モンキーパンチ先生と三里屯の暑い夜

基本的にモンキーパンチセンセイと飲んだことより
なぜ、私が三里屯にたどり着いたのか?という話。
メディア芸術祭の仕事をしていた関連で、プライベートで
2002年の北京で開かれたメディア芸術祭に参加しました。
当時の私は、中国でのビジネス展開を目指して、中国進出プロジェクトと構想しており、最新の中国の事情を調査する目的もありました。
ホテルは、四合院作りの旅館をわざわざ選び、北京情緒を味わう旅をしつつ、メディア芸術祭へ参加するというプランを妻(関係ない人)と組み、突撃を企てたのです。
メディア芸術祭の会場は、北京の中心部の学校を借り受けて
実施されました。
暑い夏の北京で、ジャケットを羽織、式典などを見学していると、なぜか、歓迎パーティーに呼ばれてしまい、そのまま参加するというなぞ展開が待ち受けていたのです。
中国政府の高官が主宰していたそのパーティーは盛大に行われ、ケチなこといわず、関係者はフリーパスで呼んでいたようです。
とはいえ、5つ星のホテルで食事をごちそうになり、中国文化部の官僚と仲良くなるなど不思議な経験をしたのです。
さて、食事が終わると、日本のメンバーが夜の街へ繰り出そうという話になり、私もその仲間に加わったのです。
浜野先生とモンキーパンチさんなどと、当時、外国人で行けていた三里屯にいって、オープンエアのバーで、ビールなどを飲んだ記憶があります。
2002年の北京は、オリンピックに向けて急激に街作りが加速していった感じの街でしたが、旧来の北京らしさも多数のこり、路地裏には、安い飯や汚い便所が残ってました。
串っていう赤い電灯がかかっていて、焼き鳥的な何かを
売っていましたね。
あれから、10年北京は100年くらいの変化が一気に10年間で起きてすっかり変わってしまいました。
タクシーも汚いシトロエンが絶滅。現代ががんがん走ってます。
最初に北京に行ったのは
1989年
それから12年ぶりの北京はすでに豹変していたが
今から振り返るとそれでも、まだ
昔の中国の匂いがしていた気がします。
さて、次に北京に行くのはいつかな。。。。
ところで、当初の目的であった調査のかいあってか
2006年に中国の子会社の董事に就任しましたが
あいにく非常勤でした。
その間に、友達や昔の部下が中国へ行ってしまったな。。。
中国に行ったことないのに、中国を語ることなかれ。13億の多様性のうずがあなたを待ってます。

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