受け取れる期間を、受給資格期間というが、


その受給資格期間が3月31日までとして、


その間に5日働いたとすると、5日分延長されて4月5日までが受給資格期間になる。


トータル的に受け取る金額は同じだが、受け取る時期がずれ込んでいくといった感じだ。


詳しく知りたい方は、自分で調べてね!



とりあえず、働き口と収入源を確保した。



アルバイトだけど、社会復帰に成功した。



新しい生活が始まった。




週3日バイトをして、それ以外の日は、

学校の無料の授業を受けたり、本を読んで勉強をした。



この時期、一番やったのは、ホームページ作り。




日本海の旅での出来事をどうにかして世の中に伝える方法はないか?


と考えた結果、


自分でホームページを作ってみることにした。




僕は、いつか詩集を出したいと思っている。




写真と詩を載せて、少しでも多くの人に見て欲しいと思った。






ちなみにこれ↓↓↓



『Life a limited and so beautiful…』



もう1年以上更新してないし、

読み返すと明らかに精神状態がおかしかった感じが出てるけど、

これはこれで残しておこうと思う。






僕は何かを「やる!」と決めたときの行動力と集中力が半端じゃなかった。




1日中PCにかじり付き、ホームページの作り方を1から調べ、


ひたすら作り続けた。




良い言葉が思いつけば、すぐに更新をした。




うつ病になる少し前から、僕には集中力が無いと思っていた。




仕事にもいまいち身が入らないし、1つのことをやり続けることが出来なかった。




でも、このとき分かった。






やりたいことは出来る。




今の自分に必要だと思った時は、物凄いチカラを発揮出来る。




旅もそう、「やりたい!」「やるしかない!」と思い立ち、




「やってやる!」と決めた時は、驚くべき行動力を発揮した。






僕は、すべての物事はタイミングが大切だと思っている。



本気でやりたきゃ勝手にやるし、本当に必要なら何としても手に入れる。



どんなにやろうと思っても、出来ない時は出来ないし、



絶対にやらなきゃいけないと思ったら、出来そうにないことも何とかしようとする。




やるべき。と思っている内は大抵、始められないか、続かない。


やりたい!と思った時がやり時で、


やるしかない!と思った時は逃げてはいけない。


やってやる!と決めた時は、もう前に進んでる。




こんなもんだ。




だから、

「やるしかない!」「やってやる!」と思うまで、


自分を追い込まなければならない。


そういう状況を創り出さなければならない。





父親にNLPを勉強することを反対されたが、

結果として良かったと思う。




あの反対がなければ、

いつまでも親に甘えていただろうし、

ずっと傷病手当をもらって、

バイトをしようともしなかったかもしれない。


コーチングを受けることもなかっただろう。




それに後日母親から聞いたところ、


あのとき父親が反対したのは、


やってみた結果、

何も変わることが出来なかったら、

僕が更にショックを受けるんじゃないか?


と思っての発言だったらしい。




そうならそうとそう言えば良いのに、僕の父親は素直じゃない。




しかし、僕のことを考えてくれていたことが嬉しかった。




それなのに、僕はあんなにヒドいことを言ってしまった…




と思ったが、本心だし、僕は自分のやりたいようにやるんだし、


結果として言って良かったと思う。




この26歳の反抗期を機に、父親との関係は驚く程良くなっていった。




今では、




「健康が第一だからな!俺が定年になるまでに何とかなればいいよ!」




というほど父親は変わった。




それと同時に、僕が好きなことをやることや、

自分がうつ病であるという親に対する罪悪感も無くなっていった。


今まで誰も僕を理解してくれないと思っていたが、

家族だけは理解してくれると安心出来るようになった。



なんだかんだ言って、

人って誰よりも親に認めて欲しいと思っていると思う。




親が子を創ったんだから、


親はいつだってお手本だったんだから、


それを目標に生きて来たんだから、


誰よりも認めてもらいたいのは当たり前だと思う。




そして、親に否定をされた時は、

口ではクソみたいなヒドいことを言うかもしれないが、

親の期待に応えられなかったことに対して、

少なからず罪悪感を感じているものだ。


だから、親には自分がどういう人間で、

どんなことを思っていて、

どんなことがしたいのか、

ということを親に認めてもらうことは、

本当に大切だと思う。


胸を張って生きていく上で、絶対に欠かしてはならない。



そして親は、

その声に真剣に耳を傾け、

理解しようとしなければならない。


理解出来ないのなら、

否定するのではなく、

理解出来るまで質問をすればいい。


質問は相手に気付きを与え、成長させるから。




自分の子どもなんだ。


いつまでも成長させてやらないと。


誰よりも幸せにしてやらないと。


子どもが幸せになるように導いてあげないと。




納得してないことは、必ず不満が出る。


子は、親を納得させなきゃいけないし、


親は、子を理解してやらなきゃならない。


子も、親も、納得するまで理解し合わないといけない。


お互いが真剣に相手のことを考えなければならない。




本当に大切なことだと思う。



僕は親になったことがないから、


正直言って親の気持ちは分からないけど、


親になった人だって、昔は子どもだったんだから、


子どもが親にどう接して欲しいのかは知っていると思う。



いつだって親だけは自分の味方でいて欲しかったんじゃないかな。と思う。






話を戻そう。






レストランでのバイトは、思っていたよりキツかった。




働いているという時点で、

アルバイトだろうがなんだろうが、

その仕事のプロだと僕は思っている。




お客さんにとっては、新人かどうかなんて関係ないし、

ほんの少し前まで僕がうつ病で自殺しようとしていた人間だなんてのは、1000%どうでもいいことだ。




僕うつ病なんです。


だから、優しくしてください。




なんてことは仕事では全く通用しない。




同じ従業員同士でもそうだ。




だから一人の人間として、仕事のプロとして、バイトを頑張った。




イタリア語のメニューはソッコー覚えたし、


飲食経験も販売経験もあったので、


声だしや接客には自信があった。




僕はもう大丈夫!




前みたいに仕事が出来る僕に戻ったんだ!




と信じていた。




でも違った…。




体の調子が悪くなってから、

周りの状況を見て、

やるべきことの優先順位を付けることが本当に苦手になった。




というか、出来なくなった。




1組や2組のお客さんへの対応は全然大丈夫だったが、

全体を把握しながらお客さんをサバくことが出来なかった。




仕事もろくに覚えていないんだから、

周りが見えないのは当たり前だと思うが、

そんなことは言っていられない程忙しかったし、

出来なきゃ怒られる。


何より、自分で、

「出来る!」「出来なきゃいけない!」

と思っていたことが

やっぱり出来なかったことに大きなショックを受けた。



さらに、飲食店のようにお客さんの入り方次第で、

常に忙しさが変動するのが、苦手だった。


いつ来るか分からないお客さんにソワソワし、

忙しくなったらまたミスをしてしまう…

とお客さんが来ることに恐怖を感じるようになった。




また迷惑を掛けてしまう…


でも、僕には出来ない…


どうしたらいいんだ…




僕の心はまた壊れ始めた。




バイトの日は、毎日吐いた。




休みの日も、バイトに支障が出ないように、

家にこもり、体力を使わないようにした。




目を瞑れば、ミスをしたこと、することばかりが頭に浮かんだ。




眠っても、夢で仕事をしていた。






「ちょっとヤバい…」






と思った。




でも、早めに対処すれば大丈夫だと思い、




また精神薬を飲むようになるのは嫌だったが、

病院に行って薬を処方してもらった。




しかし、もう手遅れだった。




僕は日に日に、暗くなっていった。




うつ病はまた悪くなっていった。





「やっぱり治っていなかったのか…」




ずっと悪い状態より、良くなったと思ってから再発する方が精神的ダメージは大きい。




僕は絶望した。






せっかく大丈夫だと思ったのに…


過酷な旅を乗り越えたのに…


やっぱり働けないのか…?


僕は社会復帰出来ないのか…?


辞めたら川ちゃんにも迷惑が掛かる…


諦めちゃダメだ…


でも、もうダメだ…


僕はダメだ…




消えて無くなればいいのに…






僕は、また死にたいと思った。




でも、死んじゃいけないと思った。




川ちゃんに迷惑が掛かると思い、バイトも辞められなかった。




我慢するしかなかった。






そして、ついに僕は完全に壊れた。






2月の始め、バイトを始めて2ヶ月が経ったある日、




物凄い自殺願望が溢れて来た。




その日は17時からバイトだった。




どうしても行く気になれなかった。




どうしたらいいのか自分でも分からず、




ただただ涙が溢れて来た。




自分が情けなく思えて仕方がなかった。




友達と一緒に働いているのに…


週3日しか働いていないのに…


前は普通に出来ていたことなのに…




こんなことも出来ないようでは、


この先も生きていける自信が全く持てなかった。






「もうダメだ…」






そう思ったとき、母親に電話しようと思った。




理解してくれる人に話せば、

少しは楽になれるかもしれないと思った。






母は、すぐに電話に出た。




そしてすかさず、「どうしたの?」と言った。




話せば楽になれると思ったのに、僕は涙が止まらなかった。




そして、




「僕…もうダメだわ…」




と言った。




すると母は、




「バイトがキツいんでしょ?」




と言った。




その通りだ。




「まだちょっと早かったんだよ!」




「焦り過ぎちゃったね。」




と続けて言った。




全くその通りだった。




「とりあえず、今日はバイト休みな!」




「行ったって仕事出来ないでしょ?」




「今日は川ちゃんいないの?」




「休んでも大丈夫だから、電話しな!」




そう、今日は川ちゃんがいない。




だから、お店に電話をしなければならなかった。




物凄く気が引けた。




でも、確かに行っても仕事が出来る状態ではなかった。




そう思ったら、休むしかないと思った。




電話には、僕の1歳下の社員さんが出た。




この人も僕がうつ病なのは知っているし、すごく良くしてくれた。




「すみません。体調悪くて行ける状態じゃないです。」




と言った。




体調悪いがどんな意味なのかを察してくれた。




「今日めっちゃ暇なんで全然大丈夫ですよ!」




と言ってくれた。




「本当にすみません。」




と言うと、




「本当全然気にしなくていいです!ゆっくり休んでください!」




とめちゃくちゃ気を使ってくれた。






僕は安心した。






一気に気分が楽になった。






さっきは本当にヤバかった…。




母親に電話をしていなかったら、何をしていたか分からない。


自分でも信じられないくらい「死にたい願望」に襲われた。




きっと自殺をする時って、こんな感じなんだろうと思う。




突発的に死にたいと思って、死ぬしかないとしか思えなくなって、


勢いみたいな感じで自殺をするんだと思う。




そのときに、誰かの声を聞いたら、

誰かが声をかけてくれたら、きっと踏みとどまれる。




本当それだけの違いで、生死が決まってしまうこともあると思う。




モーレツに死にたい願望に襲われたら、誰でもいいから助けを求めて欲しい。




たったそれだけで、結果に天と地ほど違いが出ると思う。






僕はまた母に電話をかけ、バイトをやすんだことを伝えた。




母:「もうバイト出来ないんじゃないの?」



僕:「そうだね。もう無理だね。」



母:「川ちゃんには申し訳ないけど、辞めさせてもらうしかないね。」



僕:「そうだよなぁ…」



母:「川ちゃんなら分かってくれるでしょ!」


  「バイト辞めて、こっちで一緒に暮らそう?」  


  「もう一人で暮らしていけないよ。」


  「一緒に暮らしてゆっくり治していけばいいじゃん。」






母は、一番上の姉と犬と一緒に実家とは少し離れたところで暮らしている。




僕は、一緒に暮らしたくなかった。




気を使うし、迷惑しか掛けられないのは分かっているから。




でも、そうも言ってられなかった。




このまま独りでいたら僕は自殺する。




それくらい自分でも危ない状態だと思った。




そして僕は、母と姉と犬と一緒に暮らすことを決めた。




うつ病の治療に専念するために。



必ずうつ病を克服すために。





つづく…








長くなってしまったので続きは次回!






この後、バイトを辞め、うつ病の治療に専念します。


しかし、病院で、双極性障害と診断され、


「もう元には戻らない」


「一生薬を飲み、一生病気と付き合わなければならない」


と言われます。


そして僕がとった行動は…


次回をお楽しみに☆




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読んでよかった
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そうだったんだ。知らなくて悪かったわ。 出逢ったときから若くて明るい男の子だとばかり思ってた。。。またゆっくり話してね。

Mikaさん!
知らなくて当然ですよ!
それに今は間違いなく、若くて明るい男の子です!笑
いつもコメントありがとうございます!
今度ゆっくりお話ししましょうね♪

ひーくん!読ませていただきました!
本当に辛かったね(;_;)
ひーくんの気持ちが伝わってきて泣けてきたよ…

私は自傷跡が消えないから、近いうちに手術する予定で、いま凄い不安定だったの…
でも、ひーくんの記事を読んですごく勇気が出たよ!(^^)
夏が来るのがこわくて、半袖着るのもこわくて…
でも、手術の決心した!!
ありがとう!次回記事も楽しみだな!

最近、摂食障害ぽくて3週間で7キロ痩せたし…毎日泣いてばっかだし(o_o)

また今度LINEしてもいいかな?
頑張るよ!
ありがとう!

柏木さん!
読んでくれてありがとう!
この時は本当に辛かった。
不安だし、眠れないし、消えて無くなりたいし…
でも本当に辛いのは、そう言うことじゃなくて、
誰にも認められない、期待を裏切ってしまっている、って思っちゃうことが辛いんだと気付いたよ。
親もそうだけど、誰も大した期待はしてないんだよね。
生きてればそれでいいって思ってる。
それなのに自分で勝手に期待されてるって思ってるだけなんだよね。
子どもが幸せになって、喜ばない親なんていないんだから、
どんな生き方でも自分が幸せだと思う生き方をすれば良いと思うよ!

あなたの人生は、誰のものでもなく、あなただけのものです。
これからの人生、幸せになるか、不幸になるかは、自分自身が決めること。
どんなことをして、どんな生き方を選ぶかは自分で決めていいし、
自分が決めるんだよ!

でも、気張る必要なんてないよ!
楽をするとは少し違うけど、
「どっちが幸せかなぁ〜?」
って自分が幸せだと思うモノを選んでいけばいいだけ。
たったそれだけ!

いつも応援してるよ!
幸せな選択が出来るように。

完結おめでとう!
とても良かった。どんな感想を持ったかとか、どんな気持ちになったかとか色々と書きたいのだけれど、

途中で送っちゃったw
まだ濁ってるので、もう少し沈殿?定着してから改めて!

Saidaさん!
読んでくれてありがとうございます!
落ち着いたら、是非是非ご感想を教えて下さい(((o(*゚▽゚*)o)))

坂内 秀洋

1987年8月11日生まれ。 『もう社会には絶対に出られない…』 うつ病、婚約破棄、引きこもり、ニート… さまざまな経験を乗り越え、起業。 『自分らしく生きるために!』 才能や強みを200%活かして、大好きなことで成功するオーダーメイド型起業コンサルタントとして活動中!

坂内 秀洋さんが次に書こうと思っていること

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坂内 秀洋

1987年8月11日生まれ。 『もう社会には絶対に出られない…』 うつ病、婚約破棄、引きこもり、ニート… さまざまな経験を乗り越え、起業。 『自分らしく生きるために!』 才能や強みを200%活かして、大好きなことで成功するオーダーメイド型起業コンサルタントとして活動中!

坂内 秀洋

1987年8月11日生まれ。 『もう社会には絶対に出られない…』 うつ病、婚約破棄、引きこもり、ニート… さまざまな経験を乗り越え、起業。 『自分らしく生きるために!』 才能や強みを200%活かして、大好きなことで成功するオーダーメイド型起業コンサルタントとして活動中!

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