第三十五章 日本一の受験マニア

第三十五章

「日本一の受験マニア

 私はアメリカから帰国して自身満々で英検1級を受けに名古屋に向かった。だって、受験勉強ではノイローゼで倒れるまで勉強した。大学ではLL教室に通い、帰宅後はECCに通い、NHKの番組を見て、アメリカで1年間勉強した。受験勉強では名古屋大学に合格し、英会話ではアメリカで生活に困らないレベルまで引き上げた。

 これで落ちるわけがない。ここまでやった人はいない。100%の自信があった。それなのに、落ちてしまった。信じられなかった。心が折れそうだった。

「英検なんか本当の英語力をはかってない!」

 と周囲に八つ当たりをしていた。しかし、途中でやめるわけにはいかない。それで、これで最後だと思って翌年受けてみた。それで、筆記試験に合格した時は

「これで合格した」

 と内心確信した。なのに、合格するはずの二次試験で落ちた。信じられなかった。もうダメだと思った。それまでに、持っている時間もお金もすべて英語の勉強につぎ込んでいた。子供が生まれて自分に投資する余裕がなくなっていた。

  しかし、筆記に受かると翌年は筆記が免除だったのでダメもとで面接試験だけ受けに行った。そしたら、合格した。もう一回受けたら合格する気がしない。その後も、通訳ガイドの国家試験、国連英検A級、ビジネス英検A級、慣行英検1級などに合格したわけだけど、どれもこれも失敗の山が築かれた。

 今だから笑って公開しているが、39通の「合格」「不合格」通知は機械的に受けていたわけではない。その都度「もうダメだ!」と心が折れそうだった。「もうやめよう」と毎回思っていた。しかし、何も分からない娘たちの顔を見ていたら父親として折れるわけには行かなかった。

 「落ちた!」「もうだめ」「こんなバカな」「もうやめた」「もう一回だけ」「こんな知名度の低い資格は要らない」「こんな父親ではマズイ」「受かるヤツいるのか?」「こんな資格なくても中学生の指導はできる」「でも、今を外すと一生ムリかも」。こんな繰り返しで10年ほど過ぎた。

  これは、京都大学を受ける時もそうだ。まずは、Z会の「京大即応」コースを始めた。真っ赤になって戻ってきたから、最初は

「スゴイなぁ」

 と思った。しかし、2年、3年と続けて気づいたことがあった。それは、人間の脳が一度に10以上の情報の処理はムリということだ。

アイエンガ―という人の研究からわかったことなのですが、人は選択肢が多すぎると、選択する事すらやめてしまう。それも無意識的に。沢山あると選択肢の区別が難しくなるためにこういうことが起こると考えられています。

 真っ赤になるほどの訂正をされると、もはや間違いを見直す気さえなくなり学習効率が落ちるのだ。それで、私が自分で添削を始めた時はポイントを出来るだけ絞るようにした。ある程度の学力のある子は、その学習効果に気づいたらしく最後まで継続してくれた。

 ところが、ダメな生徒は添削者が汗をかいて訂正だらけになると高く評価する。時には、私の訂正が少ないことを手抜きだと非難する人もいた。そういう人はもちろん怒って途中でやめてしまう。

 河合塾や駿台の「京大模試」を10回受けた時も大変だった。試験会場は言うまでもなく全員高校生か浪人生。私のような50代のオッサンはいない。だから、目立ってしかたない。教室に入って行くと必ず周囲の目が集まり、視線が痛かった。

 そして、気づいた。赤本の問題より遥かに難しい。これは、自分で塾経営をしていたので事情はすぐに察知できた。本番より簡単な問題を出題して本人に変な自信をつけさせてしまうと、無謀な受験をしてしまう。すると、後で

「模試で合格可能性が高いと出たから受けたのに、落ちたぞ。責任とれ!」

 と突っ込む人が必ず出てくる。だから、必要以上に難問を出すわけだ。和田秀樹さんの「新・受験技法」を読むとD判定、E判定でも合格する子が毎年いる。

  こういう分析をする一方で、

「今日もオジサンは私ひとりだったなぁ」「オレ、一体なにやってんだ?」「こんなことして誰が喜ぶんだ」「ここまでやらなくても生徒の指導はできるし」「このお金を全部別のことに使ったら、何ができるのかな」「こんなレベルの高い数学を必要とするのは1000人に1人か」

  毎回「もう、これでお終い」と思っていた。英語や数学の勉強と受験にかけるお金を塾の宣伝広告費にかけた方が儲かるかもしれない。実際に、英検1級や京大二次で7割の数学を必要とする子など、当時はほとんどいなかった。

  娘たちの顔を見ると、申し訳ない思いがしたものだ。この子たちのためにお金を使い、一緒にいてやるべきではないか。そういう葛藤の連続だった。でも、生命保険を解約までしてA子ちゃんを支えていたお母様のことを思うとやめるわけにはいかなかった。

「旅行に行く時まで勉強なの?!」

  と、もと奥さんに責められた。結局、理解されなかったようだ。バツイチになってしまったから。子供たちに悲しい思いをさせて無念だった。でも、自分では必死で父親と塾長の責務に奔走していたので、ダメ出しをされても何もできなかった。

「こめんね」

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