大学時代の恋愛はレモン色

大学時代の恋愛はレモン色  

ボクが最初に

「おかしい・・」

 と気づいたのは、中学生の頃だった。周囲の友達が「可愛い!」と言う子に私は興味が持てなかった。私は、顔面の配置にはあまり興味が持てず、頭の良い女の子にだけ興味を持った。

 今も記憶に残る女子は、中学、高校、大学それぞれで一番頭のよかった女子だ。特に美人ではないので、周囲の男子はあまり興味を示さないタイプ。もっと、ハッキリ書くと秀才すぎて敬遠される女子だった。

大学に入って、ボクは少々狂った。受験勉強ばかりしていて、女性ってどんな生き物なのか興味津々だった。でも、ある女性とユーストアーに買い物に出かけたとき、「私の彼は、キューピーより味の素の方が好き」とか平気で言うので気分が悪かった。

  一緒に、金沢の兼六園に出かけたときも「コレ、男友達にお土産なの」と言える神経を疑った。それだけではない。私を夕食に誘いながら、同時に別の男ともつきあっているようだった。私は、そのお土産を踏みつけた。「あっちでも、こっちでもこんなことをしているのか!」と怒鳴った。若かった。

  女性と男性は、根本的に感覚が違うのだろうか。

  私たちが中学生の頃は、男子は技術、女子は家庭と分かれていた。アメリカだって、男子は industrial arts で、女子は homemaking となっていた。もちろん、男女平等の国だから、希望すれば入れるだろうけど、現実は男女別だった。

  いくら、男女共同参画社会基本法ができても、男子と女子は根本的に違うのではないだろうか。何千年も科学者はほとんどが男性だった。理系女子が多いわが塾でも、私は「本当に、女子に科学ができるのか?」と少し疑問を持っている。

  私はものごとを論理的に考える。そのように、長年訓練を積んできた。動物的に感情で動くと、判断を誤って破滅するからだ。ところが、私の出会った女性は「なんで、そうなるの?」ということの連続だった。

  私とつきあい始めても、昔の彼氏からもらったものを大事に持っている彼女に全て捨てさせた。でも、そういう感覚の違いは言ってどうなるものでもなく、言えば言うほど溝が深まるばかりだった。

バツイチになる過程で「もう、女性には絶対に近づかない」と、決めた。

  恋愛がレモンの味がするのは、大学時代までだった。そして、それも今はセピア色。もはや、私にハニートラップは効かないし、DNAが叫んでも耳に届かない。微積分の問題でも解いている方が楽しい。

  結婚に踏み込むためには、無知でないとできないのではないだろうか。あまりに知識や経験が蓄積すると、対象に魅力を感じられなくなる。結婚することにより失う自由と、結婚することで紛れる淋しさを天秤にかけると、自由を選択してしまう。

  中学生や高校生くらいまでは、肉体関係までいかずに淡い思い出になっている人も多いだろう。大学時代が、分岐点になる人が多い気がする。

  私の場合、四日市高校で受験勉強に励み、入試の5日前に全身痙攣の入院騒ぎを起こした。ノイローゼの一種だと診断された。医者には止められたが、強行受験で名古屋大学に合格した。

  だから、英語や数学は簡単に捨てられるほど軽いものではなかった。その後も、26歳で無職、貯金なしになる覚悟でアメリカに渡って勉強を続けた。帰国後は、莫大な融資額に冷や汗が出る思いだった。

  だから、結婚後に英語検定1級まで勉強を続けた。合格したのは30歳。その後も、オリジナル、チェック&リピート、1対1、赤本をそれぞれ2周して、京都大学を7回受けた。10年以上すべてを賭けてチャレンジを続けてきたのだ。

  40代、50代でのこうした行動は、女性には奇異に映るのだろう。仕事優先に映るのだろう。強者の論理なのだろう。家庭を顧みないのだろう。落ちこぼれを見捨てるエリート教育なのだろう。

  感情で動く女性には、「ヒイキだ!」「差別だ!」と叫ぶ人もみえる。私の奥さんも、そういう女性だった。それもあって、バツイチになってしまった。後悔はしていない。ただし、娘たちには可愛そうなことをした。

  前方ではライバル塾との激烈な競争があり、後方からは妻からの批判の嵐では身がもたない。実際、胆石手術で入院した時は「これ以上のストレスでは死んでしまう」と思った。

  受験制度は、優秀な生徒を選抜するものだ。それに反発して、偏差値追放、業者テスト反対、差別だ、ヒイキだと叫ぶ人たちが多い。攻撃されることも多い。地元の中学校も学力順位を教えない。競争を煽るというのだ。

  私は、そういう主張をする女性たちや、左翼教師とは永久に平行線だと覚悟している。二度と女性と関わるつもりはない。ウンザリなのだ。社会主義で残っているのは、北朝鮮、中国、キューバくらいだ。ユートピアだと信じているのは左翼教師くらいだろう。

  バーゲンセールに走り回るのは女性が多い。つまり、安くて質の高い商品を求めているわけだが、それは激烈な企業間競争があるから実現するものだ。競争を「可愛そう」と言う一方で、消費者としてクレームをつけまくる。

  私は、そういうモンスターとは関わりたくない。自分の人生が大切なのだ。そんな人たちと関わる時間とエネルギーの浪費は御免こうむりたい。

  天地真理、南さおり、麻丘めぐみを見て心をときめかせていた頃がなつかしいが、永久に戻っては来ない。みんなオバサンになってしまった。私もハゲ親父になった。

諸行無常。

  中学生や高校生は受験で忙しい。せめて、大学生の時は思いきり恋愛をした方がいい。大学生の頃の恋愛は、レモン味。すっぱい。楽しいだけではないのだ。でも、それが人生において純粋な恋愛ができるラストチャンス。

  それ以後は、打算が優勢となってしまう。ビル・ゲイツのような世界一の金持ちになると自分にアプローチをかけてくる女性が金目当てであることが多すぎて結婚に踏み切れない。

  どうやら、自分は醜いものを余りに多く見すぎたようだ。なるべく、そういう方と関わらないように注意してきたのだが、商売をしたり、結婚をしたりすると避けられないこともある。

 教諭、障害ある生徒と関係 京都市教委、懲戒免職を公表せず

京都新聞 5月17日(火)14時30分配信

京都市立鳴滝総合支援学校(右京区)の教諭だった男性(59)が、当時の女子生徒(21)と性的な関係を持ち、2014年3月に京都市教育委員会から懲戒免職処分を受けていたことが17日、分かった。市教委は処分を公表しておらず、「生徒への影響を考慮した」と釈明している。

 また女性側は、障害がある生徒にうそをついて性的にもてあそんだ上、「学校は事案をもみ消し、生徒の人権より事なかれ主義を優先した」などとして、京都市を相手に、450万円の損害賠償を求めて京都地裁に提訴している。

  今日も教師の不祥事が続く。DNAが子孫を増やせと命令しているのだろう。獣と同じ行動原理だ。そんな人間がたくさん教壇に立っている。いくら否定しても、こう毎日のように不祥事が続くようでは、否定できまい。

  女性に絶望し嫌悪している私を哀れむ人もいるようだが、私から見るとなぜ自ら死地に飛び込むのか不可解だ。私は若い頃から、木枯らし紋次郎や眠狂死郎が好きだった。トレンディ俳優が嫌いだった。

  共感できる杉下右京はバツイチだし、湯川先生も女性とうまくいくと思えない。アダムとイブの昔から、男と女は理解し合えないとの思いを抱く。私は、職を捨てて自分の近くに来てくれた女性に別れ話をしたことがある。自分の都合を優先した。

「黒の舟唄」

能吉利人作詞・桜井順作曲

男と女の 間には
深くて暗い 川がある
誰も渡れぬ 川なれど
エンヤコラ 今夜も 舟を出す
Row and Row
Row and Row
振り返るな Row Row

  最初に本音でぶつかりあった大学当時がなつかしくもあり、二度と御免だという思いもある。私は二度と舟を漕ぎ出すことはないだろう。

  もちろん、老夫婦はたくさんいるし、人生を我慢と忍耐の場と考える人もいるだろう。人様の生き方に興味はない。干渉する気もない。

  こんな私にも、ラブレターを書いたこともあるし、デートをしたこともあるし、プロポーズしたこともある。全ては、風に吹かれてはるか彼方の思い出になってしまったが。何も知らない赤子の方が幸せだ。

私の周囲には、女嫌いのオーラが発せられているらしく、それが女子生徒の安心感にもつながっているようだ。何が幸いするか分からない。異性であることを抜きに話をすると、人として深い話が可能になるから皮肉なものだ。

  女嫌いの高学力講師なら、利用するには便利なのだろう。

  私はナマのあべ静江さんをTV局で見たことがある。ナマの斉藤由貴さんを教会で見かけたことがある。ナマの小谷小生子さんとアメリカで仲良くさせてもらった。みなさん、美人で胸がときめいた。しかし、それは、20代前半のことだからだ。

  もはや、あの日はかえらない(かえりたくもないけど)。

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