17歳が思う「生と死」について。

「なんで生きてるの?」


最近この質問を他人によくする。
これは皮肉的な意味合いはない。生きてる意味が見出せない僕は他人の生きる意味を知りたいだけなのだ。


生と死。誰もが考えるが誰もがタブー視してるこの言葉。僕はこの言葉に人々が目を瞑る理由がわからない。誰もが通る道。増税?野球賭博?そんなどうでもいい事にばっか目を向ける。

人の誕生は男女がSEXをするという過程があって成り立つ事だ。だけど大人はその行為の知識を人の頭に入らないようにして、そういった類の言葉は世間ではセクハラ等と騒がれる事もある。そこをタブーにしたらダメだ。僕は小学校の頃精子と卵子が合体して命が生まれる事を知った。だけど学校ではSEXのことは教えてくれなかった。子供の頃から自分が産まれるまでの過程を知らず過ごしてたらなあなあで生きる明日に塗れるに違いない。息をするのと同じような行為なんだSEXは。それに対して目を瞑るっていうのは僕の中で何かが許せなかった。



僕は死にたかった。だけどその言葉は死が恋しいから生まれたわけじゃない。死が恋しいんじゃなくて生が嫌いなんだ。
結局自殺は未遂に終わった。単純にナイフの歯切れが悪かったとか首を吊ってたコードが切れたとかそんな理由だ。今ではあの時死ぬのはまだ勿体から結果オーライなどと思っている。

僕の欠点は大きく言えば心が弱い所と頭が中途半端に良いところ。頭が良いのが悪い?ってなる人もいるかもしれないが頭が良いのではない中途半端に良いんだ。中途半端に良いってのはうまく割り切れずにだけど思考だけは一人前に止まらない。元々ネガティヴな僕が中途半端に頭がキレるんだからネガティヴが本当に止まらないんだ。一つの事から物凄い数の不幸を連想してしまうのだ。人に裏切られた事もある。人を裏切った事もある。人に嫌われた事もある。人を好きになった事もある。自分を嫌いになった事もある。自分を好きになった事はない。 なんて不幸なんだなんで不幸なんだって思うたび自分より辛い人も居るんだって思う。だけどそこでは割り切れず自分の痛みは自分の痛みだから辛くて何が悪いってなる。馬鹿だ。頭がキレる馬鹿だ。
人それぞれなんだ。生き方も苦しみも死に方も。正解なんて一つもない。あなたが見てるのは自分の世界だ。あなた中心の世界だ。


話は戻るが生きる事、それは死ぬ為の準備期間だと僕は思う。死ぬ為の支度をするのだ。だけど支度が出来ても出発の時を自分で決めれるわけじゃない。なんて嫌な仕組みだ。僕は心の支度はもう整ってる。だからいつ死んでも後悔はしない状態なのだ。もし後悔があったのならもう一回好きなもの食べとけば良かったとか、もう一本だけタバコ吸っときゃよかったとかそのくらいのしょーもない事だろう。
生きようと思った事もある。何度もあるが最近では友達が私達のためにも生きて欲しいって言ってくれたその一言だけで頑張れた。その言葉を貰った次の日仕事の途中に僕は泣いた。これは内緒。
だけどその言葉だけでは僕はどうにも世界が決めた僕の命日まで生き抜ける自信がない。鏡を見ると毎回「こいつよく今まで生きてこれたなぁ」なんてことを思ってる。それほど弱いんだ、僕の心は。だけど今の気持ちは逃げたいなんてものとは違ってもう満足したって感じなんだ。リサイクルショップで1時間くらい物色した後の感情みたいな。もう満足、だけどまだ勿体ない気もする、くらいの感じ。この感情がわかる人が誰がいるのか不安だ。
生まれた我が子を抱く親は「幸せになってね」なんて思うと思う。実際のところ子を持たない僕にはわからないが。人は死ぬために生まれた命の幸せを願うんだ。これは素晴らしい事だと思う。とっても綺麗だと思う。死に近づくほど美しくなっていくのが命だと思う。僕は我が子をいつか抱いてみたい。そう思ってる。死ぬ為に生まれた尊い命を、産まれる前から死に一歩一歩近づいてるその命にいつか心から幸せを願えるようになりたいから。

こんな17年しか生きてないガキの人生観を最後まで読んで頂いた方、有難うございます。

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