4人の息子たちのうち、ふたりが色弱でした.2
次男が生まれてから「あれ?」と
長男(1号君)の色弱に気づいたのは、1年生になったあたり。
6歳か7歳になった頃かと思います。
それまでは、お絵描き帳も黒ばかり、聞くと
とのことでした(;^ω^)
他の女の子たちがカラフルな絵を描くのに比べ、多少色数が少ないかなとも思えましたが、
男の子なんてそんなものかと特に気にも留めていませんでした。
時々、色を塗るのですが、なんだかちぐはぐな時もありましたが
(木の葉っぱが薄いだいだい色、人間の肌が黄緑色)
子供はそれくらい自由なんだなーなんて思っていました。
一方、レゴブロックは大好きで、いつも、熱心に船だの飛行機だのを作っていました。
かならずびっちり左右対称に作るので、
すごいわー
なんて感心してみていたのですが、時々、赤いブロックに茶色が混ざっています。
そう言って、茶色いブロックをはずし、赤に変えるのでした。
それも、よくあることと、そんなに気にもしていませんでした。
弟の二号君が生まれました。
二号君も、ブロック大好き。
お絵描きも兄そっくりな台風(;^ω^)ばかりでした。
しかし、二号君はブロックの色を間違えません。
塗り絵も、色を間違えません。
こどもだからこんなものか、と見過ごしていた部分が、二号君の方が小さいのに間違えない。
ふと、不安がよぎりました。
この子は、もしかしたら、目が良くないのかも…
実は一号君は、すでに「滲出性中耳炎」というものにかかっていて、
耳が聞こえていないといわれていたのです。
初めての育児をしている私にとって、どんなに衝撃的なことだったか…
実際は呼べば振り返るし、テレビの音も大きいこともなかったので、
私たち夫婦はそんなに心配はしていませんでした。
けれども、お医者さんにそう言われたことは事実。
週二回、何年も耳鼻科に通うことになります。
そんな中で、今度は眼科です。
たまたま、主人の知り合いのお父さんが ←遠いなぁ(;^ω^)
眼科医で、私も主人もよくかかっていたところがありました。
当時はまだこんなにインターネットも普及しておらず、
情報もほとんどありません。
まずは眼科の先生に聞いてみよう。
なことを考えながら、眼科へ行きました。
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