第百三十三章 求めよ、さらば与えられん。尋ねよ、さらば見出さん
まず、「オリジナル」を使って数ⅠA、数ⅡBまでやることにした。2周やってセンター試験を受け始めた。10年続ける予定だった。最初は25%しか正解できなかった。その後、「1対1」「チェック&リピート」を2周やって、Z会の「京大即応」を始め、河合と駿台の「京大模試」を受け始めた。センターの数学は8割、京大二次は7割くらいになった頃に10年近く経った。
京都大学の成績開示。クリックで拡大されます。→ 英語と数学以外は無勉受
「なるほど。私程度の才能でも10年もやると無謀なことも可能になるわけだ」
と、納得した。
私のは、信念ではなくて信仰です。今、目の前に「成功哲学」という本がある。
ナポレオン・ヒルの書いた超ロングセラーなのでご存知の方も多いと思う。アメリカにいる時に紹介されて読んだ。ウェイン・ダイアーの「自分のための人生」は30年間私の座右の書となっている。
なぜ、こういう書物が日本で書かれないでキリスト教圏で生まれるのか。それは、
求めよ、さらば与えられん。尋ねよ、さらば見出さん。
門を叩け、さらば開かれん 新訳聖書「マタイによる福音書」より
全ては「聖書」の思想を人生や経営に当てはめて書いてあるわけで、信仰がないと実践に移すパワーが漲らない。
私はクリスチャンだが、塾では信仰の話はしない。日本には信仰の自由があるし、宗教というと変な人だと思われがち。
「私の息子(娘)を洗脳する気か!」
と、抗議されかねない。
私の経験によると、99%の生徒は
「高木先生は生まれつき賢いから」
と言って、私の言うことに耳を傾けてくれない。でも、ごく一部の耳を傾けてくれる生徒には「10年の法則」を教える。それが、どれほど彼らの背中を押すかお分かりだろうか。
私の塾生は、京大医学部、阪大医学部、名大医学部などの旧帝に次々と合格していった。こんな三重県の片田舎の小さな個人塾なのに。
こういう世界に「ビリギャル」の入り込む隙間はない。
「中学生、高校生に本物の生き方を見せてもヒットしない」
というのは間違った思い込みで、生徒をなめているとしか思えない。
しかし、私は声高には言わない。イエス様の言われたことは全て正しいのだけれど、結果は十字架上の磔だった。
私は塾講師だから、塾生を「合格」に導くのが仕事だ。自分で英語検定1級、通訳ガイドの国家試験、国連英検A級、ビジネス英検A級に合格してみせた。ノウハウを知っている。
文系でも、数学Ⅲを指導できるまで数学を身につけた。センター試験を10回、京大二次を7回受けて合格するためのノウハウを知っている。
そして、それを教えた生徒は難関旧帝に合格していった。
ところが、その肝心要のノウハウを口にすると
「何を威張っとんのんや!」
「そんなのは生まれつき」
「あんたの方法が誰にも当てはまるわけないやん」
「ただ恵まれていただけ」
と罵詈雑言が飛んできた。イエス様だけではない。正しいことを言った坂本竜馬は暗殺された。上記の記事の教師も、正しい行為をしようとしたら暴行を受けた。私は殺されたくないし、暴行を受けたくもない。
「人は、自分がなりたい者になる」
と話したら、
「ボクは四日市高校生になりたい」
と念仏のように唱えていた子もいる。“求めよ、さらば与えられん”なのに、全然求めていない。念仏を唱えるのではなくて、問題をやりまくることを「求める」と言う。この程度の理解では救われない。
それで、本当は信仰の持ち方や効用を話したいのだ。それがないと「10年計画」は相手に伝わらない。しかし、ほとんどの子は
「信仰と成績になんの関係があるんですか?」
というレベル。
通常授業でも、最高のヒントを出しても
「授業と関係のないことを言わないで下さい」
と言われてしまう状態。
迂闊に語っても、罵詈雑言が飛んでくるか、まったく理解されない。だから、私は相手を選んで合格の秘訣を話してやることにしている。
英検2級くらいまで頑張った子にしか、1級合格の秘訣は語れない。四日市高校に合格できるくらい頑張った子にしか難関合格の秘訣は理解できない。ABCしか知らない子に1級の話をしても無意味だし、中学レベルの方程式があやしい子に微分積分を語っても身につかない。
ましてや、教師に暴力で反抗する子など論外。“落ちこぼれ”を称賛するドラマなど論外。でも、正論が通じる人はなぜか少数派で嫌われる。
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