おじいさんの最後のお寿司の話

高校の頃の僕が住んでいた青森県八戸市には「三社大祭」というお祭りがあって、おじいさんのお見舞いのために毎日病院に通っていた7月の終わり頃は、夕方になると町のあちこちからお囃子の練習が響いていた。
ある日、僕はおじいさんのためのお寿司を持たされていた。スーパーのありきたりのお寿司だけど、かなり責任重大なお寿司だったことは、後に知ることになる。
夏の夕暮れの病室からは、開発の経緯の中で小さく残された林と昼間の明るさを急速に失っていく空が見えた。寿司のパックを開けて差し出すと、おじいさんは何か「ありがとう」のような事を言って、確かほたての握りを一貫食べた。
しかし、その後が進まない。おじいさんはやがて難しい顔になって、体を起こすと不自由な体を懸命に動かしてトイレに向かい、吐いた。
お寿司はおじいさんが望んだものだったが、末期の大腸がんに侵されていたおじいさんは急激に体調を崩し、もう何も食べられない体になっていた。
そのままおじいさんは亡くなった。おじいさんの最後のお寿司はスーパーで買ったものだった。外ではお囃子が響く中、一度も泣き言をもらさない精悍な死に様だった。
(後日談)
病床でおじいさんが語ったこととして、「戦時中の満州で聞いた歌がもう一度聞きたい」という願いがあった。
おじいさんが亡くなったあと、僕はFM-TOWNSというパソコンを使って、おじいさんが聞きたいと願う満州の歌を自分なりに作曲した。胡弓のような中国の民族楽器を調べたことは、今も僕の大切な知識となっている。
当時の音源は残っていないけれど、そのメロディは今でも憶えている。もしかしたら、僕もおじいさんのところに行く時に、そのメロディを思いだすかもしれない。

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