心友 【其の一・曇天の霹靂】

次話: 心友 【其の二・見えない縁】

どこまでも厚い雲が広がる冬の空。あの日も曇天と呼ぶのがいかにもふさわしい。そんな見慣れた冬の朝だった。

朝食のパンをむさぼり食っていた時だっただろうか。携帯電話に着信が入った。しかし着信音を聞いていると、先に家を出た妻からではないことだけはわかった。

妻は朝から普通にお仕事だが、自分の仕事は職業柄午後からの出勤。よって朝方に妻と顔を合わせることはほとんどない。それで一瞬だけ妻からの緊急連絡だと思い込んだのだ。

携帯を取り上げる。

「トクシマ」

液晶にはそう表示されていた。何年も会っていなかった小学校時代からの親友。こんな朝方に何の用だろうか…

少し考えたところで通話ボタンを押す。


自分
もしもし!久しぶり!どうしたの、こんな朝から?
トクシマ
久しぶり!実はさ…

トクシマからは信じられない言葉が発せられた。


自分
え?冗談だろ?

やや動揺しながらもそう返すことしかできない。

しかしトクシマが電話口でも涙ぐんでいるらしいことは伝わってきた。


自分
「それ、ホント…なんだな…」

その後互いの間でどんな会話がなされたのか、今となってはあまり思い出せない。トクシマもきっと記憶が定かではないはずだ。

明確に覚えているのは二人にとって共通の親友だったクロイワとその母親がともに亡くなったという事実だけ。


トクシマ
今後のことなど詳しいことはまた後でわかったら連絡する。


そう言ってトクシマが電話を切った後、止めどなく涙が流れた。どれだけの時間が経ったのかわからないぐらいに。

不謹慎な話だが、肉親が亡くなってもここまで涙にむせぶことなんてあり得ないだろう。ペットならともかく。

涙も枯れ果て全身の力が抜けていた。あまりに「個人的な理由」というのは理解していたが、とてもじゃないけれどこの状態で仕事をすることはできない。

仕事どころか会社に向かう足取りすら危ういかもしれない。それぐらいショックを受けていた。

申し訳ないとは思いつつ会社に休む旨の電話を入れた。電話に出てくれた同僚は細かいことを何も聞かずに、

「わかった。ゆっくり休んでね。」

と言ってくれた。


会社への連絡を終え、実家にもその「事実」を伝える。電話に出た母親は「信じられない。信じたくない。聞きたくない。」ただそれだけをひたすら言い続けていた気がする。

暫くの間は呆然とし続けることしかできなかったが、ふとあることを思いつき、とるものもとりあえず家を飛び出した。

勢いで出てきたものの足元はおぼつかない。向かいたい場所は決まっているのに足取りは重い。現実を受け止めきれないからなのか、そこに辿り着きたくない何かがあるのか。

フラフラしながらも最寄駅にたどり着いたところで改札をくぐる。各駅停車なら数駅で着く。乗車時間はものの十数分だ。

それでも乗り過ごしたりすることのないように、乗り過ごすことがまるで罪になってしまうかのように感じ、いつも以上に気を張っていた。

無事に目的の駅で下車する。ただし、その駅は日常的に降りることはない非日常空間だ。そういう意味では、改札が一つしかなかったのは幸いだった。

もし改札が二つあったらそれだけでパニックに陥ってしまったかもしれない。それだけ動揺しながらの乗車だったのだ。


改札の目の前は大通り。それなりに標識案内などが出ている場所だったので、あらためて地図を確認する必要はなかった。大通り沿いに歩みを進めていけばその目的地にはたどり着けるはずだ。

やがて歩道橋が見えてきた。目的地はその向こうに見えている。ここで楽をしようと考えて横断歩道のない場所を突っ切ったらきっと良い結果を招かない。自分にとってもクロイワにとっても。

ルールに従って歩道橋の階段を登った。

歩道橋の上からその目的地を眺める。

「ここなんだな…」

今の今までそんな感傷に浸ったことなどなかったはずなのに、妙に思いふけってしまった。


辿り着いた先はクロイワの母校だった。野球ではかなり名の知れた名門校。高校三年間野球に明け暮れていた。

奴自身レギュラーになることはできなかったが、練習試合などでは当時のエースの球を受けていた。そのおかげか試合には出られなくても公式練習という形で甲子園の土を踏むことができた。

大会が始まると奴はアルプススタンドで応援していた。試合が劣勢の終盤。その試合をテレビ観戦していた時に、何かの悪戯かしれないが奴が唐突に画面に現れた。涙を流しながらも必死に応援している。

結局その試合は敗れた。数日後に「お土産な!」と言って渡されたものがある。甲子園の土だった。甲子園の土というから価値はあるのかもしれないが、見た目はただの土だ。

その土が入った瓶は大切に大切に…書籍の重みでたわんでいた本棚の支えに使わせてもらった。申し訳ないとは思いつつ。

野球一筋に打ち込んできた三年間。それは部活なんぞ適当に参加して、いつの間にか幽霊部員から帰宅部へとあっさり変貌を遂げるという怠惰な高校生活を送ってきた自分には絶対に手にすることのできない財産だ。

今考えると、その宝の片鱗だけでも確認しておきたくなったのだと思う。奴の見てきた、体感してきた記憶をその目に焼き付けるために。

野球部のグラウンドを外から眺める。さすがに広いグラウンドだった。一周りするだけでもかなりの時間がかかりそうだ。一歩一歩ゆっくりと、何かを噛みしめるように進んでいく…ため息が止まらない。

学校を後にし、その足で妻の勤務先へ向かう。一人で物思いに耽るには既に心の限界がきていた。一番信頼できる、自分を理解してくれる人に話すことでとにかく落ち着きたかった。

退勤してきた妻をみつけるなり、その日起きたことを延々と話し続けた。妻は余計な口を挟むことなくただ黙って聞いてくれた。

普段とは完全に逆の立場だ。でもそれだけでよかった。少なくとも「自分」を取り戻せた。

 

多少冷静になれたところでクロイワとの出会いを思い出してみる。トクシマが小学校時代からの親友だということは先に触れたが、奴も同様に小学校時代からの親友だった。それもクラスが違うのに小学校1年からの付き合いだった。

そのキッカケは「PTA」だ。

クロイワの母も自分の母もPTAの役員決め会議に出ていたのだが、奴の母は「仕事をしているので」という理由でサクッと辞退した。

そうやって色々と理由をつけて辞退者が増える中、自分の母は何となく流れに押されてPTAの役員に納まってしまったのだ。

後日、母が奴の母親と近所で偶然出会いその話をしたところ、

「あぁ、あたし仕事してるって嘘ついちゃった!ごめんね!」

と、ケロッとしていたらしい。

今の御時世なら仕事をしていることがPTAを辞退する理由にはなりにくいのだろうが、子育てしながら外でバリバリ働く女性はまだまだ珍しい頃の話。そこをすかさず利用するあたりは、なかなか抜け目のない人だ。


でも、そのサバサバした性格が人当たりの良さにもつながっていた。そんなことから母親同士が仲良くなり、必然的に子供同士も遊ぶようになったのだ。

さらにオマケがついていきた。隣のマンション同士に住んでいることがわかったのだ。そのため親子ともどもお互いの家を行き来することが頻繁になるまでにそう時間はかからなかった。

母親同士は放っておいても積もる話などいくらでもある。朝まで話してもネタに尽きることはない。そして子供同士はまだ小学生。遊びなんて何でもよかった。

どんなくだらないことでも腹の底から笑って楽しんでいた。まだファミコンすら存在しない時代。子供ならではの創意工夫でいくらでもコミュニケーションが取れた。

ある時には4人揃って七夕祭りにも出かけた。その時のことはあまり記憶に残っていないのだが、「写真」という証拠品が残っているので出かけたことは間違いない。

とにかくそのぐらい親密な付き合いだったのだ。お互い他のクラスメートと遊ぶことも多々あったが、決して疎遠になることはなかった。


この頃はまだトクシマには出会っていない。トクシマと知り合うのはそれから数年先の話。小学5年でクラスメイトになった時だ。

おぼろげな記憶でしかないが、トクシマも自分も当時の横浜大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)ファンだったことが友達になるキッカケだった。

情報社会に振り回される現代のデジタルな子供達ではなかなかそう簡単にいかないのかもしれないが、昔のアナログ子供はそんな単純な理由であっさり友達になれたりする。

この段階ではトクシマとクロイワにまだ大きな接点はない。自分という媒体を通しての面識はできていたが、本格的に二人が接点を持つようになるのは中学校へ進学してからのことだった。


著者の山口 寛之さんに人生相談を申込む

続きのストーリーはこちら!

心友 【其の二・見えない縁】

著者の山口 寛之さんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。