「高木教育センター」の、ありふれた日々
「高校に入っても指導をお願いできませんか?」
とリクエストが入り始めた。最初は、英語だけという約束だったのに中学生と同じで数学の質問も入り始めた。
それで、考えた。
「灘高の入試問題の数学が解ける私なら高校数学も大丈夫かな?」
と考えた。
「高校クラスも作りたいし、試してみる価値はあるかな」
と思って、近所の本屋さんに行って高校数学の参考書・問題集の棚を見た。なつかしい「オリジナル」が目に入った。四日市高校の悪夢が蘇った。
それで、恐る恐る手にとって中身をのぞいて見た。ひっくり返ってから25年以上が過ぎていた。まだトラウマがあり、手が震えた(笑)。しかし、驚いたことに、25年前の記憶が残っておりどんどん解けた。
中学の数学を徹底的に教え込んでいるうちに基礎が固まったのか、中年になって精神が鍛えられたのか、よく分からない。とにかく、「オリジナル」を2周、「一対一」も2周、「チェック&リピート」も2周、「京大の数学」も2周。並行してZ会の「京大即応」を8年間やり続けた。
その間に腕試しに「京大模試」を10回、「センター試験」を10回、「京大二次」を7回受けた。
そのくらいやらないと、優秀な生徒の指導には役立たない。成績開示をしたら、京大数学で7割正解だった。「暁6」の特待生、「国際科」の上位の子を指導しても困らなくなった。
しかし、そういう点数の問題だけではない。自分の中で大きな変化が起きた。数学アレルギーが全く消えた。トラウマが消えた。怖くなくなった。今では
「まぁ、たいていの問題は質問されても困らないだろう」
とリラックスして授業に臨める。当塾は、大規模塾のように準備した授業を一方的に話すスタイルではなく、生徒の質問に答える形式なので常に本番なのだ。
今では、英語より数学の方がはるかに面白いと思える。だから、私は19歳の時点で「文系」「理系」に分類することに疑問を持っている。人間はそんなに簡単に分類できるものではない。
文系だった私が今では
「この世の現象は数式で表現されない限り、分かったと言えない」
と信じている。これは、完全に理系の発想だろう。
学校では習わなかった「数学3」も独学で勉強している。そうこうしているうちに30年も過ぎてしまった。まさに、
「少年老い易く学成り難し」だ。
ただ、分かったことがある。私は自分の指導させてもらっている理系女子のような才能はないのだけれど、人の何倍も苦労して数学を身につけたために「生徒はどこでつまずきやすいのか」がよく分かるようになった。これは、数学講師としてはスゴイ武器になるのだ。
ひっくり返って、病院送りになったり、受験会場で不審者扱いを受けて入場拒否をされたり、みっともないことが多かった。お世話になったホテルの人も最初は送迎バスは父兄は乗れないと勘違いしてみえた。
しかし、それもこれも必要なことだった。
「とても頭に入らない」が「わかる!」に変わる瞬間を知った。
こうして、今は英語と数学の両方が指導できる講師として重宝されている。
考えてみると、高校生の時に吐きそうな思いで数式を見ていた時から30年が経過した。高校生の方は私もそうであったように2年後、3年後しか見えていないはず。そりゃ、そうだ。私もまさか自分がアメリカで生活したり、数学Ⅲを勉強するハメになるなんて予想ができるはずがなかった。
父は亡くなる前に自分が大学入試に落ちた話をしていた。戦争で中国に行ったとも言っていた。大学に行って戦争に行くのを避けようとしたのだろうか。今となっては分からない。
私の進学に強い関心を示していたのは、自分の原体験があったのかもしれない。もっと優しく接していたらよかったが、もう遅い。ご両親を大切にしてあげてください。A子ちゃんが最後まで頑張れたのも、私が頑張っているのも親の支えがあったからだと思う。
ウザいと思った父は、私たちに良き少年時代を与えてくれた。私はと言うと、バツイチになって娘たちに良い家庭生活を与えられなかった。教養がないと思ったこともあったが、理屈を越えた愛情を与えられる方が人としてずっと大切なことだったのに。
できれば、感謝の言葉を伝えたかった。
第四章
「ネット社会で右往左往」
塾のホームページにブログの記事をエッセイ投稿サイトに載せたらどうかと提案がありました。一番下にそのサイトのURLを載せておきます。よろしかったらご利用下さい。
投稿した途端、かなりの方がアクセスして読んで下さったようで嬉しいです。真摯に受験を考えてみえる方が多いことを実感します。
よく作曲家の方が
「メロディーが天から降ってくる」
と言われる。私も実感を持ってそう感じる。なんで英語の次に5科目。その後に高校数学を始めたかと言うと、天の声としか言いようがない。しかし、それでは非論理的なので分析してみる。
だいたい10年なのだ、情熱が続くのは。皆さんは日本語が話せて感動されているだろうか。当たり前と思ってみえるはず。私は英検1級や通訳ガイドの国家試験に合格した頃に、それまでの情熱を失った。
10年も経つとある程度はどんな技術も身につくからだろうか。あるいは、人間の脳は10年くらいしか情熱が保てないのだろうか。英語の10年の後、翻訳や名古屋大学の大学院の入試で筆記試験に合格して学者になる夢も見た。
しかし、それぞれの分野には達人がいて競争はきついしプロになる情熱も持てなかった。それで、塾生からリクエストの多かった理科や社会の勉強を始めてクラスを設置した。
それも10年くらいでほとんどマスターしてしまった。ちょうどバブルが弾けて塾の経営も少子化で先細りが予想された。それで、やはり塾生の子のリクエストの多い高校数学に取り組んだ。
ちょうどセンター試験を10回、京大二次試験を7回受けた頃に「終わったかな」という天の声を聞いた気がした。成績開示は、優秀な生徒の信頼を得られるくらいになり、授業で困ることがなくなった。
それで、今はネットのブログに取り組んでいる。
最初は楽天、Gooなど10個くらいのブログに並行して書いてみた。その中で読者が急激に増えたアメブロに決定。次に、読者数が伸びないのでYoutubeに投稿を始めて、ブログに転載。そして、ジャンルランキングに参加。今は、書き溜めた記事をエッセイ投稿サイトに投稿している。
つまり、あれやこれやでネット活動しながら広報をしているわけだ。タダだから。大手がデタラメな宣伝広告をしているけれど、零細な個人塾では誰もふり向いてくれない。メディアが取り上げれくれる可能性を探っている。
私は自分がデタラメではないと自負している。
もちろん、何もせずに突然「天の声」が聞こえるわけがない。勉強し、食事や睡眠に気を遣い、定期的に運動し、お祈りし、瞑想し、危機感を持ち、常にアンテナを張り巡らす。
そんな時に、アポ無し訪問とか、電話営業があると怒鳴りつけたりする。貴重な天の声を聞き逃す。老いた母親には優しくしたいが、こういう時だけは一人にしてもらう。倒産や夜逃げになって悲しませるよりマシだからだ。
経営者の気持ちや50過ぎまで勉強し続ける人間の気持ちなど多くの人に理解できるわけがない。だから、妻から三行半を突き付けられても父と喧嘩しても譲れないところは譲れなかった。
そういう孤独を引き受けるしかない。娘たちが私を勇気づけて、諦観を持たせてくれた。
ブログは、しょせんコンテンツ勝負だ。受験と同じでテクニックでは読者はついてこない。真剣勝負でないとダメなのだ。これまでためた画像やデータを惜しげもなくつぎ込んでいる。
私が英検1級、通訳ガイドの国家試験などに合格するために行ったノウハウ。センター試験10回・京大二次試験7回の経験から得た高得点の獲得ノウハウ。京医、阪医、名医、三重大医に合格した子たちを指導したノウハウ。そういうものを全て開示している。
マスコミは、今も「GTO」から続くヤンキー、ギャル路線でヒットを狙っているようだが、現場の中学生や高校生はあきれ返っている。昔のNHKの「中学生日記」や、せめて「金八先生」くらいの普通のドラマを待っているのが分かっていない。
A子ちゃんみたいな生徒がヒロインであって、アホなギャルなどマスコミが煽っても乗っからない。
1.英訳でも和訳でも、未知の英単語が出てきて、それが訳せなかった場合、模試では1つにつき満点から2点ずつ減点していますが、本番はどのような採点方法になるのですか?
おそらく、答案の印象というものが結構点数にかかわるのではないかと思うのですが。
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