幸せのしっぽ

あなたにとって幸せな時はどんな時ですか?とたずねると、仕事を終えてビールを飲んでる時とか、彼女と一緒の時とか、映画を見てる時とか、何もしないでぼーっとしている時とか人によって違う答えが返ってきます。幸せとは人によって違うものなのでしょうか。

今年の秋に幸せになります。私も早く幸せになりたい。結婚イコール幸せでしょうか。離婚したら不幸でしょうか。これも人によって違うものなのでしょうか。

もっとお金があったらとか、美人だったら、勉強できたら、才能あったら幸せになれるのに、これも人によって違うものなのでしょうか。

幸せはひとつです。のはずです。

正確に例えるのは難しいんですけど、幸せとは、日本人にとっての主食、米じゃないでしようか。

今晩なにを食べたいですか?とたずねると、焼肉とか、寿司、カレーなど人によって違います。

それは、副食(おかず)を答えていませんか。食卓に並んで当たり前、毎日食べても飽きない米が基本、主食なんです。

言い換えれば、朝起きてご飯食べて出勤して、昼ごはん食べて仕事して帰ってご飯食べて風呂入って寝る。毎日これ(基本)の繰り返し主食、副食(おかず)としてビールを飲むとか、映画を見る、結婚とか、美人、お金とかは、基本あってのおかずにすぎないのです。

毎日の基本を幸せと感じることができればこれに越した事はありません。

私たちは初心に帰るべきじゃないでしょうか。

終戦後、日本はすべてを失いました。母にたずねるとおかずなんてなかったと、白米はご馳走だつたと、誰の弁当にもおかずは無かったと、基本があれば幸せだったと。

初心に帰るべきなんです。お腹の赤ちゃんが明日誕生します。あなたはなにを願いますか?

健康であればいいと願いませんか。美人でとか頭が良くてとか、おかずにすぎないのです。

そうです。基本があれば幸せなんです。

人間の欲は際限なく、それが幸せと言わんばかしに、車、冷蔵庫、洗濯機、何でもコンピュータ制御、全自動。おかずばかりを買い集め、基本を忘れ、本当の幸せもわからなくなっています。

電気屋さんに行くと、炊飯器のコーナーには銅釜、ダイヤモンド釜など高級炊飯器が所狭しと並んでいます。その中の一つにはなんと、技術の粋を集めた最新式かまど炊きとあるではないですか。

な〜んだやっぱり基本がいいんじゃないですか。

今や世界ではグローバル化が進み、アフリカの裸で暮らす人たちでさえスマートフォンを持ってます。行き届いてしまったのです。もう、ハードは要らないソフトの時代です。

私の言葉で言い換えると、おかずばかり買い集めるのをやめて、米をよく噛んで食べましょう。

かえってわからなくなったかもしれないので。

普段の生活の中、昨日と変わらない繰り返しの基本の中に幸せはあり、基本以外には存在しません。

どんなに物質的に豊かになっても(どんなにおかず)、求めても求めても、幸せにはたどり着けません。だってそこには無いのだから。

すべての人が幸せの種を持って生まれて来ます。たぶん。

じゃあ初心に帰るにはどうしたらよいのでしょう。オギャーと生まれ幸せの種を持っている頃には戻れません。

わかっています。わかってるけど、あの時彼と結婚しとけばとか、学生時代にもっと勉強しとけば、金持ちの子供に生まれとけば幸せになれたのにと思ったりすることもよくあります。

過去は過去でやり直しはできません。でも初心に帰る事はできます。

今でしょ。何とか先生じゃありませんが、今から始めればいいんです。

昨日は過去、明日は未来、今日は現在じゃないんです。今日という日には過去も未来も含まれています。

現在時刻は正午とした場合、午前はすでに過去となり、午後は未来になるでしょう。昨日はゆるぎなく過去、明日は間違いなく未来、今日は明日になれば昨日となり、明日となります。

さあ、今から始めましょう。でも今さら繰り返しの毎日(基本)を幸せと感じることはできないでしょう。

また、山に移り住みかまどでご飯を炊き、おかずも無い白米がご馳走という生活もできません。

そこで、一番最初に私がやった事は、一番輝いていた学生時代のエピソードを原稿用紙に書いたんです。今でも鮮明に覚えていて、文章にするのは大変でしたけど、何とか書くことができました。

書くことによって整理され、あの頃の自分を取り戻したいと、目標がはっきりと設定できたんです。実際に部屋の掃除とか、長年ほったらかしの物置の整理も良いでしょう。

これによりすぐに初心に帰れたわけではありません。辛い時や、楽しく無い時、もちろん楽しい時、乗ってる時、大声で風呂場や車の中で歌を歌いました。涙がボロボロ出る時もありました。大きな声を出すこと、涙を流すこともとっても大事です。そうやって僕にとっては大きな一歩を踏み出したのです。

学生時代の僕は、繰り返しの毎日(基本)を楽しんでいました。そして自分を好きでした。というか、自分に自信を持っていました。

なぜ楽しむことができたかというと、好きな事をしていたからでしょう。それは人のしない事をしてみんなを笑わせることで、選択を迫られた時、

私の行動原理は、どっちが楽かじゃないんです。どっちがウケるかなのです。

そんな僕はウケも良く人気もあって毎日楽しく、自信もありました。

しかし、社会に出て大人になっていくに従い、徐々に基本が楽しくなくなっていきました。

でも始めました。お客さんにあだ名をつけたり、鉄板ネタを喋ったり、今ではお客さんを笑わせることに関しては自信があります。まだ自分を好きにはなれませんが。

自分の好きな事を見つけると、毎日が楽しくなってきます。もちろん楽しくない日もあります。

でも幸せのしっぽが見えました。

こうなってくると、ちょっとした奇跡が起こるようになり、というか、今まで感じれなかったものを感じれるようになり、神様の存在も感じちゃったりして。

話はそれるかもしれませんが、神様は雲の上なんかに居ません。ローマ法王のような格好もしてません。幸せが日常にある様に、神様も日常にいらっしゃいます。感じるか感じないかです。

実は僕はアトピーで、ひどい時は化け物のようになります。下を向いてマスクはめて人目を避けて生きてきました。もちろん学生時代はよか男です。

明けない夜は無いとか、神様は乗り越えられない壁は作らないとか言いますが、嘘だーーって思いました。

今でも痒いし、化け物になりますが、前と比べるとだいぶ楽になりました。

地獄のような日々を通らないと、感じれないものを感じれるようになったようです。

もうあと少しで掴めるようなきがしてます。ギュッと掴んで引っ張り出してやりますよ。

幸せって奴を。

あっそうそう、僕に一番力をくれたのは友達、もう折れてた心を治してくれてありがとう。

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